【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第20話 捌け口
雪ちゃんが帰った後、新宿を目指した。
駅から降りるとやけにいつもと様子が違う。西側に広がる空気が重苦しい。
不安を感じ、西新宿にある家へと足を進めると、白い煙と焦げ臭い匂いが近づかなくてもわかるくらいに立ち込めていた。おまけに家の周りには人だかりが出来ている。
「ボヤ騒ぎらしいわよ」
「燃える素材じゃないのにねぇ……怖いわ」
あれは、私の住んでいるマンション!
慌てて中に入ろうとしたが、バリケードを張っている警察官に立ち入り禁止だと止められた。
「君、まだ鎮火していないから立ち入り禁止だよ」
「あの、この先に私の住んでいる部屋が……!」
「火元は3階だが、4階は3部屋全焼、5階の子供を今救出している所で、一般人はとにかく安全が確保されるまで入れないよ」
「だめ……ダメ! あの部屋に大事な物が……!」
「ちょっと、君! これ以上暴れるなら、職務執行妨害で逮捕になるよ!」
「嫌……嫌ぁ……!」
ドンッと大きな爆発音が響き、赤く燃える火はさらに強くなった。遠くから小さな女の子の泣く声も聞こえてくる。
今もなお消防士が数十名体制で梯子を使い救出している。柱となっている木造部分は完全に焼け落ちており、建物全体が崩壊しそうな状態であった。
忍がバドミントンをやっていた頃に得たトロフィーや、優勝した頃の写真や記念品を実家から回収し、今まで大切に飾っていた。
これだけの大火事だ。多分、何も残らないないだろう。
「お嬢さん、大丈夫かい……?」
警察官の声が段々遠くなっていく。完全に足の力が抜けて崩れ落ちた私はその場から動けなくなっていた。忍との大切な思い出を、これで全て失ってしまったのだ。
────
「だから早く一緒に住もうって提案したじゃないか」
「ごめんなさい……色々整理したくて。結局荵さんに迷惑かけてしまったけど」
住んでいたマンションはほぼ全壊。あれだけの大火事だ。状況を知った荵さんはすぐさま現場に駆けつけてくれた。
困っている警察官の横で憔悴している私をすぐさま抱き上げ、不動産の仕事で寝泊まりしている自分の部屋にそのまま招き入れてくれた。
酷い格好だった私には新しい衣服がすぐに提供され、荵さんは店長にマンションの火事と今の私の経緯を全て話してくれた。
店長は私に変わった電話越しでも荵さんに任せてゆっくり身体を大事にしなさい、と優しい言葉をかけてくれた。
「不幸中の幸いというか、火事の時に麻衣が家に居なくて安心したよ。まさか鉄骨のマンションが完全に焼けるなんて……」
荵さんにとってもあのマンション火災は予想外の事だったらしい。彼はホストだけではなく不動産も兼務しているので、この周囲の土地や建物の内部についてかなり詳しい。元々鉄骨で造られているはずなのに何故木造部分が見え隠れしていたのか。
かなり古い建物を何度もリフォームしているので、古い資料を改ざんされたり、知らない部分があったのかも知れない。
「荵さんが居てくれて、本当に良かった……」
「麻衣の役に立てて嬉しいよ。怖かっただろう。落ち着くまでここに居て大丈夫だから」
何度も額へ優しく口付けられ、私は少し安堵した。これ以上何かを失い、自分が独りになった時が一番怖い。
「ありがとうございます」
「本当に可愛いな。こんな状況なのに、また麻衣の事食べたくなっちゃった……」
────
また、気絶していたらしい。私は行為の後大体記憶が無い。柔らかい羽毛布団をかけられ、衣類も身につけてはいるが、身体にはしっかりと甘い気怠さが残されている。
身体も綺麗にしてくれているのか、荵さんが私にした痕跡は何ひとつ残されていない。
モゾモゾと身じろいでいると、シャワーを浴びた荵さんが白いバスタオルとガウンを緩く羽織ったまま部屋に戻ってきた。
「気がついた? ごめん、いつも無理させてしまうね」
「大丈夫です、ただ眩暈と吐き気が取れなくて……」
にこりと微笑んだ荵さんはいつものように私に貧血を治す白い薬を持って来てくれた。それを飲むと不思議なくらい身体が楽になる。
「う〜ん。日本の技術だと麻衣の貧血は治しにくいんだろうね。また辛い時はこの貧血の薬を飲むといいよ」
「荵さん……いつもありがとうございます」
「麻衣、もう少し僕と近い関係で行こうよ。敬語は不要だよ」
「努力するわ」
私の態度が柔らかくなった事に満足したのか、荵さんはいつもよりも嬉しそうに目を細めて笑っていた。
新宿の家を失った私は荵さんの事務所に囲われていた。元々部屋は無駄に余っているそうで、私一人転がり込んだ所で何も問題ないらしい。
荵さん──社長のプライベートエリアにはシャワー室もダブルベッドも完備されているので、私が改めて準備する物はない。
もう一つの家はまだ解約していないので、私はそこから仕事に通う事を提案したのだが、これをキッカケにここに住んだ方がいいと強く言われてしまった。
翌日、郵便局や区役所を梯子周りして荷物受け取り場所関連の手続きを済ませた。
荵さんには申し訳ないが、あの家はこれからも契約したまま定期的に帰る事を決めていた。私にも、一人でゆっくり落ち着ける場所がないと辛いから。
「区と市で手続きが色々と面倒なのよね……」
新宿区と西東京市は同じ東京の中にあるとは言え、管轄が違うので手続きが二つ必要になる。
市役所で2回目の手続きを待っている間、小さい子供が「ママ〜、ママ〜」と泣きながら歩いていた。
「ママを探しているの?」
私はしゃがんで泣いている少女に声をかけた。このまま放っておくのも可哀想な気がしたからだ。すると少女は警戒する様子もなく私ににこりと微笑んだ。
「うん。ママはね、夜のお仕事で、いつも綺麗にしているんだ」
「佳奈! 何処に行ってるの」
私が少女と話をしているとヒールの音を立てて近づいて来た女性が子供の頬を思い切り叩いた。
「全く……勝手にフラフラ動くんじゃないってあれほど言ったでしょう、帰るわよ!」
叩かれた少女を見て、よく母さんに叩かれていた忍が重なった。
何も悪い事をしていなくても親のストレスの捌け口にされていた忍。
「子供が可哀想……」
「……はあ?」
私の呟きが聞こえたのか、かなり場所に合わない派手な化粧をしている女性は私を激しく睨みつけてきた。
「子供は自由なんです、抑制する事は子供の可能性を潰すって気が付かないんですか? 何故暴力にすぐ訴えるんです?」
「他人の癖に何を──って、あんた、まさか……麻倉マキ……!」
女性はまじまじと私の顔を見て更に目つきを変えた。この人は2年くらい前まで同じ店にいて、ミカにいつもくっついて私を虐めてきた連中の一人だ。
私が荵さんに囲われてから、彼女は突然店を辞めた。てっきり他の店へ行ったのかと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。悔しそうに唇を振るわせ、私にさらに激しい憎しみの眼を向けて来た。
「あんたのせいで……あんたのせいで私は破滅したのよ! 消えて、今すぐここから消えて!」
いきなり胸倉を掴んできた彼女を止める事が出来なかった。荵さんを、彼女の働く場所を奪ったのは事実。
私は自分が楽に生きる為に、偶然好意を持ってくれていた荵さんを利用したのだ。
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