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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

まるごと愛して

ディケンズのクリスマスキャロルの主人公、スクルージはクリスマスについて「bah,humbug」と宣うたのを、高校時分の私は「やべぇこんな孤独死待ったなしの老人にはなりなくない」と思った。
自分はコミュ障で厭世家のくせに人肌恋しくなる時があって、熊が山を降りるがごとくふらりと知らないもの同士の集まりに赴くことがある。まぁ気の合う人が一人でも見つかればいいな、という思いで臨むのだが、数日前に参加した会は何故だか冒頭の「スクルージになりたくない!!」という思いが強すぎて、モナリザ、どころかアルカイックスマイルで会話の大縄跳びを眺めるだけの時間を過ごしてしまった。
趣味の集まりというのはなかなか緊張感があって、なるべく蘊蓄語り人間にならぬよう宮沢賢治的精神を持って臨むと、本当にニコニコしてるだけのなんもつまらん空気となって終わってしまう。
頭ではものすごく文章を組み立てているのに、ほかの話題にいったりして、「ニンゲン、カイワ、ムズカシイ」と、森の中に棲むなんらかの妖怪のごとき気分に陥る。

過日、「彼女のいない部屋」のティーチイン上映会に行ってきた。マチューアマルリック監督が遠路はるばる挨拶及び質疑応答をしてくださって、もうなんだか本当に8月の推し来日以来の推し来日(2回目)でどうなってんのJAPAN!と心の中でニヤニヤしながら参加した。
ご多忙の中だったので直接お話はできなかったものの、濃度の高い時間を過ごせた。音と色彩のバランスが私好みで、フランス映画に明るくないけれど、フランスって二項対立から何か新しいものを生み出すっていう思想が根付いているのかしらむなどと思った。

作品内で彼女に起こった出来事を反芻しながら、自分が喪った経験をなぞる。監督は「同じ経験をしていても人によって記憶が違ったり、その記憶が薄れていったりする」と言っていた。

私には兄がいるが、最近やっと亡くなった母や、祖父母のことについてまともに話す機会があった。家族でさえも、同じ出来事で感じ方が違うのか、と思ったと同時に、自分の器質もあるけれど、自分は本当に愛を渇望していたのだと気づく。
そして、母が亡くなったこと、愛着に不安があること、器質的に不器用で繊細なことを自分なりにようやく飲み込めるようになった。本当のワタシ、デビューよろしく再生の一歩をようやく踏み出せたかなと思う。

文章にすると1000文字くらい余裕で達成するのにおしゃべりは相手を気にしてしまって全然うまくいかない。でもたまに自分の文章を読み返してみるとちょっとおもろいな、と思う時がある。文章婚、なるものをどこかの記事で見かけたけど、「おもしれぇ(文を書く)女」を需要とする人間にヒットすることを祈り、映画の感想をほとんど書いていないことに気づく。


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青井翠
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