不幸なわけじゃない。心が満たされるってどうゆうこと?承認欲求と自己肯定力の微妙な関係性。
不幸なわけじゃない。でもなんだかモヤモヤする。
結婚したいかどうかもわからない。
そんな風に感じている私はどうやら心が満たされていないらしい。
心が満たされるってどうゆうこと?
大好きな人がいたって、いつか離れてしまうかもしれない。家族をもったとしても、いずれはそれぞれ自分の人生を歩んでいく。
心は満たされることってあるのか?なぜ仕事が好きなのか?なぜ結婚したいと思うのか?そこに心が満たされる何かがあるから?そう期待しているから?どうなったら心が満たされるの?
わからなくなってきた。
心が満たされるのが、自分の存在価値を感じた時だとしたら、
自分の存在価値を感じるときって、どんな時だろう。
人に頼りにされた時、誰かの役に立てた時、感謝された時、それが証明された時。存在価値を感じるには、自分の感情とそのエビデンスが必要なのかもしれない。
目に見えた自分の存在価値を証明するもの。それは、感謝の言葉であり、仕事の成果であり収入であり、家族とゆう存在。
人は自分の存在価値を感じることができた時に、心が満たされる。
もうひとつ、心が満たされる時がある。自分に満足した時だ。自分を自分でほめてあげたい。自分に感動した時。
誰になんて言われたっていい。私はすごい!かわいい!頑張った!誰よりも素敵だ!幸せだ!
これは最強だ。だけど、、ただただ、むずかしい。自分を肯定する力は単独では難しい。
どれだけ、自分は幸せだ。って思っていても、
あの人結婚もしてないし、仕事もしてないんだ=変な人、かわいそう。そんな風に周囲は思う。そして、そう思ってしまうのは、自分も例外ではない。
他人からの見られ方を考えた時、自己肯定力はとてつもなく低下する。でもなんとか単独での自己肯定力を高めたい!
結婚したって、仕事で成功したって、心が満たされていない人はたくさんいる。それは自己肯定力=自分で幸せを感じる力が足りないからだ。
自己肯定力を高める必要がある。そう思った。
満たされない気持ちをチカラに変える2つの力があると思う。
考え方を変えると、心が満たされていないって感じていることは悪いことではない。生きる原動力になっている。満たされようと、人は行動するからだ。
その満たされようと歩く道のりをワクワクいきる。それが人生の楽しみ方なのか、とも思う。
満たされないと感じる自分、満たされたいと思う自分を喜んで受け入れよう。その道のりにいろんな出会いと幸せがあると信じて。
心を満たす方法は自己肯定力であり、自分を信じて生きるチカラだ。
今日の朝の空は、雨上がりです。