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立川の街に居場所がない

自分の住んでいる街でもないし、悪口のようで申し訳ない気持ちもあるが
長いことよく利用する街ではあり、
だいたいなんのお店もあり、なんでも揃う、
のだが、
落ち着けるお店がない。

どこも混んでいて、賑やかで
ひとりで店に入ると、居た堪れない。
(そんな事を思いながらこれ、立川のカフェで書いているけれど....)

ゆっくり何か書き物をしたりする場所ではないのかもしれない。
あるいは時代的に、みんな、書き物はカフェではしなくなっているのかもしれない。

リモートワーク用のお店とかもあるし、

でもそうやって細かく細かく分けられると
そこへ行かなければいけないかのような(それだって別で料金がかかるのに)圧迫感がある。

そもそも、用途によって違う料金は必要なのかもしれないけど、そこまで行くともういい加減しんどいと思う。

とにかくこの店の中で1人で作業をしているような人は1割くらいのもので
他の人はみんな友人知人などと会話をしてる。
会話も何かに掻き立てられているように聞こえる。
(内容までは聞こえない、声色の印象)
それは、私の心理状態のせいかもしれないが。

とにかく、なんとなくゆっくり出来ない街なんだ。

なのだけど、用事もある。
比較的近いし。

私が「人混みが嫌い」というのは確実にある。
でもカフェは好きなんだ。

カフェでゆっくりしたいんだ。

そういうことが出来なくなっていくのかな。
嫌だな。

と、こんな些細な事で思う。

疲れて頭がゴミゴミしている日は
スーパーで何か買うにも悲しい気持ちになってしまうものだ。

スーパーは幸せの印象が強いから、
寂しさも際立つ。

こんな感情だけの印象をつらつら書いていてもよくないよなって思ったけど、
人間は主観しかほとんどないし
何か揺るがない事実を立証しようとする
そういうハッキリした数字だったり、
論文だったり、
出したいけれど、
それはそんなに簡単なことではない。
時間と実験が繰り返されてやっと浮かび上がるものだ。

だから私の書く事も80%(てきとー)くらいは
主観でしかないし、日々思うことなんて主観しかない。

そんなこんなウダウダ考えてるうちにもキャラデザもする。
「なんだよ、居づらいと言いつつ結局そこで描くんじゃん」てツッコミよろしく。

トイレに立つと
後ろの席の1人客の女性が佐々木中さん訳の
「ツァラトゥストラかく語りき」を読んでいるではないか

ハッとしてしまった

そしてトイレから帰るとその方はもう店にはいなかった

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