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家路を辿る

日の暮れかけた歩道脇の駐車場で、兄妹が縄跳びの練習をしている。交互にひとつの縄跳びを使い、二重跳びの回数を競っているらしい。歳のころは中学、いや小学校の高学年くらいだろうか。

順調に回数を重ねられる兄に対し、妹の旗色はすこぶる悪い。跳べて四回、いや三回。一度の挑戦で毎回、十数回を跳ぶ兄とは比べるべくもない。

喧嘩にならなければいいけど。
そんな風に思っていると、そのうち妹は片手に両方の持ち手を持ち、兄へ体の横面を向けて片手で縄を側面でくるくると回し始めた。回る縄に合わせて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる妹。当然リズムもあってはいない。

兄はケラケラと笑いながら、妹の華麗な「二重跳び」の回数を数え始めた。ひゅんひゅんと音を立てて回る縄と笑いながら数を数える兄妹。ここだけ見ればおかしな光景だ。

だが私にはふたりのたわいない「遊び」が、ひどく懐かしく、それでいてひどく身近な近況のような不思議な気分を味わっていた。

目の前にいる、当たり前に信じられる存在。特別なネタも出来事もなくとも、些細なことで安心し、笑いあえること。それは幼い頃の遠い記憶であり、今なにより大切な日常だ。

すっかり暗くなった道を歩き出し、明かりに沿って家路を辿る。今しがた見た兄妹の戯れが、街灯以上に私の道を灯してくれていた。

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