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case-5- 一分一秒の戦場(その2)
※こちらは私が函館にいた頃の、私が働いたスタッフで仲良くしてもらったO先輩のいい言葉を書きたくて載せているだけです。あまり明るい話ではないので、後半がメイン。
※この話にも患者さんの事は出てきません。
やる気も出ない、声も出ない、必要とされていない、なのに医者からは怒られる。
そもそも、手術室は麻酔がかかったら患者は寝ている。その間に繰り広げられる医者、研修医、サポートにつく看護師の会話は思い出してもあまりにも酷く、ここにはとても書けない。
長年の手術で慣れもあるのだろう。同じ手術を淡々と繰り返す医者達は手は動いているが心はちっともその場に無かった。ごく一部の医者を除いて。
実際、外科にいた根暗な医者は「ここにいても珍しい手術は見れない」と嘆いていた。あの人達は患者を診るのではなく、病気を診たいのだ。人間ではなく、人間の中にある病気にしか興味がない。だから外来で冷たい態度で突き放す。
そのストレスの捌け口を、向いていない私にむけてきたのは本当に困った。彼らにとって、手術の看護師は居ないと困る存在で、彼、彼女らを敵に回すと本当に手術が回らない。まして、医者の一言でその最前線にいる人達が不調になった時はあのプライドの塊である医者が本当に詫びている姿を何度も見てきた。
だが、あの人達が謝るのはあくまで「最前線」のエースだけだ。それ以外の一般兵士には辛辣どころか、人間のクズのような扱いさえしてくる。
私は仕事に対して全くやる気が無くなり、誰にも必要とされないことと、居ても居なくても変わらない自分の存在に嫌気がさして声が出なくなり、この時に初めて味覚を失った。何を食べても“はるさめ“
米は春雨、ラーメンはゴムみたいな匂い、パンは菓子パンを食べてもネトネトした味のしないガム。しかも食べるとすぐに胃を痛めた。さらに、大好きなオムライスは腐敗したゴミのような匂いを感じる。普通の燃えるゴミの匂いを感じると眩暈で自宅でも具合が悪くなった。
好きなものが美味しくないと思ったらダメだと思い、それから全ての食事を春雨ヌードルに変えた。※日清の春雨ヌードルには、この後味覚が戻るまでの丸一年半お世話になっている。
普通であればもう仕事をやめてよかったと思うが、メンタルが病んだ状態だと、そういう事すら選択できない。
全てにおいての活力がない。死にたいとは不思議と思っていなかったが、必要とされずに毎日毎日能面のような顔で仕事にいく。メガネなのでバレないし、手術室は目しか見えない状態で過ごすので、誰も私のSOSに気づかない。
それに、病棟と着替え場所も違う。だから姥捨山と陰で言われていたのだ。手術室の人間は丸1日あの狭い手術室と休憩室に『軟禁』されているようなもので、一体何をしているのか、誰がどれくらいいるのか謎のベールに包まれている。
しかも感染源を持ってくることになるので、必要以外は出られなかった。唯一出られるのが、集中治療室へ申し送りをする時くらい。
病院はいっぱいある。ここをやめて別の病院、それこそ楽だろうなと勝手に妄想していた施設に進む道はあった。
それでもやめなかったのは、馬鹿正直に母の言葉をただ守っていたからだ。“7年“しがみつくのは本当に長い。さっさとストレスの少ない職場に行きたかった。この、一分一秒の戦場は、私には苦しすぎる。
やめなかったのはもう一つ理由がある。『無能でドロップアウトした娘』『母の顔に泥を塗ってやめた』と言われるのが嫌だった。母はまだ現役。しかも、医者からも患者からも必要とされている他部署のエース。
しかし、仕事では人の心に寄り添うのに、「母」は、私のSOSに全く気が付かない。何せ、兄貴の異変すら何ひとつ察しなかった人だ。私がいくら辞めたい、と吐露したところで何も言わない。
その日も私は休憩室で春雨ヌードルを食べていた。隣には、別のチームに移動したO先輩がいる。O先輩は超絶男勝りで、見た目はかなりの強面。納得のいかない事は誰であろうとくってかかる。医者からも虎と恐れられている淡々と仕事をこなす“最前線のエース“だ。いつも休憩室で寝ているO先輩を起こさない事が、我々下っぱの兵士に与えられるミッションだった(寝起きが最悪に機嫌悪い低血圧)
手術室の休憩時間は執刀や記録のタイミングによって全然異なる。みんなが一斉に入ることはまずない。大体、違うチームの人が今何番で何の手術をしているか確認しながら飯を食う。
私は怖いO先輩と2人きりになったが、基本O先輩は寝ているので、とにかく静かに春雨ヌードルを食べることに集中した。
別に、食べなくてもいいんだけど、流石に何か入れないと目が回る。何度も倒れそうになったが、自分が倒れたら手術をしている患者さんに迷惑しかかからない。病気ではないのだから、自分が出来る処置をして、とにかく1日を平穏無事に過ごす。何も望まない、何もしない、余計な事はしない、ただ言われた事だけクリアしたらいい。自分が手術室にいる理由はそれだけだった。
厄介なことに、私に「挨拶もできねえのか!」と罵ってきたおばさん看護師が休憩ずれて入ってきた。
この人の顔を見るだけで胃が痛い。なんてタイミングが悪いんだろう、O先輩は寝てるし、反対側には嫌いなおばさん。
吐きそう。
私はまだ半分以上残っている春雨を持参のゴミ袋に入れて、汁をすててからゴミ箱に捨てた。シンクにゴミを捨てると匂いがきついし、掃除する人が誰なのか知らないが、自分の残した残飯で迷惑をかけたくなかった。
まだ休憩時間は30分以上あるが、手術室の厄介なところは、《外界から隔絶されている》
いつ、急変があるか分からない。人手が足りなかったらすぐに戦場に戻らなければいけない。なので、ベビースモーカーのO先輩であろうと、手術室にいる間は一切タバコを吸いにいかなかった。よくまあみんな持ち堪えられるなと思うが、『そういうルール』だから仕方がないと甘んじて受けていたのかもしれない。
だから、ヤニが切れてイライラする一部の先輩が八つ当たりをしてくる。手術室は酸素配管が多いので、タバコを吸えないのは当たり前なのだが、このおばさん看護師はヤニキレで大体八つ当たりしてきた。
「あんた、まだいたの?」
チームが違うので、てっきり私はもう辞めたのだと思っていたらしい。週末に毎回掃除とミーティングで全員顔突き合わせているのに、それすらも気にならないのはなかなかな言い草だ。
「もうてっきり辞めたと思ったけどね」
「(小声で)Iさん、Oさん寝てますよ!」
おばさん看護師と入ってきた後輩B(仮名)ちゃんがコソコソと耳打ちをした。O先輩は獣のような感じで、起こすと怖い。本当に怖い。それはおばさん看護師も知っているようで、ヤバい!と肩を竦めてこそこそソファーに座った。
寝ていたと思っていた獣が起きた。
めちゃくちゃO先輩は不機嫌だ。私もまとめて怒られるかと思ったので、素知らぬ顔をしてさっさと出ていこうとした。いつもならここで「うるさい……」と怒る先輩が、珍しく何も言わなかった。
良かった、とほっとしていると、ツカツカと私の後ろにきて、先輩は私の肩をぽんと叩いた。
「○○さんさあ、そんなものばっかり食べていたら身体持たないよ?」
普段から昼はカップラーメンしか食べないO先輩に言われても全く説得力が無いなあと正直思ったが、この時不思議に手が止まった。そんでO先輩は遅れて入ってきた例のおばさん看護師と若い子を見る。
「あんたらさあ、恥ずかしいと思わないの?私は物凄く恥ずかしい。Bさん(新人から手術室にいる若い子)だって、今から内科に行けって言われて、あんた今の仕事が通用すると思ってるの?Iさん(例のおばさん)だって、また病棟行けって言われても、仕事出来ないでしょ?あんた達さあ、勘違いしてない?自惚れてんじゃないよ」
全く抑揚のない声で、O先輩はそう言った。
実は、O先輩は元々外科病棟出身の手術室看護師だ。母が昔から言っていたかたわ(使えない)というのは、ひとつの病棟しか経験していない狭い視野でしか物事を見られないことだったのだろう。O先輩は違った。
最初に数回言葉を交わしただけなのに、私が毎週婦人科リーダーの同期と相変わらず成長しないライト当てと、器械と手術の名前を必死にメモり、物品準備しか出来ないから雑用班に回っているのを見ていたのだ。
「○○さんはさ、内科から来てるんだよ。凄いことだと思わない?医者だって誰も知らない、あんたらは最初っから知ってる医者という環境に恵まれてる。だからチヤホヤしてもらってるんだよ。私はものすっごく恥ずかしい!!あんたらが、しかもBさんまで。○○さんの声かけと看護から学ぶものがなかったの?あんたは医者に言われるまま器械だけ出してりゃいいって勘違いしてない?」
言いたい事だけ言って、O先輩はそのままマスクを直してフロアに戻って行った。こんなとんでもなく微妙な空気に私も放置されたって困る!慌ててO先輩の後を追いかけた。
「あの、Oさん!」
慌てて背中に声をかける。Oさんはやっぱり顔つきが変わっていなかった。誰に対しても同じ態度。彼女がくだけるのは大好きな甥っ子とじゃれる時だけだ。
「す、すいません。ありがとうございました……」
「私は、恥ずかしいよ。本当に情けない。今まで何十人辞めていったか。こんなくだらない事情で。新人からチヤホヤ育てないと続かない。また新しい人が来てもすぐに辞めたら私たちが疲れるだけなのに、あの人達は本当に学習しない。医者からチヤホヤされて、仕事が出来ると思い込んでいる。記録がどれほど大変な作業か分かっていない」
確かに、Bさんは記録嫌いと言っていた。つまんないと。そりゃあ手術の中を見るわけでもなく。麻酔科の記録と事実をただ書いて申し送りするだけだ。器械を出して医者と喋りたい人たちから見るとつまらない作業だろう。けれども、手術を受ける患者にとって、記録という動かぬ証拠が一番大事なのだ。いつ、なにが起きて、何を検体として取ったのか。
私を罵った彼女らは、患者のことではなく所詮「手術」が好きな部類だった。ひととして見ていたのだろうか?あまりにも手術に慣れすぎて、ひとをものと勘違いしていないだろうか?
O先輩は違った。めちゃくちゃ強面で、言葉も冷たいし端的。この人は裏ボスだと勝手に勘違いしていたが、スタッフのことをよく見ていた。部署が違うのでそれ以上会話は無かったが、
「私は、○○さんの一生懸命なところ、ちゃんと見てるから。がんばれとは言わないけど、一緒にがんばりたい。いや、違うな……頑張らなくていいんだよ!そうだ、そうしよう。○○さんは、頑張らなくていい。だから、今度飲みに行こう!」
最後の飲みに行こうの意味に、猛烈に泣いた。カウンターの近くで泣いたせいで、O先輩はさらに困り、副師長には「Oさんが○○さん泣かせたw」と茶化された。
どれだけ辛い場所だろうと、自分が自分のやれることを続けていると、必ず見てくれる人がいる。
自分の家族とか兄弟とか、恋人とか大切な人が雑な扱いを受けたら嫌だよね。私は嫌だ。
と常日頃から言っていたO先輩の言葉は、今の私の看護にも生かされている。
O先輩は基本つぶやきの中に全ての思いが凝縮されている。ぽっと物凄くいい事を話すのだが、照れ隠しなのか「私、そんなかっこいい事言ったっけ?夢じゃない?」と笑う。
看護は、場所がどこに変わろうとも基本的なスタンスは変わらない。
私が今、お客様から「この人すごくいい人。一番好き」と言ってくれる方がいるように、これからもO先輩に教わった看護の根っこの部分を大切に育てていきたいと思う。