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ぜんぶ自分のためでいい_20190622
最近は文章やことばなどにまっすぐ向き合えるようになり、望んでいた生活がいまここにある。しかし、おや?わたしは好きな文章が書けていないぞ。
この環境を手に入れる前の、じぶんの鬱々しさが原動力になっていたような文章を見返して、「ああ好きだなおもしろい」と思う。最近の文章は、ちょっと読み返したくない。
高校生のわたしが、ふとしたときに綴っていた文章がある。このアカウントのマガジンにもまとめてあってたまに読み返す。それらのどれもが、わたしは好きだ。愛おしい。くるしみのなかで、文章を書いていてくれてありがとうと思う。
あの時わたしは、自分のために文章を書いていた。これは紛れも無い事実で、当時のわたしもどこかで述べている。そして専門学校を辞めたあたりで、わたしは「自分のための文章を書いていたけどこれからは誰かのためになる文章を書きたい」というようなことを書いた。
これは少し間違っている。
わたしが楽しめないような文章を、いったい誰が読むというのだ。お門違いも甚だしい。いままでの文章を好きだと言ってくれる人はいたが、いまの文章を当の本人が好きだと思っていない。だめだ。誰のためにもなっていないじゃないか。これはただ、スマホの充電や睡眠時間を浪費してるだけに過ぎない。失態。
だからわたしは、誰かのために文章を書くことをやめようと思う。やめるのだ。わたしはわたしのために文章を書けばいい。あの時のように、わたしが気持ちよく悦に浸れる文章を書けばいい。
それでいいじゃないか。いいだろ、だってわたしは、文章を書くことを誰からも強制されていないし、誰からもお金をもらっていない。限りある自分の時間をつかってまずは、自分をよろこばせたい。
つまらない文章ばかり書きやがって、と刺されてしまいそうだ。「青い朝」というなまえをつけた時のことを、無下にしては絶対にだめだ。どうしようもなかったあの日のわたしが、いまはとても愛おしい。
このアカウントに初めて載せた文章が「青い朝」のすべてをまとっている。
誰にでもある青い朝や、鬱々しさの救いになれたらいいなと思う。もちろん、わたしはわたしのために文章を書く。それが二次的にどこかの誰かに好まれるのならば、わたしも好ましい。
- aoiasa
20190622
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