攻殻機動隊SAC_2045観終わってぶつぶつ独り言
こちらはNetflixにて配信中、攻殻機動隊SAC_2045の24話シリーズ2の最後まで観た後の感想です。
そこまでのネタバレを以下含みます。
まずは、とっっっっても面白かったです。
ストーリーがあまりにもよかったです。
私はNは最後にはコードが抜かれて確立されなかったと考えているのですが、どうなんですかね。
どちらとも取れますよね。ラストシーンは現実世界ですが、この裏ではNが走っていてもおかしくはないですよね。互いに干渉しない世界なので。
あらゆる物語で語られてきた、現実世界とは別の理想の世界を脳内で展開して生きていくという夢物語ですが、これって既に一個人ではいつでも気軽にできますよね。所謂こうだったらいいな〜という妄想。規模感は違えど現実と異なる事象を考えることは、Nになるということなのかな〜と思いました。
でも世界をNにするのは反対ですかね。
結局Nでもいずれは現実のように理不尽で嫌なことって起きると思うんですよね…それとも個々の世界である限り起きないんですかね?常に理想が構築されるから?
他人を理想通りにすることは答えが出ていることだから簡単な気がしますが、自分自身が嫌いという場合どうなるのでしょうか。そもそも自分が理想でないから理想の自分に上書きされる?でもそれは本当の自分ではないので自分のNではない気が…でもNの世界は自分が思う幸せな世界だから本来の自分の選択であるか思考であるかは関係がないのですかね。
でも自分の本音で動かない自分は、本当の自分なのでしょうかね。うーん、結局はNは全員が全員幸せにはなれないんですかね。現実と同じく。
少佐はゴーストをとても大事にしているので、やはりコードは抜かれたのだと思うのですが、そんな彼女がプリンを造らせたのはとても意外でした。
プリンはゴーストがない=アンドロイドになったけれど、ベースは人間で、どっちつかずな物になってしまいました。この瞬間のプリンはアンドロイドですが、人間の時から関わっていた人にとってはプリンはどっちなんですかね。ゴーストってなんなのでしょう…タチコマたちと同じように私も悩んでますがプリンの存在によって益々わからなくなりました…明確な線引きができない…
と、すると、現実で生きる自分と、Nに生きる自分は別々なのですかね。別々の人生を歩む限りそれは別の人間ですよね。ゴーストは分離する…?
私とは、世界とは、、私も少佐と同じくフラッと答えを探しにビルの屋上から落下したいです。
にしても観終わった後もあれこれ考えて考察できる作品はとっても楽しいです。
攻殻機動隊SAC_2045も私の思考の一部に関わる作品になりました。
あ〜私もステップ踏みながら人混み避けたいし、車で仁王立ちしながらロケランぶっ放したいし、タチコマ乗りたいし、タチコマと会話したいし、少佐に覚悟を決める課題もらいたいし、9課に必要だって言われたいし、グータッチしたいし、プリンをぎゅっとしてあげたい。バトーさんのハグがいいだろうけど。私もハグしたい。