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Iris

ねぇ。キミは覚えている?
ふたりが過ごしたあの夜を。
そう問えたなら、どんなに楽だろう。

その答えがどうであれ、僕は抱え続けた疑問や不安にひとつの結末をつけられる。この胸をもやもやと苛み続けた痛みから解放される。そんな気がするんだ。

きっかけは些細な遊びだった。
誰かが仕込んだ宝の地図。見事、財宝を最初に見つけるのは一体どの子か。いつもの暇つぶし。僕は今度こそ一番手になると張り切ってた。だから正直、無理矢理ついてきたキミのこと、少し邪魔に思ってたんだ。

今にして思えば、そんな焦りや苛立ちが良くなかったんだろう。頭の真上から、影すら消しにかかる日差し。流れる汗と乾く喉。背中に感じるキミの苦しげな息づかいと気配。
煩わしさから飛び込んだ、森の静けさと涼やかさ。

判断力を欠いた僕は森を進んだ。
キミも僕を追い森へ踏み込んだ。

いつしか陽は傾き、あっという間に影が濃くなった。あたりを黒が覆い始めた。突然湧きあがった暗い雲。そこから大量の雨が降り出したころには、僕らは呆気なく道を見失っていた。もう、来た道すらわからない。

いつしか寄り添い、手を繋ぎ歩く僕ら。
初めて触れるキミの手の温もりと柔らかさ、その小ささに胸が高鳴ったような気もするけど、なんだか曖昧だ。しかもそれは最初だけのこと。すぐに最悪の現実が、ちっぽけな感情を消し去ったんだ。

たどり着いたのは、洞穴というより小さな窪み。そこで身を寄せ合い雨を避けながら、僕はキミの肩の小さな震えをどうしたら止めてあげられるかと、そのことばかり考えていた。

馬鹿みたいにいろいろ話した。キミも知らない僕のことを、洗いざらい。キミが笑ってくれるとホッとして、キミが何で笑うのか、何が好きなのか少しわかった気がして嬉しかった。必死だった。

いつしかふたり眠っていて、気がつくと朝。雨はすっかり止んでいた。魔法でも解けたように、そこからの帰り道はまっすぐに村へ戻ることができ、元の生活へ。そしてキミは僕から離れていった。

ねぇ。キミは覚えている?
ふたりが過ごしたあの夜を。
聞いてもいいかな。
どうしてあれから、キミは僕を避けているのか。

ーーーー
ねぇ。アナタは覚えているかしら。
ふたりで過ごしたあの夜を。
ふたりが別々の道を歩み出した、あの夜を。

あれからずっと、アナタの視線や想いを感じていた。でもそれに気づかないフリをした。もしもあの夜について話をして確認してしまったら、私はあの夜のことを認めなくてはならないから。だから、無視した。

2歳年上のアナタ。いつも私を置いて、どこかへ行ってしまう。でもあの日は特別強く、アナタを行かせてはいけないと思ったの。私はアナタが好きだった。だから失うのが怖かった。

アナタを呼ぶ声が聞こえる。私の手の届かないところから。他の誰にも聞こえない。アナタ自身にも聞こえていない。私だけが聞こえる声が。

幼い私が、年長の男子であるアナタについていくのは困難だった。正確には本来不可能だった。でも優しいアナタは懸命について行けば、決して置いていけないことを知っていただけ。

本当は連れて帰りたかった。
でも置いては行かない代わりに、いっしょに戻ってもくれない。それはわかってたの。だから森に、あの嫌な気配に満ちた森にアナタが入っていった時も止められなかった。できるのは離れず、ついて行くことだけ。

暗くなり、雨が降り出したよね。あのころは嫌な気配があちこちに溢れ出してた。アナタは常に、より危うい方へ進もうとしてた。私は必死で逆の方へと手をひいた。それが、あの場所への道とも知らずに。

突然ひらけた視界へ、その青は飛び込んできた。
季節はずれのアヤメの花。一面に咲き誇る花、花、はな。思わず立ち止まる私を、アナタは不思議そうに見つめていたっけ。その表情を今でも思い出せるよ。

私が疲れたのだと、アナタはそう心配してくれたのでしょう? アヤメの原へ入る手前に見つけた洞穴へ、アナタは私をそっと導いてくれた。そして凍えた私の肩を、そっと抱き寄せてくれたね。

しあわせだった。あたたかな気持ちが湧き上がってきた。幼かった私にはわからなかったけど、あの頃から私はアナタを愛していたのだと思う。

青い花は静かに風に揺れていたわ。いつの間にか雨も止み、月明かりが一面の原を照らしていた。隣で寝息を立てるアナタの温もりを感じて、なぜこの花をあんなに恐れたのか疑問に思うほど、私の気持ちは落ち着き始めていた。

突然、花が輝き始めたの。
七色の淡く小さな光が、花から花を渡っていた。それがどんどん近づいてくる。こちらに向けて光が進む。
とても綺麗だと思ったの。でも触れたくないと思った。近づいてくる光が、私たちを取り囲んでいるように。それはなぜか私にとって、祝福ではなく、鎖のように見えたの。

光がアナタの爪先に触れた。
私はそれを、懸命に避けた。

気がつくと朝日が私たちを包んでいたね。
晴れた空が木々の間から覗いて、アナタは元気を取り戻した。そして私の手を力強く引き、この村へと帰ってきた。その日、互いの親に叱られ、抱きしめられ、大人の話を突然されて。
アナタと私はその日から、兄妹になったのよね。

ねぇ。アナタは覚えているかしら。
ふたりが過ごしたあの夜を。

私たちはあの日から、家族として同じ道を歩き始めた。今日も一緒に歩み、生きている。
けどね?アナタは花の祝福を受けて、私は拒んだ。

私たちは何気ない毎日を共に歩み生きているけど、心は遠く離れてしまった。いっそ、この想いを私も忘れて、消すことができるなら…どんなに楽になれるだろう。

でもね。私は今夜も期待して眠るの。
あの夜のように、花がアナタを侵す前に感じた幸せを、きっと再び取り戻せる日を。明日の朝、そんな奇跡が訪れることを。
それまでは、おやすみなさい。愛しいアナタ。


from Aimer/Iris
2ndアルバム『Midnight Sun』収録 2014年

リクエストをいただき、物語を紡いでみました。
2ndアルバムの名曲です。

幻想的な風景(心象風景?)の中を歩んでいくふたり。それは夜に迷ったようにも、行き先を見失った逃避行にも見えて、聴くと心が揺れるような、安心するような不思議な感覚に陥ります。

闇は人を包み、光が人を惑わす。そんな物語にしてみました。楽しんでいただけたら幸甚です。

※ご感想などコメントいただけたら泣いて喜びます。よろしくお願いします。

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