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文字という結界

世の中に向けて発信する…自己表現する…。
SNSが普及してこれらが当たり前になってきた。

しかしトレンドはIT技術向上によりどんどん変化し、文字から写真、写真から動画、動画からショート、そしてAIへと移り変わっている。

かくいう私もmixiから始まり、Facebook、Ameba、Instagram、Twitterとヘビーユーズしてきた。が、ここに来てどのSNS媒体もしっくり来ない。

その理由を考えてみた。

SNSは阿呆収集マシンに

ちょっと表現がアレで申し訳ないけれど、今のSNSは間違いなく「阿呆収集マシン」となっている。

ここで言う阿呆とは、自分で何も考えていない人のことで、ただただ視覚情報だけ貪り食っている人たちのことを言っている。

リールやショートを延々とスワイプし、1時間2時間平気で溶かす。
そういう人たちは何かを熟慮したり味わったりする神経を死なせてしまっているように思う。

阿呆の収益化

阿呆もたくさん集まれば収益化できるのがSNSのすごいところだとも言える。

閲覧数、再生数、いいね数、フォロワー数……単純に「顧客リスト」という性質も持ちながら、それ自体が親会社(SNSの運営)にも旨味になっていることに気づかなくちゃならない。

インスタがなぜ流行っているか、TikTokがなぜ流行っているか。

何も考えていない烏合の衆は良いカモなのだ。
カモのリストほど価値のあるものは無い。
できるだけ自立していない、何も考えないで騙されてお金を払うような烏合の衆を沢山集めたい。

そんな阿呆がリーチしやすい媒体の露出を上げて(リールやショートなど)リストを作りやすくして集める……これが阿呆の収益化である。

言葉という結界

阿呆の収益化には、正直興味が無い。
そんな人たちを顧客にするのはウザイし、私がやりたいこととは真逆だ。

となると、今流行りのSNSはもうボツ。
でも今更昔のSNSに返り咲きたいとも思えない。

そこでふと思ったのだ。
やはり「文発信が良いのでは?」と。

理由は簡単。
阿呆は文章を読まないからである。

結界を超えた人だけでいい

文字媒体で発信し、それでも読んでくれる人。
これだけでもフィルタリングがかなりできると思った。

ショート動画だけ見て
「面白い!」「好き!」「ファン!」となられても困る。それは本質を見ているとは言えない気がするから。

幸い文章を書くのは好きだ。
私は私の結界を張って、本当にご縁のある人と繋がっていこうと思う。

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