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Night World 〜第二夜 導き手からの試験〜

「うわぁ…」

星の扉を潜り抜けると、砂浜とはまったく異なる固い煉瓦の踏み心地。花でしょうか、それとも果実?どこからか漂う甘い香りが、微かに。そして何より、目の前に黒々と広がる夜の森が、私たちを圧倒しました。その中を一本の煉瓦道がまっすぐに伸びています。

「ねぇ。あれは遊園地かな?」

隣で彼女がつぶやきました。道の先には色とりどりのイルミネーションがまとわり光る、私たちの2倍の高さはあろうかという柵が見えます。その向こうには何かのオブジェと吹き出す水が白く光を弾く噴水。そして木々の向こうに見えるひかりの大きな円は、まちがいなく観覧車です。

「そうに違いないよ!」
そう私が呟くと、
「そう。楽しい楽しい遊園地よ」
鈴の転がるような、高く澄んだ声が答えました。鼓動がとくんと跳ねます。突然の返答に振り返ると、黒々と先の見えない森の樹々の合間から、一枚のカードがゆらりふわりと舞ってきました。不思議なことにそのカードはいつまでも宙を舞い、いっこうに地面に落ちる気配がありません。

私たちはしばらくカードを見つめ、互いの顔を見て小首を傾げ、またカードを見るを繰り返すばかり。彼女は小さなポーチから細縁の眼鏡を取り出すと、「本当は、夜はかけている方がよく見えるの」と小さく笑いました。
そうしてまた二人で、先ほどの声の主は森の中かと様子を伺いますが、底の知れない闇しか見えません。

「ねえねえ。どこを見ているの、一体?」
再び鈴の音のような美しい声。クスクスと笑いを含むその声は、美しいのですが不安になる響きを持っています。
「まだアタシを見つけられないの?そんなことで、あの遊園地に行けるのかしら?」
声はすれども姿は見えず。左右ばかりか夜空まで見上げてみますが、声の主はどこにも見えません。どこかで鳴くフクロウの低い声で、私は不安で悲しい気持ちになってきました。

「これはいいわ。お馬鹿なお二人さん。アタシについていらっしゃい。いいところへ連れて行ってあげるから」
「いい加減におし。二人とも困っているじゃないか。悪ふざけはここまで。フレイヤ、おしまい!」
唐突に別の声が、鈴音の声をたしなめると、驚く私たちの目の前で、ゆらゆら揺れていたカードがぴょんと跳ねて止まりました。
「驚かせてごめんなさい。この子はいつも人をからかってばかり。心配しないで。今はボクが表面だから」
宙にピタリと止まったカードには、一匹の黒猫が。その猫が、私たちに話しかけていました。ふわりと浮かぶカードの上で描かれた黒猫がしゃべる。息を呑むには十分な驚きでした。

「この子は導き手かしら」
隣で彼女がそっと耳打ちしてきます。意味を知りたくて顔を向けると、眼鏡越しの彼女の瞳は、実に楽しそうな光を宿していました。
「導き手って、どういうこと?」
そう問うと、彼女はフッと微笑むとますます楽しそうな表情になりました。
「物語が始まるの。私たちが経験する、この夜の物語が、ね」
「あの黒猫が案内してくれるってこと? 私たちのことを?」
「そうだわ。きっと」
楽しそうに話す彼女のおかげで、少し肩のこわばりがほぐれた気がしました。私は誰にも気づかれないよう小さくそっと深呼吸をひとつすると、改めてカードの黒猫に向き合ってみました。猫に表情と言うと変な気がしますが、黒猫は確かに私を優しく見守っているようです。そこで気づきましたが、どうやら黒猫は右目が薄い赤、左目が緑のオッドアイでした。その美しく優しい眼差しが、私に勇気をくれました。

「ここは、一体…? そしてあなたは?」
そう訊ねると、黒猫はキュッと目を閉じて明らかに笑いかけてくれました。
「初めまして。こんばんは。ボクはフレイ。黒猫のフレイ。このナイトワールドの案内人を務めているよ。どうぞよろしく!」
そう言うと、スッとお辞儀をして見せてくれました。私たちがあいさつを返すと、その度に一人ずつへ恭しくお辞儀を返してくれて。その様があまりに美しく、それでいて可愛らしく、私たちはすぐに黒猫のフレイが大好きになりました。

「それで? あの遊園地の名前が、ナイトワールドと言うの?」
ゆっくりと回る観覧車が手招きをしているようで、私たちは実のところ駆け出したいほどにワクワクが膨らみきっていました。彼女の問いに、フレイが答えようとした瞬間。突然カードがくるくると回転を始めました。
驚いてみていると、やがてピタリと止まったカードに、今度は真っ白な猫が横たわっています。その目がゆっくりと開くと同時に、私たちはあまりの優美さに口をぽかんと開けてしまいました。フレイと同じオッドアイですが左目は青く、右目はフレイよりも濃く鮮やかで、そして妖しさを含んでいます。

まさに目を見張るほどの美しさ。フレイも綺麗な毛並みと体格をしていましたが、とても比になりません。毛の一本一本が輝き、小さな呼吸や鼓動に合わせて、ふわりふわりと波打つように見える。平面であることを忘れて、思わず手を伸ばしたくなる美しさでした。やがて白猫はゆっくりとした口調で
「アタシの自己紹介を素通りするなんて、あなたたちも兄さんも酷すぎるんじゃないかしら」
と、先ほどの鈴音の声で話しかけてきました。

「失礼しました。お名前を教えていただけますか?」
問うと白猫は舌で口周りをそっと舐め、
「フレイヤよ。白猫のフレイヤ。以後お見知り置きを」
それを聞き、小さく震えた私のことを見下ろしながら、フレイヤは満足げに笑っています。どうも苦手なタイプだな、と思いました。
「アタシが教えてあげましょうか、ナイトワールドのことを」
フレイヤがそう呟くと、カードの裏側から「勝手なことは許さないぞ、フレイヤ」とフレイの声が聞こえます。どうやら二匹は、一枚のカードの裏表に描かれているようです。

「たまにはいいじゃない。いつも兄さんばかり。アタシだって説明くらいできるんだから」
いやしかし、などと抵抗するフレイを無視し、
「ここはナイトワールド。夜空の中から見つけることができた者だけが訪れることができる、一夜限りの遊園地。この夜を抜けて朝を迎える時。あなたたちはひとつだけ、本当にほしいものを持ち帰ることができるわ」
とフレイヤは語りました。
「ひとつだけ?」
彼女が問うと、「そう。たったひとつだけ」とフレイヤは答えました。
「本当に欲しいもの、ってなんだろう」
私が問うと、フレイヤの瞳がキュッと細くなりました。品定めするように上から下へ、下から上へ。私のことを注視し、観察を始めたようです。

「あぁ。そのタイプね、あなた」
そう言われても困るしかありません。彼女と顔を見合わせつつ、フレイヤの言葉を待っていると、
「あなたのソレは、ちょっと見つけるのは難しいんじゃないかしら」
とニヤニヤし始めました。声の調子があまりに愉快そうで、こちらが怖くなってくるほどです。するとフレイヤは突然、
「じゃあ。テストしてあげる。ダメなら星の扉から今すぐお帰りなさいな」

ニャアァと、一際高い鳴き声が辺りに響き渡りました。次の瞬間、左右の森が迫り、ザワザワザワと煉瓦道を覆い尽くしてゆきます。気がつけば一面の闇。樹々の枝がゆく手を遮り、足元も見えません。隣に立っていたはずの彼女も、フレイヤとフレイのカードも。あんなに光っていたイルミネーションも、噴水の水の輝きも、大きな大きな観覧車まで!何ひとつ、どちらにあるのかさえわからなくなってしまいました。

梟の声が先ほどよりも低く低く地を這うように響きます。恐怖から座り込みたくなる気持ちと、座り込んだら一生ここから出られなくなるのではという別の怖さに挟まれて。頭をよぎるのは「この世界に、ひとり残される」という妄想。想像しただけで寒気が止まりません。足が震え、力が抜けていくのを感じます。重力さえもなくしたようで頭がくるくると回り、吐き気まで起きてきました。

「あの柵まで。あの見えていた柵までいけたら、きっと大丈夫。森はまやかし。真っ直ぐ進めばいいだけよ。行きましょう!」
彼女の声が突然聞こえてきました。ですが、その声も私の耳には小さく聞こえるばかり。前でも隣でもなく、上から聞こえているように感じたり。急に遠くなり、近くなり。とても立って近づけるとも思えないほど。耐えきれない!しゃがみかけた、刹那。

歌が、届きました。
小さく、震えながら。決して強引ではないけれど、温かくそっと手を繋ぐように。ひとりじゃないよと、教えるかのように。彼女の歌声が「こちらだよ」と私を呼びます。一緒に行こうと、隣にいるよと。私の中から湧き上がってきた温かなものが、腰や足をぐっと支えてくれることを感じました。目の前で互いに絡み付き合っていた枝たちが、ゆっくりと解けはじめました。

大切なものを、ひとつだけ。私が欲しいものは?

気づけば森は消え、私たちは煉瓦の道を踏みしめながら、そのナイトワールドに一歩ずつ近づいていました。彼女は隣で、小さく鼻歌を口づさんでいます。この声が、私をこの世界に戻してくれたのか。そんなことを思いながら、ずんずん近づいてくるエントランスに目を向けて歩みを進めます。
カードがひらりと後ろから視界に舞い込んできました。「まずは、あの園内列車へ」と鈴の様な声が導きます。

「忠告はしたよ。あとはなるようになる、さ」
美しい声は責めているような口調でしたが、少し笑っているようにも聞こえました。行くと決めたなら止めやしない。お好きにどうぞ、付き合うよ、と。

大きな鉄製の門を抜ける頃、小さな跨げるほどのサイズながら8両編成の機関車が見えてきました。
「かわいい! 行こうよ」
小走りになる彼女を追って、私も走り出します。

私のほしいもの。たったひとつの。

頭の片隅でクルクルと回る問いは、まるでフレイとフレイヤのカードみたいです。そこにある答えは見えるようで、見えがたく。私はどこかで見ることを恐れてるのでしょうか。

長い髪を弾ませながら走っていく、彼女の後ろ姿を追いながら。黒い森の影のように、先の見えない不安が少し、私のこころを掴みかけていました。

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