第19回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~Everything's gonna be alright~
『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第十九回
ステージを覆い隠す閃光の隙間を
埋めるように、
ピッチ補正のかかったコーラスが、
ピアノ和音のベースに乗って流れ出す。
「エビティンハスビンワーノブライ
エビティンゴノビーオーㇽワイ
エビティンハスビンワーノブライ
エビティンゴノビーオーㇽワイ・・・」
一部の観客からは
待ってましたとばかりに歓声が起こる。
ステージを埋める閃光のカーテンが
左右へと切り分れていき、
その中央に漸くピールが姿を現す。
五人はメタリックな
ゴーグルヘッドセットを装着して、
わずかに体を揺らせながら
横並びに立っている。
左端のデリは
カウンターにセットした電子ドラムを、
右端のナカジマはキーボードを、
それぞれ打ち込んでいるがために
両サイドだけ見た目に動きがある。
ギターとベースはヘッドセット内から
打ち込んでいるのだろうか。
何人かの観客は、
聞こえてくるボーカルに合わせて
手を上げ左右に振りながら
歌詞を口ずさんでいる。
雰囲気で歌っている人もいれば、
間違いなくこの曲を知っていて
口ずさんでいる人もいる。
この日のために予め
プライスレスサイトから
ブート盤のライブ音源を
入手したのかもしれない。
左右に分かれた閃光の束も霧と化していき、
ステージ上空へと昇華していった。
姿を晒したステージ両脇には、
先ほどの三輪車に乗ったゴリラが
左右に一頭ずつ全く同じ容貌で
観客の方を向いて立っていた。
頭が天井に付くほど巨大なその二頭は、
ピールの新曲に乗って
愉快そうに鼻歌を唄いながら踊っている。
マッピングではない、
ペッパーズゴースト的な
錯視効果を利用しているのだろうか。
三輪車のタイヤが
トランポリンの上でも飛び跳ねるかのように
空中に打ち上がっては
回転やひねりを加えて着地する。
それまでは気付かなかったが、
この三輪車は乗り物ではなく、
彼の脚なのだ。
三輪車にペダルはなく、
言うなれば三輪車という器に
ゴリラらしき上半身が
すっぽり収まっているような感じだ。
それが実に楽しそうに鼻歌を唄ってみたり、
ステージ両脇でトランポリン技を
披露してみたりしているのだ。
巨大ゴリラの双子たちは、
中央にいる小さなピール越しに、
全身を呻(うめ)かせて
文字をやり取りしはじめた。
「Everything has been one of light
Everything's gonna be alright
Everything has been one of light
Everything's gonna be alright —— 」
先程散ったはずの閃光が
ゴリラの口先前方で
文字を模(かたど)り始める。
弾み躍る左ゴリラの
口から頭から目から手から
ビームのように出力される文字群。
跳び舞う右ゴリラの
口から頭から目から手から
バキュームのように受信されていく
意味を成す文。
文字を得た地上の群魚(客達)は、
ピールの発信するオートチューンボイスに
被せるように意味ありげに歌い始める。
中央に立つナギィが、
様変わりしていく曲調を
ヘッドセット内で
マニピュレーションしている。
ディヒューマナイズされた
スネアドラムの連打音が加速を極めていく。
トランス状態に
持ち上げられていくテンションに
意識が高揚する。
スネアロールに絡まった電子音が突如、
キューの連打音のようにループしはじめる。
再生を躊躇するループ音に合わせて、
ステージ上のピール達が突然、
壊れた映像のように
ジリジリと一時停止を繰り返し始めた。
所々にブロックノイズを散らすピールの姿に
見入るしかない僕達は、
演出なのかアクシデントなのかを
遠慮がちに疑う。
そもそもステージに立つ彼らが
小刻みに震えて
フリーズ状態になっていることからして、
目の前にいるピールは
虚像なのだということを
直感しないわけにはいかなかった。
電子ドラムを打ち構えている
デリの上半身と右腕も、
小刻みに震え続けたまま停止している。
隣で紗英さんが、
僕のTシャツの裾を
引っ張るので振り向くと、
困惑した視線を僕の両目に
ねじ込んできた。
何か喋ったみたいだったが、
脳内を侵食するループ音に掻き消されて
何と言ったのか全く聴き取れなかった。
聞き返そうとしたその時、
前方、ステージの左側から、
猛烈な強風が押し寄せてきた。
予期せぬ風圧から、
咄嗟に顔を背ける観客達。
僕は一度伏せた頭を上げると、
逆立つ睫毛の隙間からなんとか
ステージ上を垣間見ようとした。
左で飛び跳ねていた巨大ゴリラの半身が
琥珀色の粒々に覆われているのが見える、
と認識したのも束の間で、
どんどんその琥珀色の小さな何かの群は
ゴリラの全身を覆っていった。
琥珀の群れは
どこからかやって来ているのではなく、
ゴリラの身体自身が
それに変っていっているらしかった。
まるでオセロの黒い石が
端から順番に白に裏返されていくように、
あっという間にゴリラの全身は
ふさふさした何かで覆われてしまった。
遠くてよくは見えないが、
群がっている粒々達は
じゅわじゅわと動いて
生きているように見えた。
侵食はあっという間だった。
中央に並ぶ五人も左端から順に
ふさふさした何かに覆い尽くされて行き、
最後の右端のゴリラも頭部から順に
粒々に侵食されていった。
琥珀色に蠢くピールらしきシルエットは、
横から吹き付ける強風に呼応して、
今にも飛ばされそうな様子で
凛々しく揺れている。
「蜂?」
上がり切ったトランス音がスパークして、
透明な余韻が会場を包んだ。
一瞬できた音の隙間の底で、
紗英さんの呟く二文字が聞き取れた。
音の不在を狙ったかのように、
ピール達を覆い尽くしていたふさふさが、
強風に乗って左から順に
瞬く間に飛び散らかっていく。
観客の頭上目掛けて音が飛来する、
無数の蜂とともに。
ステージ上から
こちらを目掛けて飛立つそれらは、
どうやら
ヒゲナガハナバチであるらしかった。
「シロスジか?ニッポンかな」
背を低くして
蜂から身を避けようとする
周囲の客とは正反対に、
蜂の種類が知りたい僕は
手を伸ばし掴み取ろうとしたが、
蜂の大群が
手を掠めていく感覚はあるものの、
広げた手を握っても握っても
一向に掴み取れなかった。
上空を掠め往くヒゲナガハナバチたちは、
大聖堂なんかにあるような
威厳のあるパイプオルガンの調べを
洪水のように観客に浴びせながら
飛翔していく。
体幹の徹ったブレの無い立体音は、
僕らの身体の方向感覚を惑わせていく。
最終的にヒゲナガハナバチたちは、
巨大なオルガン音を携えたまま
中央に置かれた白い球へと
引き寄せられていき、
蜂に群がられた球は、
一瞬で蠢く琥珀色へと変容してしまった。
パイプオルガンの眩し過ぎる共鳴音は、
蜂の収束とともに
おぼろな三和音へと移ろい往き、
その奥には
夜を連想させる虫の声が
途切れ途切れに聞こえていた。
ひとつの音楽が終わりを迎えたようだった。
ステージ上のピール達は
演奏を止めているらしく、
こちらを向いて突っ立っている。
正確には、
蜂の大群で覆われてしまった
会場中央の大きな球を見詰めている、
というかんじだ。
いつの間にか風は止み、
観客の中には
次なる変化を察して
辺りをキョロキョロ見渡す人が
ちらほら見受けられた。
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