酩酊したアタマで。
久しぶりに外で、友人と飲んだ。
こんなこと、どれくらいぶりだろう。ちょっと記憶が追いつかないくらい昔むかしのお話みたいだ。
私たちの日常は大きく変わったらしい。
「らしい」というのは、結局そこに実感が伴わないからだ。確かに飲みに行かなくなったし、旅行なんて夢物語。友人と遊びに行くこともなくなったし、マスクなしで話せるのは家族だけ。テレワークが特別ではなくなり、春先の花粉に悩んでしていたマスクも、季節を問わない日課になった。
変わったといえば変わったのだろう。でも、どこか実感がなかった。「そうは言っても、いつか元に戻るんでしょう?」「こんなこと、いつまで続くの?」いつまでと言っている時点で、戻ることを前提にしていた。でも、きっと戻らない。
とりとめない話はフワフワとあちこち行き交い、笑って「良いお年を」と別れた。一見、以前と同じように。でも「帰るか」と話した直後にマスクをはめて、去り際の握手に刹那ためらう。その感覚は、簡単には消えがたい「変化」を痛いくらいに知らしめた。
一度傷ついた心の傷が、目立たなくなることはあっても消えないように。溜まった澱は底の方にじっと積もって消えることがない。
千鳥足で行く夜道は寒く、空気が美しくなったようで痛いし心地よかった。今日感じる変化すら、いつか過去になるのかなぁ。そんなことを考えながら、心の奥を見つめてみる。
変わることは怖くない。そこにはきっと、また新しい楽しみや幸せもあるはずだから。変わらぬ喜びを味わいながら、新しい楽しみをみつける。そんな風に歩けたら、それはきっと、とても幸せに違いないと思った。
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