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case-9- 欠けた記憶を取り戻す〜その2〜

case-9-   欠けた記憶を取り戻す〜その2〜

「リュウカクサン! パパがまた僕のお菓子を取ったんだ!」

 外出訓練、外泊訓練と順調に進んだ。しかし以前から奥様が危惧していた息子とおやつの取り合い事件が発生した。そして外泊に行くと好きなものを食べるので太る。
 体重コントロールが悪く、糖尿病予備軍にまで悪化した。彼に薬の管理は絶望的だったので、これ以上保育園の息子を育てる妻への負担は増やせない。
 リハビリと相談して、外泊中に食べれるおやつの範囲を決めてもらったのだが、単純に奥様がいない間に大輝くん(仮名)のおやつを勝手に食べてしまうのだ。
 通帳管理はできないので、金銭面は彼がどうこうできるものは何もない。なので、何か欲しいものがある時は奥様からお金をもらい、買い物にいく。
 ところが、やはり高次脳機能障害が災いして、何とお金の価値も忘れていた。いくらです、と言われてもわからない。

 例えば105円の買い物をして、一万円札をしれっと出しておつりを忘れて帰る。そんな感じだ。
 初回の外出訓練でそれを発見した奥様は私にまた泣きついた。このままだと家のローンもあるし、どうしたらいいのか分からない。せめて、本人がもう少し自分で好きなものを買えるくらいまでならないか、と。
 私はそこらへんの訓練は全く分からないので、またOTのイケメンに頼った。

 そんで、OTくんも今回のケースは初めてのことで、困っていた。復職支援は多分厳しいだろう、まずはそれよりも値段の価値をもう一度思い出すところからスタートしようと、リハビリの中で買い物訓練も組みいれられた。
 しかし、短期記憶が絶望的な彼は、何度も同じ買い物をしても小銭の管理が全くできない。結局、大きなお札を出して、残りはジャラジャラ適当に財布に投げる。そんなことをしていたら小銭金持ちになってしまった。これじゃあ、格好いい財布がパンパンだぜ。

「中山さん、こないだの外泊でどこまで行きました?」

 彼はうちの近所にあるマンションに住んでいたので、大体の地理はわかる。ファミマ、スーパー、野菜屋の三カ所が彼の行動範囲のベースになり、最終目標は徒歩15〜20分かかる某大手スーパーだ。
 足は元気な彼なのだが、やはり脳出血の影響なのか疲労感が酷かった。徒歩3分もかからないファミマですら限界で、奥様からのオーダーされた商品を何一つ買えないで帰宅した。
 メモの存在を忘れるので、LINEの閲覧をするように練習したのだが、違う何かに注意が逸れるとLINEの音も聞こえない。結果的に何を買いに外に出たのか目的を忘れて帰宅するのだ。
 そしてもう一つの問題、部屋番号が分からない。オートロックマンションの悩みはスペアがない。スペアがもしあったとしても、彼の機能障害ではとても扱えないだろう。

「ファミマまでは行ったけど」
「オーケーまで行かなかったんですか?」
「うーん、なんだか面倒くさくて」

 面倒くさい、と彼は笑いながら話していたが、彼の後ろをこっそりつけていた奥様の話だと、一本道であるスーパーまで辿り着けなかったらしい。途中でパニックのようになってしまい、奥様が偶然を装って結局一緒に帰ったらしい。
 LINEも忘れる、地理も覚えられない、一番最悪なのは部屋番号が分からずオートロックが解除できないので、迷子になったら帰れないのだ。
 結果的に目を離せないし、外に出る時は常に一緒でないといけないので、奥様もストレスが溜まり、彼を家から出さないようにしていた。
 これで息子と関係性が良ければいいのだが、部屋に戻れないパパを「なんで番号忘れちゃうの!」と侮辱した。それによって益々関係性が拗れてしまい、彼は息子が面会に来ると顔つきが変わってしまった。

「どうしたらいいんだろうねぇ……」

 ゴールが全く見えないケース。足は元気なので、奥様がずっとフォローしていれば日常生活は困らない。トイレも風呂も自立しているし、食事も自分で食べられる。ただ、それだけだ。
 それだけ出来たら確かに十分かもしれない。彼は脳の半分出血していて、本来は死んでいたところからの復活だ。
 ただ、生きているだけでいいと思っても、それを支える家族の苦労を思うとどちらが正しいとか、正解は言えないし、そういう無責任なことをできるだけ思わないようにしている。
 奥様のストレスは限界だった。旦那と息子の板挟みな上、マンションのローンを返済すべく、お嬢様として育てられていた彼女が専業主婦から仕事を始めることになったのだ。
 色々な愚痴が溜まり、彼女は私に泣きながら発散した。「もうこのままだと一家心中するしかない……」と。頼れる場所が旦那側両親しかいないため、奥様は本当に困っていた。自分側の両親のフォローでもあれば、子を引き取って離婚する選択肢もあっただろう。でも何故か彼女はそれを選ばなかった。
 疲れすぎてそういう選択肢を選べなかったのかもしれない。それとも、念願のマイホームを手に入れたのに、それを手放したくなかったのか…
 私の関わりは一環して、彼女の愚痴を聞くことだった。担当の方は正直後は復職支援なので、看護師のできる範疇ではない。ならば、せめて退院後の彼を支えるキーパーソン達がドロップアウトしないよう何か案を出すだけ。
 メモはだめ、LINEもダメ、どうしようかと考えた時にふと彼の仕事を思い出した。

「自分で地図を描かせたらどうですか?」
「地図なんてもう無理ですよ、鉛筆も握らない据え膳上げ膳の人になっちゃって……」
「いや、中山さんは確か建築の製図書いてた方ですよね?自分の家から、どうやってオーケーまで行くのか、実際に歩いて地図を書いてもらったらどうです?見るよりも書く方が覚えるって言いますし!」
「そうですか……来週(外泊)やってみます」

 あまり奥様は乗り気じゃなかったが、すぐに私の案を使ってくれた。
 1回目は一緒にオーケーストアまで歩き、帰宅してからそれを地図に起こすのだ。文字は復活の呪文しか書けない彼が、何とすごく分かりやすい地図を書いた!やはり過去の記憶は身体が覚えているらしい。

「リュウカクサン!パパがね、オーケーまで歩いたんだよ!」
「おお、そっかそっか、よかったね〜」
「チョコビ買った!パパと半分こって言ったのに、パパが全部食べちゃったんだよ、またデブになるからリュウカクサンからも言って」
「いや、体重に関しては私から言えることはなんもない笑」
「そうだよね、リュウカクサンもおっきいもんね。パパと同じくらいかなあ?」

 子どもって、正直だよね!!!(涙)
 でも、そんなところが好きだよ!まあ、お相撲さんって言われなかっただけいいや笑
 中山さんはオーケーまで歩けたことで自信をつけ、それから家〜活動範囲までの地図を書き始めた。

 線と線だけで結ばれたそれは、多分彼にしか理解できないものだろうが、定規も使わずに真っ直ぐな線をひく彼の地図に、未来への希望が見えた気がした。

→3へ続く

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