二十歳の原点
わたしは肥大した自己顕示欲のせいで、誰にも見られないところで、1人で日記を書くのがあまり性に合っていないのでこんなところで書いてしまう、恥ずかしいこととわかっていますが、許してください。
死に対してかなり羨望の感情があるのは若いから?全てのものに感受性が尖っていたいと思うのは若いからだろうか。
今、高野悦子著の二十歳の原点を読んでいる。学生運動真っ只中のなかの激動の時代、彼女が考えていたこと。最終的に鉄道自殺してしまっている彼女の人生を、20歳である今のうちに読まなければと思い手に取った。
彼女はきっと、賢くありたかったのだろう。それが彼女のプライドだったのだ。
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」
彼女は孤独であろうとした。それはつまり、全てを疑い自分だけで生きる感受性をもっていたかったということではないだろうか。
鋭い感受性が欲しい。
「この世を真っ当に生きていたら普通鬱になりますよ。病まない人は鈍感な人です」という言葉が一時期流行ったような気がする。鈍感力とか。わたしはどんな文脈であれ「鈍感」という言葉が嫌いだ。わたしは鋭くありたい。世界の全てに疑いの目を向けて、自分自身にすら疑いの目を向けて、わたしだけは世界の真髄をわかっているみたいな顔がしたい。結局わたしも賢くありたいのだ。わたしのプライド。
世界の真髄をわかっているみたいな顔をすると、絶望に惹かれてしまう。死に惹かれてしまう。自分で自分の人生を書き綴り、それがどんな経緯かは知らないが本になりベストセラーになる。人生が作品になる。わたしは自分の人生を作品にしたい。コンテンツとなったらかなりうれしい。それをみて笑ってくれても嘆いてくれてもいい。わたしは誰かに同情されたいのだと思う。どんな形であれ優しくしてほしいんだな。浅ましいね。
まだまだ序盤しか読めていないけれど、わたしは高野悦子に憧れてしまう。そういう、影響を受けてしまう人間はあまり読まない方がいいんだろうなと思いつつ、誕生日までには読まなくてはと思う。変な考えを起こさないように、慎重に。