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お前は向いていないと言われたけれど
自分で選んで看護師になったわけでは無い。
ただ、その分岐点において、何度でも振り返って違う道を選ぶ余地はあった。
看護学校に入りいち早く担任から「お前は向いていないから早いうちに辞めた方がいい」と言われた。授業料も出してもらっているのにとんでもない話だと思い、何度もこの教師とは揉めた。三年生の最後、私の相手がとても手に負えないからと副担任が面談を変わった。
向いてないと言われてはいそうですかと辞められるものではない。
最初は医者に言われるがまま指示を受けて、その通りに看護していればお金が入る。
別に記録なんてなぞり書きだ。相手は家族でも恋人でもない。淡々と機械のように仕事をこなすだけ。
そう思っていたものが変わったのは、生まれて初めて「死」と向き合った時。
私は天国に一番近い病棟と言われる肺癌末期患者が当時満床で63名引き受けるパンパンの病棟に在籍していた。
毎日日付が変わるまでの仕事、急変が多く夜勤スタッフで足りない時は日勤だろうと手を貸す。
それでも、自分が役に立てるのならばと毎日睡眠時間も3時間を切り、朝は6時には出勤という過酷な状態でも仕事に対してやり甲斐を感じていた。
ただ甘かったのは、自分が死を間近で見てこなかったから。
毎朝、大体2〜6名お亡くなりになる。それは看護が云々ではなく、前述した通り肺癌末期の方と特定疾患で呼吸状態がいきなり悪くなる方しかいないからだ。
それでも、私が入職して3ヶ月は自分の担当が亡くなるという事はなかった。絵空事のように考えていたのかも知れない。
ついに私のところにも急変の波がやってきた。
5分前まで奥様とヤクルトを飲んでいた患者が、突然ケイレン発作を起こし、そのまま命を落とした。
私はバタバタする先輩と、別の部屋から心電図モニターを借りてきたり、医者を呼び心臓マッサージ。一体何があったのか全く理解できなかった。
そして突きつけられたのは、あなた部屋もちでしょう?との言葉。何を見ていたのか事情聴取された。5分前に定時静脈注射した時はヤクルト飲んでました。それしか伝えようがない。
死亡確認された後の奥様の声に私はますます怖くなった。先輩が部屋もちだったら、この人の異変に気づけたんじゃないか?と。
事実、この方の急変に気づいたのは一緒に隣の患者処置をしていた先輩であり、ナースコールをすぐに押して、救急カートお願いします、とだけ告げた。それからあのバタバタした処置だ。
私が部屋もちしたせいで、あの人は急変にすぐに気づいてもらえずに命を落としたのではないか、と20年経った今でも悔やんでいる。
ただ、それから私の看護の姿勢が変わった。
副師長が泣く私を見て、あなたが泣いてどうするのと怒った。
プロなんだから、ひとりひとりで泣いてたらダメ。ここにはあの人以外に63人の患者さんがいるんだよ。
そんな事言われても私だって人間だ。
ただ、あの時の涙は亡くなって悲しい涙ではなく、全く何もしてこなかった無能な私が、あの瞬間では本当に役立たずで、今までただの給料泥棒だったんだなと思い知らされた悔し涙だった。
それからきちんと勉強するようになった。はっきり言って、私が部屋もちしたせいで亡くなった「かも」知れない患者さんのお陰だ。
大嫌いな英語と数字(レスピレーターの仕組み)を必死にメモり、そもそも人工呼吸器というものは何か、仕組みとなぜ必要なのかという疑問を持ちながら色々な仕事に関わるようになった。
最初に看取りをしてから4年半の間に天国に一番近い病棟で600人近く看取ってきた。勤務移動しても年4〜6人は看取る。
望まないで単純に金を稼ぎやすい看護師という職場に入ったものの、ここでしか学べない人間ドラマは数えきれないほどあった。
私は教師から「看護師に向いてない」と言われたが、必要な看護師像とはどういうものなのかともう一度問いたい。
今の世の中であればAIがここまで発達しているのだから、最初の私のようにただ仕事を黙々とこなす人間が必要ないならばAIを否定する事になる。
かつての私が1人の看取りを間近で見た事で看護観ががらりと変わったように、人の命を患者家族様からお預かりしている身だと理解した上で関わるべきではないのだろうか。
私のように動機不純で入社したとしても、勝手に辛い現実に嘆いてドロップアウトして、デイサービスは看取りも無いし楽そうだからお小遣い稼ぎに来ましたというのは本当にやめていただきたい。
今の職場はデイサービスなので看取りではないが、どうしても辞めるお客さんに会うと涙が出るし、亡くなった方の家族さんが来ると初見なのに鼻水垂らして号泣してしまう。
とある方の家族様からは「初めましてなのに、母の為に泣いてくれてありがとうございます」と言われた。しかも一緒に号泣した。
20年間、やめて違う仕事を目指す道はいくらでもあった。途中、北海道から東京へ移動したくらいだ。あの時に看護師という選択から別の道へ行くチャンスはいくらでもあった。
でもそれを選ばなかったのは、根本的に人の命に向き合いたいからなんだと思う。
以前働いていたクリニックは地域密着型で、やはり毎日違う症状の近所に住む患者さんと触れ合う事がお給料云々ではなく、本当に充実していた。
20年前の私へ、教師には看護師に向いてないと言われたけど、この道を選んで沢山の患者さんと、デイサービスのお客様に「あんたがいないと困る」と嬉しい言葉を貰ったよ。
動機は母が看護師で、姉も兄も看護師で私に他の道を選ぶ権利なんて無かった。しかも見て覚える昭和的なやり方で新人指導も厳しいし休憩時間なんてあってないようなもの。
それでも、自分の仕事を振り返り、沢山の人と治療を終える度に泣いて笑って、看取って泣いて、おはようございます、また明日ね、と送り出す毎日。
私は、小学校六年生の時に母の顔を立てて「母のような看護師になりたいです!」と言った。
あの時は看護師になるなんて微塵も思っていなかったが、毎日私の明るさに救われてくれるお客様を見ると、ああ自分の選んだ道を捻じ曲げなくてよかったなと思う。