itonaをつくろうと思ったきっかけ
itona(いとな)は、富山の風土と向き合って生きている20~50代の女子たちが共同で執筆する、小さな情報誌です。(itona Web)
2012年に創刊し、現在5号まで出ている(遅!)「itona」という冊子があります(公式Webこちら)。企画・編集・デザインを担当しています。もともと文学やデザインは好きでしたが、大学卒業後ずっと「まちづくり」の世界にいた私は、編集・出版に関してはド素人。でも、どうしても作りたいという気持ちが抑えられず、熱意と衝動だけで世に送り出してきました。今回は、このリトルプレスがどうして生まれたのかを、振り返ってみたいと思います。
発見の毎日
今から10年前の2010年に、富山にUターンしました。それ以来、富山の素晴らしさと奥深さに改めて気づかされる日々を送っています。特に最初の1年は、富山県内のいろんなところで無数にある発見を、自分一人ではとうてい伝えきれないほどだ!と、日々の興奮で頭が爆発しそうになりながら、しこしことBlogを更新していました。(このBlogは今もほどほどに更新しています)
で、ある時にはたと思ったんです。富山県や県を代表するような大きな企業が出している情報に、私が嬉々として日々Blogに乗せているようなネタが、あまりないということに。おっちゃんお手製の笹ずしのポップさと旨さ(写真)、3分でできちゃう最強郷土料理、豊富な鉄軌道路線の楽しみ方、地域の慣習に隠された驚愕の歴史・・・私には残らずキラキラ輝く宝物に見えるのに(←Worldly視点です)。
ポストに投函されるフリーペーパーや書店で見かける地域情報誌には、たまにめちゃめちゃ面白いコーナーがあったりします。東京にはないローカルなお店の情報やまちネタを見つけては「東京時代に見たらすごく嬉しかっただろうな」と食い入るように読みました。でも、これが1年くらい続くと、同じお店がたびたび掲載されていたり(そういうお店ほど未だ一度も足を運んでいなかったりする)、まちネタも存在を知らせる「発見情報」ばかりだったりで、なんだか飽きてきちゃったのです。
日本じゅう、世界じゅうに誇れるもののたくさんある富山ですが、そういう部分は自治体や大きな企業におまかせするとして、私たちは、自分の日常に焦点をあてていきます。(itona Web)
これは、地方(Local)を、単にある区域と見るのか、それとも文化圏として捉えるのかで大きく違ってきます。前述の地域情報誌は、ある区域をベースに「都会で人気のお店やあの人が富山にやってきた!」的な情報に価値があるし、発信する必要もある。でも、私が日々大興奮で発見しているのはそっちじゃない。私が欲しているのは、暮らしの中に染み込んだ地域の文化です。その「ここにしかない」地域文化をしっかり踏みしめながらも自信を持てず、「ここにないもの」にはすぐさま反応してしまう県民の姿が、ちょっと滑稽にも見えました。それはイナカな富山が大嫌いだった高校時代の私でもあります。
しかし、お店ならいざ知らず、道ばたの石とか風景とかを紹介したところでお腹も膨れないしお金にもなりません。・・・そう、実利につながらないから、なかなか発信されなかったんですね。また、生活の中に当たり前のように浸透しているからこそ、大切さに気づけないことはよくあること。力強いアイデンティティーだからこそ気づけない。これは、視点の違いです。よそ者視点を持った人が改めて地域文化のよさを発見し、地域に住んでいる人々とともにそれを愛でられたらいいなぁと考えたのです。
最強の地域資源は、普通の生活者
Uターン後の1~2年で「うわ~!富山にこんな人がいたのか!!」と感動する出会いがたくさんありました。「この人だ!」と思う方一人ひとりに企画書とラブレターを持って会いに行って、itonaへの執筆者としての参加をお願いしました。
執筆者は、富山県内外に住んでいて、年齢や仕事、立場もいろいろ。農家、醤油屋、陶芸家、書家、学芸員、建築家、団体職員、英語講師、ツアーガイドなど、様々な職業・環境で富山を見つめながら暮らしている方々。自分の住んでいる地域の歴史や人に詳しく、自分の専門分野には人一倍情熱があり、魅力的で頑張り屋で、いつも新しい示唆をくれる、素敵な女性たちです(写真)。
「あなたが『面白い!好きだ!』と思うものを、思うままに書いて欲しい」とお願いしました。それは、「紹介するために取材をするのではなく、生活の中で好きなものをおすそわけする」という視点を大切にしたいからです。一応、各号なんとなく「今回はこういうテーマで行こう」という話にはなるのですが、みなさん興味のあることが違うので、まず題材がかぶることはありません。
ソーシャルメディアのおかげで、今は一人ひとりが情報媒体を持って発信できるようになり、プロのライターでなくても、自分の言葉で伝えるスキルの高い人は増えています。そこで改めて、何かの専門家や実践者が、一生活者として発する言葉を大切にしたいと考えました。執筆者には、プロのライターもいますが、こういうコンセプトだからこそ、itonaの原稿がいちばん難しいと言っていました。
各自提出する文字数も写真点数も自由。文章をたくさん書く人もいるし、写真が多い人もいるし、レイアウトからバランスを考える人もいます。まずは書きたいものを出してもらうというスタイルを取っています。
特別なものより、本当に好きなものを
何気ないある日の食事、家族や友人たちとのひととき、感動した出来事や風景、がんばっている仕事、ステキな人との出会い、地元で引き継がれている不思議な慣習、おすすめのお店や商品、大切な場所…などなど、自分たちが心から好きと思える、ひと、もの、ことを、主観的に紹介します。(itona Web)
日常とか個人の好みの話なので、基本的に題材は他愛のないものになります。世の中にはその道のプロが作る特別なことが書かれた本がたくさんありますから、最初の頃は、この他愛ない題材でどこまでちゃんと形にできるのかちょっと不安でした。
富山らしい幸せや豊かさは、生活のなかにしっかり染み込んでいるので、多くの富山県民にとっては、当たり前で他愛のないことに思えてしまいます。(itona Web)
でも、私たちは、そのへんに転がっているものにこそ、土地の力が強く込められていることに気がついたのです。私たちの普段の生活のなかに、愛しくて美しい富山が、たくさん詰まっているのだ!と。(itona Web)
創刊当初、ある著名な方に「特別でないものを素人が紹介するなんて意味あるのか?」と指摘されたことがありました。その時は、とても恥ずかしかったし、かなりへこみました。こんな他愛ないものを、素人が時間かけて作って誰が喜んでなぞくれるものか。一人で盛り上がり、仲間で内輪受けして、なんか恥ずかしい活動だと。
でも、何度も考えて、やっぱり意味はあると感じました。「喜んでいるのはもしかしたら私だけかも・・・」というような偏愛ぶり、生活や仕事のこと、人生観など、それぞれの「生き様」をさらけ出して書いてくれた原稿。好きだという気持ちがあふれてシャッターを切られたであろう写真。・・・何度見直しても、この特別でもなく意味もないと言われたものが、やっぱり私には宝物にしか見えませんでした。
いきあたりばったりで作るのが、いい
以前に比べたら暮らしや歴史にクローズアップした雑誌や本は増えました。でも私には、どこか着飾っているというか、特別な枠にはめられているものが多いように思われます。これは、作り方にもよるのかなと思っています。
itonaは、A5版・160ページという仕様と、広告を一切取らない(大人の事情で言いたいことが言えなくならないように)という決まりごと以外はありません。原稿と写真を届いた順番でレイアウトし、構成を決めていくスタイルが、とても合っていると感じます。
これだけの分量なら普通はページネーションや構成をしてから制作を始めますが、itonaは一切ありません。毎号のタイトルも、全部の原稿が英訳され、レイアウトされた最後にようやく決まります。普段、小冊子やパンフレットを作っている私でも、このやり方は無謀だと思いますが、こういう編集・デザインの時間は、私にとっては癒し以上の何か・・・もはや救済や浄化に近いものになっています。(できるなら一生続けたい作業。だからなかなか発行されないのかも)
大切にするのは、「意と名」
「itona」には、「営み」と「日常」という意味を込めています。大好きなものを紹介すること。そして、その土地にある歴史・文化を大切にすること。(じわりじわりと号を重ねるごとに、当初言っていた情報誌というよりも、なんか文芸誌っぽくなってきちゃってますが。)
富山の恵みをそれぞれの立場で楽しみながら暮らす女子たちが、紹介する富山。あなたにも、富山の知られざる豊かな生活を、お届けできますように。
東京時代、いろんな地域にお邪魔して、地域を代表するカリスマやキーパーソンとお会いしてきました。魅力的な地域には、必ず、キラキラと頑張っている魅力的な人がいますが、ずっと肝に銘じていることがあります。それは、地域の「目立つ人」だけで、まちづくりを語ってはいけない、ということです。それは、何か素敵なものが急に空から降ってきたら突如として理想郷ができあがるかもというのを願うくらい、間抜けなことだと思っています。(突如降ってきた災難に対して右往左往することはあると思いますが)
「目立つ人」が地域を代表する存在として認識されることはままあります。でもそれはあくまでも、その人が主体的かつ高パフォーマンスを発揮する一部についてであって、文化や歴史や人々の暮らしという地域全体を背負うことはできません。その地域の生活者一人ひとりが、地域をつくっているということを忘れてはいけないし、そういう人たちの日々の暮らしや営みの延長線上にしか、地域の未来はないと思っています。
地域に「どんなものがあるか」という発見情報は大事ですが、それらが人々に「どんな影響を与えているか」という関係情報とセットで知ることが大切だと思います。さらに、地域により関心と主体性を持って活動したい人にとっては「これからどうしたいのか」という意思表示をすることも大切だと思います。
itonaという本を通じてやりたかったのは、うらやまれたり真似されたりするためのライフスタイル紹介ではなく、観察者や紹介者という引いた立場で地域を語るのでもなく、周囲の人々と関係をつくりながら、地域の歴史や魅力を発見し、ともにその豊かさに感謝すること。今まで発信されてきた富山の魅力とはまた違う「富山の底力」を見つけて、地域のアイデンティティーを楽しんで磨きながら、守り伝えていけたらなと思っています。(つづく)
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