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夜行列車〜nothing to lose〜

「どうしてわかってくれないの?」
I've nothing to lose, nothing to lose at all.
大丈夫。大丈夫だ。私は何も、失ってなんてない。

ゆっくり動き出した車窓から、いつもの見慣れた駅が見える。車の運転が苦手だった父。それを笑みを浮かべながら揶揄う母。ふたりはそれでも私を連れて、休みになればこの駅から、こことは違う場所へと私を連れて行ってくれた。

いちめん黄色な菜の花畑。
小さな入り江の綺麗な砂浜。
大きな草の坂道を駆け降りた公園。

いつもお供には電池式の小さなラジカセ。そして母特製のサンドイッチ。虹色のレジャーシート。
シートで「陣地」を構えてしまえば、そこが臨時の我が家になった。

ラジカセからは父セレクトの曲たち。オールディーズから最新曲まで、新旧問わず父のお眼鏡にかなえば仲間入り。サンドイッチを頬張りながら、私と父が口ずさむ。母はせわしなく食事と歌唱を繰り返す私たちを、困ったような笑顔で見守っていた。

季節が変われば違う場所へ。あるいは同じ場所でも異なる姿を。ふたりはたくさん、私に見せてくれた。
そしてふたりも。互いの絆をそっと、確かめ合っているのが幼い私にも伝わった。
それが、何より私はうれしかった。

かたん、かたん、かたん、かたん。
ここちよく耳に届く車輪のリズムが、過去の自分を呼び起こす。思い出すことなどなかったのに。思い出すことは苦痛だったのに。なぜ、いま?

ある夏。地域の集まりとして、学校でのお泊まり会が行われた。いつも通う、いつもの教室。でも友人と集まり寝袋に潜りこみ、電気を消して月あかりが忍び込んできた教室は「いつも」では決してなかった。

私はあの光景を生涯忘れないだろう。その後に先生が駆け込んできて、私の今が別のものへと変わった瞬間だとしても。それでも、あの夜の教室は美しかった。そう。美しかったんだ。

それからは休みの日、三人で出かけることはなくなった。そもそも母に休みなどなかった。
車を走らせて仕事へ向かい、父の元へ立ち寄り、大きなショッピングセンターで買い物を済ませ、家に帰る。それでも母は笑って、助手席に座る私に「今晩は何が食べたい?」と尋ねていた。
立ち寄る場所がひとつ、減るまでは。

ガタン。
めずらしく大きな揺れと共に列車が止まる。お詫びのアナウンスの後に、終点のターミナル駅に着いたことを知らせた。ここで乗り換え。私は傍らに置いた鞄から、そっとポータブルプレイヤーを取り出す。

イヤホンを耳に入れながら、ふと車窓を見つめた。駅のホームとは逆方向にある窓の外は暗く、薄らと私の姿を写すばかり。

「どうしてわかってくれないの?」

窓に写る私がつぶやく。いや。つぶやいたのは今の私によく似た、あの日の母だ。
振り払うように窓から顔を背け、ホームに降りる。乗り換えは一番線。ホームの階段をゆっくりあがり、歩みを進める。声は私の頭の中で、ずっと繰り返されている。

「これでいいんだよ」
実際に声に出ていたのかもしれない。すれ違った人が、こちらを振り返ったのを感じた。知らず足が速まる。そして鼓動も。

「どうしてわかってくれないの?」
「これでいいんだよ」
「なぜわかってくれないの?」
「これでいいんだよ」
「そばにいてくれないの?」
「これでいいんだよ」

救いを求める手が揺れる何かに触れた。ポータブルプレイヤーのイヤホンスイッチ。再生ボタンを押す。カチャンと小さな軌道音が聞こえ、そして。

父がセレクトした曲たち。その中でもとりわけ三人がお気に入りだった曲。それが耳に流れてくる。
声は止み、視界が広がる。私はゆっくりとした歩調に戻り、しずかに一番ホームを目指した。

チケットの確認を済ませ、タラップに足をかけて列車に乗り込んだ。季節はずれの長距離列車は客足もまばらで、空席が目立っていた。
私は空いているあたりを選び、腰を下ろして車窓に顔を向けた。流れてくるメロディとリズムが、心を静かに落ち着かせる。もう鼓動も跳ねない。

発車を告げるベルが鳴る。ホームの灯りが少しずつ動き始めた。まだ知らぬ街へ。ここじゃないどこかへ。私を誰も知らないどこかへ。

「これで、いいよね?」

思わぬ問いが胸を打つ。いけない。心が揺れる。
あの声が、戻ってきてしまう。

「忘れ物はない?」
それは、さっきまでよりもっと鮮明な声。この数日、私が聞こうとしなかった、声。

「これでいいよね?」
「まだ寒いから気をつけて」
「これでいいよね?」
「着いたら連絡してね」
「これでいいよね?」
「大丈夫。きっと、また…」

私を見守る、あの笑顔。今は駄目でも、いつかきっとまた。その時はいつでも、と。

頬をつたうままに任せながら、私は甘えるように問いを続ける。聴きなれたメロディに包まれながら。あのいくつもの空を思い出しながら。両手に伝わった、ふたりの温もりを感じながら。

列車は月あかりの下、私の知る街から少しずつ遠ざかっていく。涙すらあのホームに置いてきたよう。それが誇らしくもあり、心細くもあるけれど。

I've nothing to lose, nothing to lose at all.
夜行列車は私を乗せて、まだ見ぬ新しい光へと走っていく。これからも、きっと、ずっと。


from Aimer/夜行列車〜nothing to lose〜
収録アルバム『Sleepless Night』2012年

UCでAimerさんと出会った私。どうしようもなく、この歌姫に惚れ込んでしまったキッカケとなった曲です。

歌と歌詞の裏側にある、どうしようもない想い。入り混じる感情。それらを私なりにすくい取って、物語にしてみました。
拒否する言葉だった「I've nothing to lose, nothing to lose at all.」が、旅立ちに際して肯定と希望の言葉になってくれればと思っています。

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