はじめて人を占ってみて気がつくこと
実は私「振り子」を使った占いができます。
ダウンジングの一種のようなもので振り子の回転を見て判定します。
しかるべき場所で習ったもののため、自分も完全には原理が把握できていません。手探り状態ですが、集合的無意識下にある情報を、Oリングテストのように身体が微弱に出す反応をアファメーションと定義と質問をトリガーにして振り子の回転運動に反映させて判定するようなイメージです。つまりは人間の潜在能力を活性化させる方法の一つなのだと思います。
この振り子の占いの特徴は比較ができるところにあります。いくつか候補を出してそのYESかNOか強弱を判定するというものなので、やり方次第ではいろいろと占うことができます。
たとえば進学するのによい学校、就職によい会社やベストな結婚相手や比較ができます。
学校でも「楽しい学生生活がおくれる」「就職に有利」「合格しやすい」など並列的に判定できるのでわりと需要があるのかもとも思います。
そして教えてくれたところが神道系の団体であったため「現住所の近所で祈願に最適な神社(鎮守神社)」「会社の近所で仕事上の祈願に最適な神社(職場の鎮守神社)」「生まれた土地で一生を通して縁のある祈願に最も最適な神社(産土神社)」などが判定できます。むしろこれがメインになります。
自分が祈願するのにベストな場所がわかっているとパワースポットだなんだと遠方に出かけていなくてもいいので知っているだけで迷いは減ると思います。
意外と占ってもらいたい人は多い?
占いができることをはじめて人に話しましたが思った以上に食つきがいいのに驚きました。自分ならどう思うかというと「できれば占ってもらいたい」と思うのですが、それは他の人でもやはりそうなのだと感じました。
占いに頼るのは自分で判断することを怠る行為だというような批判があるのが浮かびますが、そういう気持ちはどこかにあれど占いってもらいたい気持ちは誰しもあるのかなあと感じます。
やはり個人情報はなるべく教えたくない
ただしこの占い、名前と生年月日、住所が必要になるため判定するのには個人情報を預かることになり、人に勧めづらいのが難点です。
また場所も時間もかかるためどこでもって感じの手軽さがないです。
タロット占いなどは必要ないので人気になるのは頷けます。最近は手軽さと気安さからタロットカードを使った占いも勉強中です。
やはり占いをはじめて勧めてみてわかるのは見ず知らずの人に個人情報をなるべく教えたくないというのがやはりあるようです。まあ、当たり前ですよね実際自分だって嫌です。
ただ、この占いなぜこのように個人情報が必要になるのかというと神仏とか霊的なことや人間の精神などの世界がことわけの世界であるからだと思います。社会上で顕在化される事象は言葉で定義されている場合が多いのです。
プログラミングをやったことがある人はわかると思いますがこの「定義」の過程はすごく大事なことなのです。
たとえば私たちは赤信号をみれば横断歩道を渡りません。これは「赤信号は止まれ」と社会ルールとして子供の時から大人から教えられているからです。そんなことを知らない猫や鹿などの動物が道路に飛び出しひかれてしまうことはよくあります。「赤信号は止まれ」は動物の本能的行為ではなく、人間の社会的なルールであるということがよくわかります。
私たちの生きる世界は膨大な物理宇宙に生きているようで、実は言葉で定義され認識されるだけの小さい範囲の宇宙に生きているにすぎないのです。
だからこそ言葉で現すことが大事なのです。無意識の中にあるところから顕在意識にあげる作業として言葉が使われ、人の定義として名前、生年月日、住所などの記号を交じえることで個人を特定して占うことが可能になるのだと私は考えます。
結果がわりと普通でもプロセスで納得してもらえる
3人が見守る中占いました。初めての経験でした。
しかも3ヶ月のブランクで練習なしでやりました。
意外と覚えているものです。
「現住所でお詣りや祈願に最適な神社(鎮守神社)」を調べました。
地図を使ってダウンジングしていきます。近所4km四方にある神社を5、6社ピックアップしてそれぞれを比べていき反応の高いものを確認していきます。この作業はざっと40分くらい。検討がついたら用紙上に神社名と鎮座地を書いてもう一度確認のため振り子で判定します。
判定するといいますが、実際は神社の神さまに確認をとるように念じるカタチで振り子を回します。調子が良ければ振り子を置いた時点ですでにYESかNOか直感でわかることが多いです。あとは振り子がどれだけ大きく回るのかでその度合を測ります。
今回は判定の結果、一番近所にある神社で話題にも出ていた神社が明らかに反応が大きく出ました。あまりに普通すぎて占われた側は納得しないかなあと思いましたが、そんなこともなくかなり喜んでもらえました。
そして周りで見ていた2人も「かなり精神力をつかったでしょう」と気遣ってくれました。確かに疲れるのですけど、それが周りで見ていても伝わるようで安心しました。
なんだかんだ結果を喜んで受け取ってくれる
占ったシートをあげました。A4用紙に名前と生年月日と占う内容と住所と判定した神社しか描かれてないような素朴なものなのでいらないかな?ともおもいましたがありがたく受け取ってもらえました。これは素直によかったと思いました。あと、すこしばかりの鑑定料もいただきました。なんか申し訳ないないなあという気持ちですが、占い師の鑑定料って相場は1時間1万〜2万くらいなのでプロでやってる人は緊張感半端ないなあと思います。またカウンセリングでも1時間1万〜1万5千なのでこういった業界の人はこれぐらいの責任感でやらなきゃならないんだろうなと感じました。
被鑑定者の価値観にあわないと意味が無い
今回の被鑑定者は判定した神社に覚えがあったようですんなり話が通りましたが、神社にお詣りしない人にはあんまり意味ないなあとやっぱり思いました。やはりこういう鑑定をなんとく勘でいろんなことがわかっているものです。そもそも今回人を鑑定してみようかと切り出した時点でそれなりに縁があったのかもしれません。
占う側とお客さん側とでは見え方が違う
私がお客さん側の時は、なんとなく占ってもらいたいと思った時点でそれなりに自分の中に結果を受け入れる覚悟があるため、わりと占ってもらってありがたいとか、なんかすごいことが起こってるんだなあと関心して見ていました。
しかし占う側に回ると判定が微妙な時などにやはり不安が出てくると思いました。今回はそれなりにハッキリ結果は出たつもりなのですが、あまりに普通の答えだったので私はちょっと不安になりました。
またこういったことを本業でやっていくのはやはりしんどいんだろうなって思います。お金の計算をしながらやるとハズレそうで怖いなあと思ってしまいます。
そしてやはりプライバシーのある情報を使って占うためお客さん側に配慮がいるなって思いました。正直占う項目が「結婚相手に最適な人」でもその質問項目がプライバシーにかかわる事柄で、かつ候補相手の個人情報もガッツリ必要なわけです。そんな中、原理や理論を知らない状態で占ってもらうのはきっと不安だろうと思います。なのでこれからも希望者がいれば占いってみたいですがなかなか機会がないかもしれません。
占いは需要はきっとこの先もある
ただ占いは先行き見えないこの先の社会では需要があると思います。
自分のためにも、周りの人のためにも占いのスキルを身につけて判断を客観視するツールを持つイメージで日頃から取り組むといいのではないかと思います。