若林正恭『ナナメの夕暮れ』を数年越しに読み切れた喜び
私はリトルトゥースである。
受験勉強や学校でのカーストや自意識や親の期待と向き合うのがしんどすぎた高2年生の冬、たまたま聴いたオードリーANNに雷を打たれた。
というか、春日さんごめんなさい、若林さんのフリートークに胸を打たれたのだ。
妬み嫉み恨み辛みを笑いに昇華できるこんなにかっこいい大人がいるんだということが当時の私には希望だった。本当に救われた。
たまにお二人が「こんなラジオJKが聴いているわけねぇだろ」と言うけど、「聴いてるよ」と心で返事をしていた。
それから若林さんのことは大好きで、R-指定さんの言葉を借りるならまさに同じ周波数のムジナだと思っていた。
仲間意識というか、ナナメ連合軍の長として慕っていたというか。
しかし、若林さんが『ナナメの夕暮れ』を発売され、読んだ時、
私は勝手に「私の好きだった若林さんはもう遠くに行ってしまった」と感じた。
『ナナメの夕暮れ』を書いているこの人は、
捻くれている自分を正当化して「俺捻くれてましたよね!?まじウケますよね!!」と言いながらハロウィンパーティーに喜んで行ってしまいそうで
そんな人好きじゃないと、思ってしまった。
若林さんにはいつまでも誕生日を素直に喜べない人でいてほしかったし
痛いヤツを痛いとグサグサ刺してほしかったのに、
なんか達観しているのが受け入れられなかった。
若林さん変わっちゃったんだな、えー痛いな、とすら思っていた。
それがショックで、最後まで読み切ることができず、
『ナナメの夕暮れ』は封印されたのだ。
しかしとあるきっかけで5年ぶりに読み返すことになった。
信じられないほど共感することが多かった。
若林さんが変わっちゃったとか痛いとかは微塵も思わなかった。
むしろ、この人はもがいてもがいて自分の手で自分なりの生きやすさを手に入れられたんだな、はぁ尊敬するな、と感じた。
当時とは真逆の感想を抱いたことにびっくりした。
そして心から嬉しかった。
若林さんが遠くに行ってしまったわけではなかったのだ。
ただ私が自分と向き合うことを避け、いつまでもナナメに世の中を冷たい目で見続け、仲間だと思っている人と傷の舐め合いをしている中で、
若林さんはきちんと己と向き合い前に進んでいただけだった。
でもそんな一足早く前に進んだ若林さんが書いたナナメからの卒業文集に共感したり面白いと思えるくらい、私も私なりに私の力で生きやすさを掴み取れていたようだ。
特に「ナナメの殺し方」は響いた。
まさに数ヶ月前に自分の心に少し芽生えてくれた感情を言語化してくれていた。あぁ私、ちょっと闇から脱せたんだなと実感できた。
読み返すきっかけをくれた人に会いに行く最中に読み切ったこともあって、電車の中で泣いた。
まだまだ生きづらい大学生の私へ。
あなたの感情を否定する人はこの世界に誰もいなかったよ。
相変わらずこの世は地獄だけど、でも案外悪くない地獄もあるのかもと思える日がくるから、だからそのまま、もがいていきましょう。