挙銃を持っているのは私だった
先日の田原カフェで「SNSはナイフのようだ」という話になった。
果物を切り分けて人を幸せにすることもきるし、挙銃のように人を殺すこともできる。
私はどちらかというと前者の使い方をしているつもりでいて、受け取る側からすれば後者の使い方だったことを、最も近しい人との対話の中で知った。
綺麗な言葉で、飾り物のナイフで切り付けて、実態は錆ついたナイフで傷口はボロボロで、傷つけられた側は今も苦しんでいる。
大切な人を傷つけた本人である私も、過去に生きて苦しんでる。
お互い傷ついて、地獄みたいだなあと思った。
過去はしょうがなくて、いまを生きるしかないんだよね。
それでも生きる過程で、些細なことがトリガーになって過去に引き戻される。音、声、匂い、視覚、生理的欲求の抑圧。
聞き方がいけなかったし、聞くべきでなかった。
生きてる間にあと何度こうなるのかと考えてしまうし、生きるのさえ怖くなる。早くただの過去にしたい。
「いまが幸せ」
「過去があったからいまがある」
「いま幸せなら過去にも感謝できる」
言い聞かせてる言葉を、本心で言えるようになりたい。
■余談
写真は、喫茶店のマスターがサービスでくれたチョコ。
こうゆう存在になりたい。