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夏休みみたいな生活、戻らなくちゃいけない日常
夏休みのなかにいるみたい。わたし21歳でもうまるきり学生ではないけれど、突然やってきた夏休みみたいな生活にすこし戸惑っていた。昨日今日でようやく身体が慣れてきたところ、です。
いやいやもちろんね、実際にはやらなくちゃあいけない仕事ってのはあるよ。それに家のことも自分でやらなくちゃ。だから当然、小学生の夏休みみたいにはいかないんだけど、それでもなんだか夏休み気分。
概念としての夏休み。
要因はみなさんもご存知、世界をおびやかしてるコロナちゃん。そのせいで、というべきか、あるいは”そのおかげで”?時間が有り余るようになってしまった。良いことなのか悪いことなのか、わたしにはまだわからない。
ありがたいことに、仕事に直結した大打撃はいまのところ無い。だけど報道からすぐに、通いのお仕事がひとつ減った。じつは五万円の損失、へへっ。ようやくスタートを切った仕事も先日完全にリモート稼働になり、正直あんまりうまくいかず今は細々とやっている。
おっと、仕事の話をしちまった。仕事の話は置いといて、生活の話。
そうそう、そんなことだから、生活のなかに時間の空きができたのは言うまでもなく。想像以上にめちゃくちゃ時間がある。それもものすごく心に余裕があって、この半年の間は叶わなかった時間の使い方をふんだんにしていると思う。
最もわかりやすく表現するならば、『文化的な』生活。それだ〜。
なにが文化的かって、まず本が読めるようになった。これをわたしはよく言うのだけど、仕事をしているといつもは頭がヘトヘトになり本がよく読めない。それが今はどうだ、小説もエッセイもどんとこい。漫画もゆっくり楽しめるようになり、しまいにはメルカリで全巻セットをポチっている日々。コジコジを最初に買ったのはナイスだった。いっそのこと、ひと部屋まるごと漫画喫茶にしてしまおうかと。
それからだいぶ自炊をするようになった。飲食店には申し訳ないが外に食べにいくことも控えていて、自分でごはんをこさえている。
仕事が忙しくなってからは外で済ませてしまうことがかなり多く、食材を買っても腐らせたりして一時期自炊をあきらめていた。お弁当も、最近めっきり作っていなかったのはそういうわけよ。でも今は、冷蔵庫にあるもので簡単なごはんを作るのがたのしい。朝も昼も夜も、わたしによるわたしのための飯。組み合わせがおかしくっても文句言う人はいないので。自由な炊事、それが自炊!
あとは、百億年ぶりに湯船に浸かってみたり。以前一緒に暮らしていた同居人の影響ですっかりシャワー派になってしまったけど、実はわたし生粋の湯船派である。生まれてこのかた実家を出るまでずっと湯船派だったから、シャワーで済ませることにけっこう衝撃を受けたのが一年半前だ。同居人に「欧米か」とツッコンだかどうかはさておき、浴槽を洗う→給湯ボタンを押す→風呂が沸くのを待つ、という一連の動作にめちゃくちゃ懐古の念。『〜♪〜♪〜♪、お風呂が沸きました♪』のお知らせにだって、愛しささえ感じるよ。
そんで入浴剤なんつー洒落たもんを買い、甘ったるい湯船でぽけ〜っとする時間をこころみている。ぽけ〜っとしながら、今日はアマプラで千原兄弟の「チハラトーク」を観ていた。たまにギャハ〜!と笑ってしまうのだけど、完全にアパートの廊下へ聞こえているから気をつけたい。
家にずっといるから、猫との時間が多くなって愛しさが増しているのもそう。仕事しているのに猫がそばにいる環境、なに、ここは天国ですか?と正直思う。朝起きて猫がいる、ねぼけまなこで猫にごはんあげる、自分のごはんつくる、それから一日中、猫とわたし各々じゆうに。たまに寄ってきて「お撫で」と言ってくるから、撫でると見せかけて抱きしめるそのくりかえし。こうなると猫無しでは仕事ができなくなりそうなくらい、猫の存在がより大きくなっている。文化的。
余談だけど、わたしが自由な働き方を望んでいる理由のひとつに実は猫のことがある。
おそらくこの子の老後はあと5〜6年でやってくるから、その時は必ずそばにいたい。少なくとも、飲食業を続けていたらそれは無理なことだったので。もちろん、今だって少しでもいい生活をさせたい。甘えたがりなこの子をなんとしても守りたい。
だから今、ずっと一緒に過ごせるのがなによりハッピー。心の余裕もあって猫のことをきちんと気にしてあげられている。逆に、最近まであまりかまってあげられてなかったなと反省もした。
あ〜、猫愛があふれちまって!
そういうわけで、最近はめっきり夏休みなんです。社会人になると日々『文化的な』生活を送るにはちと時間が足りないよね、時間だけじゃなくて体力とか心の余裕も。そういう意味では今がチャンスよ。
ただ、人と会えないことが唯一しんどい。わかるよわかる、ものすごくさみしい。これまで、わたしたちはいつでもLINEのメッセージひとつで会えてしまってね。”会えすぎた“のかもしれないよね。
思い返してみれば、小学生の夏休み中もクラスのみんなに会えなかったな。まだスマホもない時代、ご近所でもなければそんな簡単に約束もできなかった。あれ〜、どうやって遊んでたんだっけ?
それでも1ヶ月ぶりに会って「うわー!肌焼けたね!真っ黒じゃん!」「家族で海行ったんだ〜」「いいねいいね、わたしもさ…」ってその夏のダイジェストを共有するの。それから徐々に日常へ溶け込んでいく。
あれはあれですごくよかった。いつもは同じ箱のなかで息をしていたみんなが、とつぜん別々の場所で別々の時間を過ごし、そしてまた戻ってくる。戻ってくる。
これから
まだ可能性は低いけど、もしかしたら東京でロックダウンが始まってしまうかもしれない。今のニューヨークが3週間後の日本、そんなはずはないと誰も言い切れないのが現実だ。考えられる最悪な状況になったとしても、わたしたちは必ず戻ってこなきゃいけない。どれだけつらいことが起きてもいつかはまた、この日常に溶け込んでいかなきゃいけない。
その日常へ0.1ミリでもはやく近づきたいがために、わたしはひきこもりを続けている。家にいるだけで感染拡大防止に貢献できる、これは絶対。本当は実家に帰りたいと毎日思っていて、でもいろいろなリスクを考えたら帰れなくて。泣いちゃうぞ。
もちろんこんな状況のなかでも仕事を全うするために外へ出ている人がいて、家にいたくても叶わない人だっている。それをわかっているからわたしはわたしがこの立場で出来る精一杯のことをしておきたい。そういう気持ち。
わたしたち絶対に戻ってこようね。
みんななにごともなく日常に戻って、「家でなにしてたの?」「いや〜ずっとネトフリみてたな」「あ、そういえば暇すぎてテラハ一気見したよ!」みたいな話ができたら、それだけでしあわせじゃない?
1日でもはやく、いや、1時間でも1分でも1秒でもはやい収束を願っている。その間、もちろん不安にまみれながらも、わたしはこの夏休みみたいな生活をめちゃくちゃ楽しんでまたとないチャンスに変えていきたい。ピンチはチャンス。いまできることをひとつひとつ。
絶対に戻ろう、わたしたちの日常に。
(4月3日 am2:16)
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