case-11- 問題児との戦い〜その4〜
case-11- 問題児との戦い〜その4〜
※スタッフの名前は全て私が便宜上適当につけた仮名ですので、ご安心ください。
あと2ヶ月で退院と言うのに、外泊訓練の後から彼のまた悪い癖が始まった。外泊訓練で久しぶりに美味しいものを食べると、人間また欲がでてくる。
元々食事指導の入っていた彼はカップラーメンの回数も制限されていたのだが、奥さんが来た時にカップラーメンをこそこそ持ってくるようになった。
しかも中途半端なタイミングでおやつのようにカップラーメンを食べ、夕飯が気に入らないと自分で勝手にお湯を入れてカップラーメンを食べるのだ。
本人だけなら良いのだが、あの悪魔の香り。当然周りからクレームがくる。俺は我慢しているのに、なんであいつだけいいんだ?
いやいや、こちらは何も許可なんて出してませんよ、という話は一切通じない。何度も奥さんに返却したのだが、奥さんの言い分は「持ってこないと(旦那が)怒る。コワイ」と困ったように話していた。
とはいえ、家庭内不和よりも、別の患者さんへの影響の方がやばい。
この、ナースステーション前の部屋は彼の暴挙によりかなり険悪になっていた。
最初は悪友同士の馴れ合いをしていたのに、今は一切口も聞かない。おまけに、彼は相変わらず奥さんが来た時はカーテンを全部閉めるので、またラブホモードになってないかわたしが確認しなくてはいけない。(誰か変わって……と思いつつ、リハビリのタイミングだろうと、リハさんも勇気を持って開けることは無かった)
「後藤さん、あともうちょいで退院なのに、カップラーメンは控えてください……あと、食べるなら他の方がつらいので、談話室でお願いします」
「うるせぇな、いいんだよ別にもう!」
後藤さんの機嫌は悪かった。どうやら、外泊訓練を重ねたまでは良かったが、夜間の排泄で問題があったようだ。
結局、残り2ヶ月で上手く進むと思っていた彼だが、家庭内不和の問題が先に出てしまい、リハビリも何もかもそれ以上進まなかった。面会にくる高齢の母親を怒鳴りつけ、フィリピンの奥様にも罵声を浴びせ、ついには2人とも用事以外面会に来なくなった。
配給が滞ると彼は益々機嫌が悪くなり、携帯電話で誰かに怒鳴っている。しかし、そうなってしまったのは病気の進行だけではなく、性格的要因もあると思う。
高次脳機能障害により、感情がコントロール出来なくなった彼は、家族の希望でとある薬を始めた。しかし、みんなネットで簡単に薬を調べられる時代だ。彼は勿論処方された薬を調べる。
一旦興奮を落ち着かせる薬を整腸剤と偽り処方したり、漢方も試したがどれも芳しくは無かった。それに、彼は入院中はプラシーボで対応したとしても、すぐに調べて疑心暗鬼に駆られる。
変な薬を出された、と病院との信頼関係がなくなってしまえばそれで終わり。彼は薬を拒否するだろう。
私はどうして後藤さんが家族に八つ当たりするのか考えた。リハビリは拒否がなく、何とか進んでいるが何も進歩はない。
残り1ヶ月。最後のICで、彼は復職に向けて支援センターにいくか、今のまま在宅復帰を目指すか相談した。勿論、彼の返答はすぐ帰りたいから変わらない。
ところが、キーパーソンの妻は拒否した。滅多に面会に来なくなった妻の代弁をした高齢の母親はどうにかしてほしい。今のままだと困ると泣きついた。
堂々巡りのまま、彼のリハビリは進まないまま1ヶ月が過ぎ、残り1ヶ月でどうするかリハビリと私とで話し合いをした。
杖を本人が希望したので試したのだが、麻痺がやはり酷く、もし杖歩行ならば足全体の装具になる。けれども彼の高次脳機能障害は意外と広範囲で、今のハーフカット装具ですら適当に扱う。
ならばできる現状のままを維持して帰るしかない。
確かに、夜間トイレの問題は残るが、ハッキリ言って最初のリハビリで彼が真面目に取り組まなかったのもある。
私たちだって人間だ。いくら罵声を浴びせられても、お前たちのせいだ、と言わせてもリハビリというものは本人のやる気が無ければ伸びない。
私が彼の先に担当したcase6の男性も広範囲の麻痺を残していたのに杖歩行まで改善した。
これはやはり本人のやる気の違いだ。彼は最後の1ヶ月まで全くやる気を見せなかったのだが、ふと突然杖で歩きたいと言い始めた。装具が足首〜膝下までのものにしているので、注意障害と空間無視の強い彼には歩行は難しい。そもそも、今から始めても間に合うかどうかのレベルだ。
しかし、彼も何を思ったのかリハビリに杖を借りて、PTの時間は杖歩行練習を始めた。若さと元々の筋力でカバー出来たのか、一応装具さえしっかりつけたら何とか歩けるレベルだ。
元々、綺麗なフィリピンの奥様と並んで歩きたい希望はあったはずなので、そこに全集中を始めた彼を私はやっと応援できた。
難しいと思われていた杖歩行は本人の独自のやり方でカバーし、何とか脇を支えて歩けるレベルになった。夜は眠剤さえ飲まなければトイレも何とか行ける状態になり、尿器を撤去して残り2週間を過ごした。
退院前の夜、私は偶然夜勤だったので、最後の説明にあがると、彼は始めて私に頭を下げた。
一体何事かと思ったが、他の看護師だったらここまで回復しなかったと感謝してきたのだ。
何度も奥様とのラブホ現場を止めて、いつも苦言しか言わないこのおデブナースに、ベットの上で背中を丸めて土下座してきた彼は泣いていた。
「あんたじゃなきゃここまで良くならなかった」
「私はなんもしてませんよ、後藤さんは確かに問題児でしたけど、こちらも無理と決めつけない関わりが学べましたし」
「あの子達にも迷惑かけたな……もういなくなっちまったから謝れねえけど」
そう、彼の暴言とセクハラで2人のPTが変わっている。流石にトラウマレベルなので、彼女らに会うことも詫びることも出来ないだろうが、彼も人生の中でこの病気と向き合い、沢山の人と関わったことは試練であり学びとなったと思う。
一応、朝も早くから母親と奥様が迎えにきてくれ、何とかギリギリ歩けるまで回復した後藤さんは大好きな奥様に腕を抱かれて笑顔で退院された。
「転ばないように気をつけてくださいね」
「おう!転ばぬ先の杖で転んだら笑えないからな」
若さがあれば、なんとか乗り切れる問題もある。
画像やその時の状態が全てではない。
そのひとの本音と向き合い、できる範囲で心のケアもすることでまたひとつ、良いADLまで上げられるのではないか、とこれもまた私の中で学びとなったケースだった。