03 絵をお金に替えて気がついたこと
少しだけ、僕自身の経験について聞いてくださいね。
こどもの頃から絵を描き続けていた僕は、在学中、美術を専攻したり、デザインを学んだりする機会に多く触れました。
幼児期には自作の絵本を描き続けていました。小学生になってからは漫画を描き始めました。絵や物語を作るのが好きだったんですね。その当時の作品は、今でも大切に保管しています。
図画工作の時間は得意ではありましたが、好きではありませんでした。中学校に入ってからの美術もそうでした。先生が課す授業の課題をつまらなく感じ、うまく関心が持てずにいました。
僕は自身でひらめいたり考えたり、自分の中にあるテーマを創造することのほうが好きなんだなとこの頃から感じていました。
社会人になっても、絵を描き続けました。運よく絵が評価され、絵をお金に替えて生活をしていた時期もありました。
その収入には、2つの活動がありました。
1つが画家として。もう1つがイラストレーターとしてです。
僕にとって、画家とはつまり自分のために絵を描く人のことです。自分の好きなものを好きなように描くことです。
これは、自由制作の意義と似ているように感じます。
描きあがった絵には値段が付けられ、時には自分で値段を付けて、人に買ってもらいます。誰にも買われないどころか、そもそも値段がつかないこともあります。
イラストレーターは、お客さまのために絵を描く人のことです。「こんな絵を描いてほしい、こんな目的で使いたい」と、依頼されたテーマや目的に沿って絵を描きます。
これは、課題制作によく似ています。
僕のスタートは画家でした。描いていた絵を気に入って頂き、それが画廊に並び、買って頂いたことが始まりでした。
そこから「お店に飾りたいから」、「自社の印刷物に使いたいから」とご依頼を頂き始めました。自分だけのための表現が、誰かに認められたり、何かの役に立つことがとても嬉しかったことを覚えています。
自分にとっての絵を描く価値観
依頼のために絵を描くことが増える中で、僕は「自由制作(自分のために描く)」と「課題制作(依頼に沿って描く)」を、区別するようになりました。
おそらく社会的に価値があるのは、ご依頼をもらって描く絵の方でしょう。ご依頼を頂けることは、たいへん光栄なことです。仕事ですから、依頼人が納得するまで描き直すこともあります。
しかし、僕が心から好きだったのは、自由に自分のテーマを描くことでした。
それからもう一つ。僕は画家として描いた絵で得たお金を、生活費に使うことが、どうしてもできませんでした。電車代や洗剤を買ったりするお金は、いつもイラストレーターとして得た報酬からでした。
自分のために描いた絵が売れたお金は、封筒に入ったまま、幼児期に描いた「絵本」と一緒に保管していました。これを当時の知り合いの絵描きに話すと笑われました。プロ意識が低いとか。僕自身でもそう思います。(笑)
自己評価と他己評価のバランス
そのような経験をした僕は、「社会で生きる上で必要なのは課題制作であり、自分にとって必要なのは自由制作である」とますます考えるようになりました。
もちろん、自己評価ばかりでは生きていけませんよね。社会で生きるには他者評価が不可欠です。それでも、少しでも「自分で考えて、自分で選んで、自分で決める場面」があれば。
それだけで人生はより豊かになると信じています。
そしてこの自己評価の習慣を、こどもたちにも身につけてほしいと願っています。
「良いかどうかを自分で決める。」
絵は、表現とは、宿題のためにじゃない。自分のために描く喜びがあるということ。
次では、自己表現の手段として「絵画造形」が子どもたちに相応しいと考えている理由をお話ししていきます。