ポラリス

派手な音を立て、ジョッキがテーブルに叩きつけられる。隣テーブルのカップルがあきらかに驚いた表情で一瞬こちらを見て、倍のスピードで目を逸らした。

音を立てた張本人は目をつぶり、眉根に深いシワを寄せて俯くばかり。仕方なしにわたしは小さな声で「すみません」と社会人マナーを済ませておいた。

「なぁ。俺はもう、死ぬよ?」

声が大きい!
先ほどのふたりに加え、ひとつ先の席に座るカップルまでが、ぎょっした顔でこちらを見やる。それはそうだろう。店の雰囲気とは、はっきりきっぱりとミスマッチだもの。

わたしはもう一度、同じ台詞を繰り返すしかなかった。わたし自身は何も悪くないのに。
そう。どちらかと言えば被害者なのに。

裕太との出会いは大学だった。サークル棟の二階西端。夏は西日がきつく、冬は氷室と化す文芸サークルの一室。そこでお互いに新入メンバーとして同じ日に入部して以来の仲だ。

部室には一日中、誰かしらがいた。
狭い部屋の中で麻雀卓を囲んだり、誰かが持ち込んだ雑誌を眺めたり。あの教授がどうした、あのふたりが付き合ったの別れたのといったたわいない時間の浪費が一番多かったけど。時にはサークルらしく皆がタブレットやらPCやら原稿用紙に黙々と向き合う時間もあった。

ウチのサークルは割と健全で、男女の比率は半々ほどだったが、内部のドロドロとは無縁。そういうことに無関心なわけはないけど、サークルの外でそういうことは行われていた。互いの本音や素顔が作品を通じて露わになりすぎて、そんな対象とみれないのが大きな要因かもしれない。

わたしにとっても居心地の良い空間だった。なかでも特に遠慮なく、何でも話せるのが裕太だった。向こうもそう感じているらしく、ふたりでつるむことも多かった。

極度の恋愛体質と自称する裕太は、しょっちゅう恋をしていた。常に、と言ってもいいだろう。片思いで終わることもあったし、成就もそれなり。勝率4割といったところか。なぜ、そんなことをわたしが知っているかと言えば、そのすべての過程を聞いてきたから。

そう。ひとつの恋が終わるたびに、その素晴らしい過程をストーリーにして、裕太はわたしに語るのだ。ミカコの声は最高だった。サチは本当に優しかった。ヨッちゃんの手料理は絶品だ。素晴らしかった彼女たちを誉めそやし、失ったことを涙する。今夜のように。毎回。

「なぁ、聞いてんの? 死んじゃうよ?」
さすがに場所をわきまえたのか、裕太は少し声のトーンを落とした。
「はいはい。聞いてるよ」
「アイツなしで、どう生きていくんだよ?」
「大丈夫だよ。裕太は」
怪訝そうな顔をこちらへ向けてくる。あぁこの顔を、これまで何度見てきたことか。
「毎回そう言ってる。生きてけないって。でも裕太は、今も生きてる」

「おまえはわかってくれると信じてたのに」
ふてくされたような表情。甘えているのだ。これもいつも通り。
「わかっているさ。裕太のことなら。誰よりね」
そう言うと裕太はニヤリと笑って、ふたり同時に
「歴代のどの彼女より、な」

そして爆笑。店中がこちらを振り返る。店長らしきダンディが顔を覗かせた。さすがに追い出されるだろう。でも、それでいいんだ。これがルーティン。裕太はこれでまた、明日から吹っ切れる。いつも通り。

タクシーでふたりして、わたしの部屋へ向かう。酔っぱらいに肩を貸し、いかがわしい客引きをあしらい、タクシーを捕まえ、苦労したわたしの隣で裕太は幸せそうに眠っている。どうにも憎らしくなって、軽く頭を小突いてやった。

「おまえがいてくれて良かったよ」
突然の言葉に驚く。この酔っぱらいは何を言い出すんだ、まったく。
「いつだって。これまでも。おまえがいてくれなかったら、俺はひとりだったもんな」
やめてほしい。酔っぱらいの本音なんて聞きたくない。
「おまえがいてくれるから、俺は安心して帰る場所が見つかるよ。いつもあんがとな、親友」

言いたいことを言って寝るなよ、馬鹿。
夜の街を走る車内で、こんなに夜も人が溢れる街中で。隣にはかけがえない人もいるのに。気持ちは決してどこにも誰にも伝えられずに。見抜かれることに怯えて、ひたすらに隠して。

わたしは、ひとりかもしれない。
でも裕太、あなたに「ひとりだ」なんて言わせない。どんなに暗い闇の中でも。明るすぎて目が開けられない光の中でも。大海で道を照らす星のように。

わたしはあなたのそばにいるよ。
だから今は、朝までゆっくりおやすみなさい。


from Aimer/ポラリス
収録アルバム『After Dark』2013年

この曲も私にとって大切な曲です。

海をゆく小舟に揺られ、夜を漂う。陸も先も見えず、不安も尽きない。心折れそうになることもある。けど、ひとりであることを知りながら、ひとりではないことを信じて寄り添う。手を伸ばす。

近年発表された一曲「グレースノート」にも、こうした想いは反映されていると感じています。また個人的には、2015発表の『DAWN』収録の「キズナ」はこの「ポラリス」のアンサーソングと捉えています。よろしければ是非、併せてお聴きください。

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