【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第25話 忍sideー 笑顔
俺は麻衣が誰かと幸せに暮らしてくれたらいい。あの可愛い笑顔を失わないで欲しい──ただそれだけが望みだった。
脇腹が痛え。俺を刺した女を拘束する警官の姿を確認し、そのまま意識を手放した。というか、結構ヤバい出血でそのまま気絶したんだと思う。
それから先は……色々な人の声が遠くでモワモワと聞こえていた。
『忍──っ!!』
何で、こんな時に澤村の顔が麻衣に見えるんだろう。ああそうだ、澤村もマイだった。同じ名前だからこうなっちまうのか。そりゃあ澤村に失礼だよな──。
悪い、謝らないといけない。
俺はお前の名前を呼ぶ度に、俺の心と、お前を傷つけてしまう。
なんで、マイという女を好きになっちまったんだろうな。どうせなら、違う名前の女にしておけばよかった。
澤村がマイじゃなかったとしても、俺は麻衣を探していたのかも知れない。
んな事言ってたら、麻衣にバカ兄貴って言われるかな。
『忍……! 忍っ……!!』
なんで、夢の中なのに麻衣は泣いているんだよ。俺はまた麻衣を泣かしてしまったのか?
俺は、ただお前の可愛い笑顔が見たかったのに。
「心拍数低下、このまま手術室へ向かいます」
「麻酔科の安西先生にコールを。今日の外科当直佐原先生です、夜勤担当呼んで!」
「もしもし、先生すいません。内科の藤堂です。うちのスタッフで一人通り魔に刺された子がいて。ええ、はい──大腸と脾臓が」
N大附属病院の先生達の声がする。俺は、一体どうなったんだ──?
「田畑、麻衣ちゃん呼んでるからな、絶対に帰ってこい……!」
最後に聞こえたのは、弘樹の力強い声だった。俺が覚えているのはそこまでだ。
あの通り魔の女がどうなったのか、泣いていた澤村がどうなったのか、麻衣が本当に来てくれたのか、俺には何も分からない。
────
「ようやくお目覚め?」
俺がゆっくりと目を開けるとそこは見覚えのある景色だった。何回か物品搬送で入った確か集中治療室ってやつだ。
自分の体を見ると、何か色々な管に繋がっておりロボットのようになっていた。これでは全く身動きが取れない。
視線を左に向けると、そこに疲れ切った顔をした澤村が座りにくそうな丸椅子に足を組んで座っていた。
「無事だったんだな……」
「勿論よ。忍があの通り魔から守ってくれたから。本当にありがとう……でもね、忍の事心配していたのは、私よりも麻衣さんよ」
「麻衣……? って、お前、麻衣に会ったのか?」
「うん。あんな綺麗な妹さんが居るなんて知らなかった……彼女、すごくいい子で、とても同じ歳とは思えない。ここに入るまでいっぱい忍の話聞いたよ」
あの麻衣が、雪ちゃん以外の女と打ち解けるのは意外だった。確か高校までは雪ちゃん以外にももう一人だけ友達が居たけど、目指す方向が違うからバラバラになったはず。
元々あまり笑わない麻衣が、進学してさらに無口になったのは気掛かりだった。
澤村みたいによく喋る奴と仲良くなってくれるのは兄貴として凄く有難い。
「麻衣が話す俺のネタなんて、いい話あんのかよ」
女子トークには介入したく無いのだが、何となく麻衣から俺がどう思われているのか気になってつい聞いてしまった。
「忍、羽球やってたでしょ? 何でやめたの?」
「その話か。それはセンコーが」
「気に入らないからじゃなくて、可愛い麻衣ちゃんを自分の仲間に見られるのが嫌だったんでしょ?」
「!?」
俺は誰にも言ったことの無い真実を澤村にいきなり当てられて思わずベッドから飛び上がりそうになった。身体は痺れて痛いし、まだ下半身麻酔が残っているので、そんな事は勿論出来るわけ無いのだが。
「あっ、やっぱ図星〜。そんな気がしてたんだ。あんなに綺麗な妹さんだもん。絶対ナンパされそう」
「……あのお、澤村看護師さん」
「はいはい、なんですか? 田畑さん」
「俺の心電図を嘘発見器みたいに扱うのはやめていただけませんかねえ……」
俺の精一杯の抵抗に、澤村はぷっと吹き出した。しかしここは集中治療室。俺が意識を取り戻して数分の面会時間なのだろう。
ちょっと怖そうなおばさま看護師さんがこちらを凄まじい眼力で睨みつけている。それを察した澤村は口を閉じて席を立った。
「明日その続きをしましょ。忍に色々言いたい事あるからさ。麻衣さんはここに入れなかったのよ。忍は今晩何ともなければ一般病棟に戻れるって」
「ふうん、こんなにあれこれ管繋がっても病棟でいいのか」
血がダラダラ管から出て、何かその先にある変な袋に貯められているのを見ると気分が悪い。痺れはあるが、刺された痛みは背中に入っている細い管が効いているそうで、下半身の感覚は全く無かった。
もしもこの状態で、もしトイレに行きたくなったらどうするんだろうと思いきや、ちらりと視線を動かすと、あまり見たく無い状態になっていた。
「俺は意識無くしてる間に大事な所を色々な看護師さんに見られたのか……」
泣きたくても腕も上がらない。点滴の管が邪魔で何も動かせないのだ。
「よく言われるんだけど、この仕事してると男のアレに興味は無いよ。私の病棟は若い男の子多いから同じような質問ばっかりされる」
「うるせー、さっさと帰って寝ろ」
まだ堪えた笑いをしている澤村の背中にもう一度声をかける。
「澤村、遅くまでありがとな」
「私だけじゃないよ、麻衣さんも付き添いしてくれてんのよ、まだここの裏に居るんだから。今日は彼女と一緒に帰るわ」
麻衣は家族である事を証明出来なかった。本当に大学病院はセキュリティが厳しい。それは当たり前の事なんだろうけど。
ただ、俺はこんな情けない姿を麻衣に見られなくてよかったと少し安堵した。
「何で澤村に俺が羽球辞めた本当の理由がバレたんだろう……」
俺は昔、麻衣にも何故羽球を辞めたのかと追求されたが、別に嫌いで辞めたわけでは無い。そもそも、羽球を始めたのは麻衣が興味を持っていたからだ。
だから麻衣が怒られる前に俺がバカやっちまえばいい。そして俺が頑張ってスポーツで輝けば麻衣は勉強に集中できる。単純にそう考えていた。
ところが麻衣は俺の試合の度に勉強をすっ飛ばして見にくるようになってしまった。
本来なら止める所なのだろうが、あれほど笑わなかった麻衣が、俺が試合で勝って行く姿を見て、キラキラ目を輝かせて嬉しそうに笑ったんだ。
あの笑顔がとてつもなく可愛くて。
柄にも無く、あれは絶対に他の野郎には見せたく無いと思ってしまった。
だから、俺は高校に入り羽球を封印したんだ。