友達の結婚式を終えて。
こんばんは、イイホシです。
昨日は友達のモッコリとゆりえちゃんの結婚式に参列させてもらって、とても感動的な1日を過ごしました。
終わって欲しくないなというか、打ち上げ終わりに襲われるあの独特の寂しさみたいなのを久しぶりに感じました。
なんだかんだで付き合いの長い2人だから、もちろんその式にやって来る人たちも付き合いの長い奴らばっかりで、同窓会みたいなそんな空気に包まれていました。
皆にまた会えるきっかけをくれたモッコリ夫妻には感謝したいなと思います。
あびが友人代表で挨拶した時、14年前の記憶が鮮明にフラッシュバックして、涙が止まらななかった。
思えば、ずっとバンドがしたいと思い続けて、アコギを持って弾き語りをしていた高校時代。
それからもずっとバンドに憧れて歌い続けていて、初めて出来た同世代の友達がリリィジョンだったなーとか。
宮崎市内のカリーノ前のTテラスでの屋外イベントで共演したのがきっかけで仲良くなって、初めて声をかけてくれたのはギターのコウタやったなーとか。
そのリリィジョンってバンドにモッコリとゆりえちゃんがいて、武吉ってボーカルとギターのコウタがいて。
その全員が昨日、式場にいた。
それだけで自分の生きてきた時間と結婚式の映像とが混ざり合って泣けてきた。
皆、どこかしらで誰かと誰かが喧嘩していたし、仲は良くなかったのかも知れないけれど、なんだかんだ毎週タリーズに行けば誰かしらがいて喋って飲んで。
よく分からないけど不安定で安定してた関係性が、
あの時の俺らには必要だったんだと思う。
バイト終わりのモッコリから
「今日、ニューレトロで大学生イベントあるから、パンチ見せに行こうや」
と連絡が来て、出演者でもないのに打ち上げに参加して散々散らかして帰る。
今考えると、コンビニで買った赤ワインを抱えて街を徘徊してるロン毛2人って、まあまあやばかったなと思う、、笑
その度、また喧嘩して、酔い潰れて外で目覚めて。
繰り返し繰り返しそんな時間を過ごして。
ずっと悶々としてたんだろうなー。
お互いにお互いの悶々としてる部分、納得できない部分、そしてリスペクトしている部分。
それがあったから、言いたいことを好きなだけ言い合って、好きになって嫌いになって。
どこかで「うんうん、わかるよ」って気持ちがあったから継続した関係なんだと思う。
知り合った当時、
「女性ベーシスト、、、かっけえぇ、てか、めっちゃシュッとしてるぅぅ」
って思っていたから、ゆりえちゃんに話しかけれなかった笑
なんか緊張するというか、スター性があったから気安く声かけれないなと思っていたりした。
仲良くなってからは凄いスピード感で距離が縮んで、うぇーい!ってなったんやけど、初めはそんなだった。
よくよく思い返せば、ライブハウスで俺がダークモードに入ってる時にゆりえちゃんに遭遇することが多くて。
その度に喫煙所で
「たつろーさん、元気?」
っていつも声かけてくれた。
「おめぇも色々あんだろー」って分かっててくれてるから、深くは追求してこないし、分かってくれてて声かけてくれてるんやろなーって伝わっていたから、俺も力が抜けて相談やら話やらできて。
いつも「がんばろーぜ、たつろー」って言ってくれるのが励みになった。
どんだけ2人には世話になっただろうか。
そして、俺よりもっと近い距離で関わっていた あび の気持ちを考えたら、また涙が止まらなくて。
ハンカチいらんやろ。って思ってたけど一応持って行っててほんとによかった、笑
お互いの名前を呼び合い初めて14年になるらしい。
本当に色々なことがあった。
けど、色々なことがあってよかった。
こんなドラマチックな日に出逢えたのだから、全てが存在して然るべきだったのだろうと思う。
誰かの人生のクリップの中に俺が居て
俺の人生のクリップの中に誰かが居て
誰かを想うときに自分を思い返して
自分を思い返すときに誰かを想って
人生を生きるというのは誰かの人生を生きるのと同じ意味なのだろうなと、
そんな風に「人生」のドラマは繰り返されていくのだろうなと思った。
歳を取って許すことが出来る事が増えたから、絶対に許せない事がはっきり分かるようになった。
歳を取って、当時は気付けなかった自分の一部になるピースを拾いに戻って、無駄じゃなかったと思えるようになった。
病める時も健やかなる時も
富める時も貧しい時も
迷った時も立ち止まる時も
悔しい時も歯痒い時も
許せる時も許せなかった時も
友達として、愛し続けることを誓います。
ずっと友達でいてくれて、ありがとう。
これからもよろしくお願いします。
モッコリ、ゆりえちゃん。
ありがとね。
おめでとう。
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