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高校の友達がアーティストとして食えるようになっていた話
先日、京都に桜を見にいってきた。
京都につくなり天気が悪くて微妙かなあと思っていたら雨が降り出した。
そのまま、まず松尾大社にお詣り向かう道中、歓迎の虹が出てすごく嬉しかった。幸先のよい旅だった。絶対良いことがあると確信が持てた。
京都に住んでいるはずだった高校のときの友達と連絡を取り家に泊めてもらえることになった。
彼はアーティストとして活動していて、それを今も続けている。
自宅がそのままアトリエなので彼のアトリエにあがりこんで一晩話をした。
彼は高校の頃から変わり者でシャイなやんちゃ坊主だったが、荒々しさが消えて哲学的な考えや独特な経済感、価値観を形成していて話をしていてすごく今のほうが面白い。
けっして、勉強はできる方ではないが読書を欠かさないことが話をしていてよくわかる。
かれは京都の某芸大で学生生活を送った。しかし、経歴的に一流でもないのでアーティストとして活動していることを聞いたときはかなり驚いた。
もちろん、数年前に会ったときは食えてなかった。アルバイトをしながら、貧乏生活をしていた。
その時はまだトゲトゲしさがあり、一般的な価値観からものを喋っているところもあって、あまり面白いやつとは思わなかった。
投資や不動産の話なんかもしていて少し人生の目的もぐらついていた。アーティストを辞めたいとも言っていた。
しかし、今も彼は京都の片隅の静かな場所でアトリエに篭ってひたすらに絵を描いている。
それも家中を絵の具で汚しながらとか、そういう派手さが全くなく。家の中は必要最小限のものしかなくてサッパリしている。
そして使っている画材もアクリルガッシュとか誰もが図画の時間で手にするものも使って制作していた。
「京都はアーティストの活動の場としていい場所だろう」と彼に話しかけた。しかし彼の顔はしかめっ面に変わっていた。
京都の人は目だけが肥えて金は出さないが口は出す人しかいない。有名どころしか置かないアトリエばかりだという話を聞かされた。
彼にアーティストとしての活動をさせているのはほぼすべて海外のお客さんなのだという。
意外にアジア人が多く、具象画だから西洋人にはうけないと言っていた。
そして彼自身も自分の描いているものがいいと思ってないようだった。
正直なにがよくて買ってくれるのか。この絵は投資目的で買っているのかとかそこすらわからない。そして言葉すら通じない。
言葉も通じないから通訳をつけて話している。そして聞かれるのは特筆すべきことでもないごく普通のことなのだという。
彼の絵を集めた部屋を用意してくれた人もいるのだという。知り合いのアーティストの中には、庭に教会を移築してそこにあなたの作品で埋め尽くしたいと言ってきたお客さんもいるのだという。
スケールの違う話に戸惑いながら、自分が現実と思って暮らしている価値観や常識などは薄っぺらい嘘のように感じた。自分が思っているよりも世界は大きく広いのだろうか。
彼の専攻は日本画だったので、当然膠や岩絵の具を扱って描いていた。日本の美大芸大には、油画と日本画という絵画科の2大専攻がある。しかし、海外からみてこの分類は変なのではないかと私は思っていて彼にぶつけてみた。
すると、油画であっても結局、日本人の絵画、日本画と言えると彼は言い。日本画と呼ばれているペインティングは正直海外ではあまり認知されていないのだという。
そして日本の中で有名になっている画家たちは海外ではほとんど無名なのだと話してくれた。
しかし、有名無名がすごいとか偉いとかにつながるわけじゃないと言う。
東京にきて、たくさんの人がいる中で「名をあげなければ」「多くの人に認められることをしなければ」とか考え始めていた私にとってその言葉は目を醒めさせる一言だった。
小さい頃からわかっていたはずの言葉。でもそれがなぜ今この瞬間胸に響くのか。
それは時間のせいだろう。わたしはそれなりに歳をとり、はからずもそれなりに経験を重ねてきたのだ。
自分のありのままでいい。そうでなければ何なのだろう。
たくさんの人の集まる場で、多くの人に認められるような夢を語る。そしてその場のひとに肯定されながらみんなとワイワイ騒ぐ。
全然おかしいことじゃない。むしろいいことだ。
でも、なんだか気持ち悪い。居心地が良くない。
自分にとって人に認められることは本当はどうだっていい。そして自分のやりたいことも特にない。
それが本当の私自身。
でも気まぐれに何かいろいろやってみたりする。やってて楽しいことはそれなりにある。
たとえ、それが誰かのためにならなくてもいいじゃない。
ことにこだわらず。自分の中から生まれる衝動を素直にカタチにしてみようか。
その善悪は世の中が決めてくれる。
無理によいことにこだわる必要もない。悪いことだと嘆く必要もない。
素直に生きていいと思う。誰かの都合の悪い人間だからとビクビク怯える必要はない。それでもし、なにか責められるのならその場を去る。それだけだ。
彼はもくもくと絵を描き続けていた。
京都という都会の中にいながらあまり人と交わらず。海外向けの絵をもくもくと描きつづけている。
彼のその静かな姿勢に羨ましさや悔しさなんかない。ただただ、できることをもくもくとやっているのだから。