アオイエにどんな問いを持って論文書いたの?〜アオイエぶっちゃけトーク〜
今回、アオイエぶっちゃけトークではアオイエに問いを持って論文を書いた2人にインタビューを行いました。それぞれ建築学、社会学という違う視点からの論文の概要を教えていただき、とても好奇心がくすぐられる内容になっています!
上野武志(やえもん)
ーーアオイエに対してどんな問いを持って論文を書いたの?
シェアハウスの間取り、内部空間の構造の違いが住人同士の関係性に与える影響に関しての論文を書きました!
人の相談に乗る時の面会室の構造とか、環境の要因が人と人との関係性にどんなふうに影響してるのか?について知りたかったから。
自分は大阪のアオイエ十三に住んでいたので、関西の5物件を比較して論文を書きました。
ーーどんな結果になった?
前提として、結果が明確に分かったわけではないということを先に伝えておきます!どういう空間であれ、住んでる人たちがお互い人として歩み寄って違いを認め合おうとする姿勢が大事。その上で環境がどんなふうに作用しているかについて、「掃除」と「コミュニケーションの発生頻度」という観点から見てみた結果になります。
掃除のルールはどんな時に増える?
アオイエ元田中とアオイエ十三は人が多いのにリビングは狭くて、密集している。
そのような狭い空間ではものが多いと目立つので気になる人が多く、片付けや掃除に関するルールが増える。
逆にアオイエ二条は人に対して家が広いから、掃除に関するルールが少なかったり、あまり守られていなかったりする。みんな家にいる時間が少なく、そもそもトラブルが発生するタイミングがない。必要な時に関わる。
当時の二条住人にとって、家の綺麗さは必要ではなかった。でも、綺麗なところがいいタイプの人が退去したり他の物件に移動したりといったこともあったみたい。
どちらがどっちが良い悪いという話ではなくて、そこに住む人たちの雰囲気や求めているものによって良いようにも悪いようにも捉えられると思う。
会話量とリビングの構造の関係とは?
アオイエ十三は当時社会人が多くて、コミュニケーションの頻度が少なかった。
些細なコミュニケーションのモヤモヤを相手に伝える機会が少なかったり他の住人への相談もできていない印象だった。コミュニケーション頻度が少ないと信頼関係も築きづらいので、ある程度の信頼関係を必要とするモヤモヤの共有は、当時の十三ではハードルが高かったのかもしれない。
ーーそのときの住人はけっこうシャイだったのかな?
自分はコミュニケーション頻度の少なさは住人の特性だけではなく、リビングの構造も影響していると考察してて。
十三のリビングは狭いうえに、当時は7人の住人に対して席が4つしかなく、みんなで滞在できる場所があまりなかった。ソファは物が置かれていて、あまり使われてなかった。
くつろげる空間が少ないと、話し合う機会も少なくなってしまう。だからコミュニケーション頻度も少なかったのかなと。
ーーなるほど〜。でも今はけっこう交流が多いですよ!社会人よりも学生が増えたのもあるかもですけど。
ほんまやなぁ。これはソファにちゃんと机があるし、くつろげそうやね。
くつろげる空間の秘訣は?
十三は3階(写真左の階段)からキッチンに行く動線(=通路)にいると邪魔になってしまってあまりくつろげない。当時のソファの配置はその動線に面してた。
でもこの配置やとソファは通路じゃないし、机もあるから長居できる。
ーーおなじ家でも、通路にならない家具の配置やくつろげるソファがあると住人の滞在時間が増えてコミュニケーション量が増えるってことですね!
そうやね。
ーー同じお家でも、構造を考えることでコミュニティがより良くなることがあるのだと分かってワクワクしました!ありがとうございました!
黒田拓海(ちゃろさん)
ーーアオイエに対してどんな問いを持って論文を書いたの?
簡単に言うと、シェアハウスって家族になれるの?っていう問いを研究してた。見知らぬ人同士で一つ屋根の下で暮らすっていう関係性を通して、家族的な関係性や場が生まれるのが面白いなって思っていた。
今って家族の在り方が多様化していて、シェアハウス的な関係性は家族の関係性の代わりになれるのか?と、もし代わりにならないとしたらなんで?っていう研究です!
ーーどんな結果になった?
結論、家族的な関係性とは結構違うよね、ってなった!シェアハウス的な関係は家族の代わりにはなれないけど、シェアハウス的な関係はそれはそれで価値があるよねって言う。
ーーなんで?
構造的な問題が大きい。シェアハウスはお金を出し合って暮らしを作っていて、だれかがだれかに依存するって言う関係性は作りづらい。
住人との関係性は合理的?
じゃあ、住人たちは全てのものごとに対して合理的で割り切っているのかというとそうでもないのが面白いところ。例えば、風邪ひいた時に買い出し行ったりとかそういうのはするよね。
ーー確かに、めちゃめちゃ助かった記憶がある。。
シェアハウスにあるのは強いケアではなく、弱いケア(お互いがお互いを配慮し合う、気遣い合う)。それがシェアハウスの価値だと思った。これって社会学的な観点で見るとおっきな力を持っていると思っていて。
シェアハウスのルールづくりって、何が正しいとかで決めるわけじゃない。誰かの不満が生まれて、じゃあこうしようってなるのがシェアハウスのルール作り。相手のニーズや感情が起点になる。つまり相手を人として受け止めた上で、関係性をつくっていくのがシェアハウスにおけるコミュニケーション。
家族に閉じ込められていたケアをひらく場としてのアオイエ?
これまで、相手の感情に配慮したりニーズに応えるというあり方=ケア的なあり方は、家族という閉鎖的な空間の中にある意味で閉じ込められてた。けれどシェアハウスは見知らぬ人同士がシェアハウスという形で暮らしを作っていく中で、ケア的なあり方(相手の感情に配慮、相手のニーズに答える)をしていた。
そういう家族的なコミュニケーションを若い人たちが身につけていく場、外に開いていく場として、そして道徳観や倫理観を身につけられる場としてすごく価値があるのでは?と思ってる!
ーーただ住んでいるだけだったけど、住人と住む中で知らず知らずに道徳観が身についているのかもしれないと思うと面白いです!ありがとうございました!
アオイエとは?
アオイエは、全国に拠点(東京、京都、大阪)をもつコミュニティハウスです。「みんな表現者」をコンセプトに掲げ、家という形を通して住人に安心と挑戦を提供しています。 アオイエは、安心と挑戦をうむ環境づくりとして、各家へのキーパー制の導入、ゼミや合宿の実施、入居者へのフォローアップなど、他のシェアハウスには類を見ない取り組みを、7年目を迎えた今もなお続けています。
(編集:市村彩)