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モノ書きの日常の整え方

2022年、ワーカホリック的に働いてきて先月ついに糸が切れてしまった。
様々な誘因があってのことだったけれど、おかげで自覚していなかった様々な問題に向き合うことができて、自分が本来持つ直感力や共感力がやっと息を吹き返してきた。

こうなってしまう前に本当は整えなくてはならないのだと思う。
なので来年こそは自分らしく人様のお役に立てるような「自分の整え方」というのを見出したい。
過去、自堕落に過ごしていた頃に戻るのではなく、適度な余白とゆとりを持った生き方を目指していきたい。

余白に罪悪感を抱かないという難関


これが一番の難関と言っても過言ではない。
少しでも時間に余裕ができると、少しでも予定のない瞬間があると、不安になってしまう。もっとやれるはず、何も成してないのになぜこんな余裕かましてるんんだ、自分はダメな奴だ、もっと計画的に頑張らなくては。

…これは2022年の私の思考パターンだ。

なぜこのような思考パターンになったかというと、これは「七つの習慣とフランクリンプランナー」の影響が大きい。

先に断っておくが、フランクリン手帳と七つの習慣が余白を作らずに何かを成せと強要しているわけでは決して無い。
ただし私は最初の段階での「時間のマトリクス」認識が違っていたのである。

従って余白=悪、だから何かで必死に埋める、という行動をとってしまっていた。反省。いや、猛省。

時間術で最も大事なことは


フランクリン手帳では、緊急度と重要度のマトリクスで物事を4つの領域に分けている。

・緊急かつ重要なA領域
・緊急ではないが重要なB領域
・緊急だが重要ではないC領域
・緊急でも重要でもないD領域

で、だ。
ここで各領域の「例」が挙げられるのだが、よく言われるのが

A領域…災害、病気・ケガ、〆切
B領域…将来のための勉強、自己投資、貯金
C領域…意味のないMTG、LINEや電話の対応
D領域…生産性のないゲーム、テレビ、ギャンブル

といったものだ。

ここに、大きな落とし穴がある。
個々人の特性によってどの領域に何が該当するかは正直分からないのだ。実際後から「これってやっぱりC領域だった」とか「これは私にとってB領域だな」ということもある。

例えば「親からの頼まれごと」
一見、親孝行だからB領域と捉える人もいるかもしれないが、人によってはC領域に該当することもある。頼まれごとの内容によってはAかもしれないしDであることもある。
また、頼まれごとも3件くらいならB領域だが10件以上ならC領域…というように、ある一定水準を超えると別の領域になることもあるだろう。

親の頼み事をCにするのはちょっと…と思考が入るかもしれない。
ここが落とし穴なのである。

どの領域に何を配置するかは自分で決めるしかないのだ。そこを見極めることがとても大切なのである。

クリエイターにとって余白はB領域


断言する。
何かを作る人は絶対に余白が必要である。

多くの仕事は何かを成すために計画し、行動をし、それとは関係のないことは極力せずに一極集中する方が成功すると言われている。

しかし、何かを作る人だけは別だ。
作家は紙とペン(パソコン)を前にしてウンウン唸っているだけでは絶対にいいものは書けない。
音楽をやっている人はエチュードだけではいい音楽はできないし、絵を描く人はデッサンやるだけでいい絵を描くことはできないのだ。

大好きなコーヒーの香りとともに、美味しいパンをかじったり、季節の空気を感じながら散歩をしたり、ドラマや映画を見て涙を流したり、布団の中で好きなだけ寝てみたりする時間がB領域になるのだ。

日常を整える。

何かを作る人以外にも整える時間は大切だ。部屋の掃除、洗濯、食事作り。ここをおろそかにして何かを成そうとしても、実は結果的に遠回りになってしまうことが多い。
まずは机の上を綺麗にすることから始める、それでもいいのかもしれない。

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