【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第36話 変わらない気持ち
病気でも無いのに医者と弘樹さんのお陰で長々精神科病棟に置いて貰った私は忍と一緒にお菓子を買いにとある大手デパートへ行った。
「あれ──麻衣ちゃん?」
ふと幾つか高級お菓子コーナーを覗いていると相変わらずビシッとスーツを着こなした霧雨さんがニコニコ微笑んで立っていた。
「まさかこんな場所で会うなんて。これも神様のお導きだろうか」
「え、えっと……霧雨さんお久しぶりですね、どうして、こちらに」
「ある人と待ち合わせだよ。今、新しい事業を展開しているんだ。今は不動産関連の方が忙しくなって裏の仕事は手を引いてるんだ」
長年ホストナンバーワン地位に君臨していた彼は、忙しいを理由にあっさり引退したらしい。想像するだけで彼のファンである数多の女性達の悲鳴が聞こえてきそうだ。
彼がすんなりと引退したのは私の勤めていたキャバクラ撤退も理由の一つだろう。自分のファンであるキャバ嬢が一般人を刺したというのはやはり問題視される。自分に余計な疑いが来る前に動く霧雨さんの身のこなしの速さは称賛に値する。
「お仕事が順調そうで何よりです」
ただ微笑んだだけなのに、霧雨さんは少し驚いたように私の顔を見つめると片手で自分の顔を覆い、参ったな……と悔しそうに首を振った。
「麻衣ちゃんはやっぱり可愛いなあ。どうして僕から離れてしまったのだろう。ねえ、もう一度僕とお付き合いしてくれない? これでももっと女性を喜ばせる為のテクを磨いたんだよ?」
「え? えっと……」
悪意のない霧雨さんにしっかり両手を握られ私は慌てた。目線だけ動かして近くにいるはずの忍を探したのだが、肝心な時にタバコを吸いに行っているのか姿が見えない。
「麻衣ちゃん、あんな男と一緒に居てもいい未来なんて無いよ。大体、彼は君のお兄さんだ。これは身内や友人だけじゃない。世間的にも認められない関係だ。その点僕なら麻衣ちゃんを幸せに出来る」
それは耳が腐るほど聞いた。分かっている。誰も同じ事しか言わない。忍は兄。私は妹。それは天地がひっくり返っても変わらない事実。
勿論、不毛な道を選んだ私達を誰かが祝福してくれるなんて思っていない。それでも──。
「霧雨さん、幸せってお金の問題じゃないんです。確かにあなたと一緒に居る時間はお仕事もさせていただきましたし、何不自由無く何でも買って下さった事、今も感謝しております」
彼も最愛のお姉さんを亡くしており、苦労の末今の仕事に従事している。
お金があれば確かにある程度の幸せは掴める。そんなのは当たり前だ。
しかしお金で全て解決出来るわけでは無い。彼が求める幸せと、私の望む幸せは形がまるで違う。
人の心──形の無いものは、お金では絶対に買えないのだ。
「忍でないとダメなんです。例え誰からも祝福されなくても、これから先に苦労しか無いとしても、私は忍と一緒に居たいんです」
「どうしてあの男なの? 麻衣ちゃんは、僕以外からもかなり色々な男達に好かれていたのにそれも全部断っていたじゃないか。そこまであの男に魅力があるとは……」
改めて言われると説明に困る。忍は霧雨さんのようにスーツを着こなす男ではないし、弘樹さんのような知的で格好いい部類ともまた違う。
身長は高い方で土方歴が長いから全身筋肉で引き締まっている姿勢とスタイルの良さは魅力の一つだろう。仕事は私の方が夜の世界で大分稼いでいたので、お世辞にも金持ちとは言えない。
そう。外見でも金でも無いのだ。
私が忍で無いとダメな理由。それは──
「おい。ちょっと目離した隙に何、俺の女口説いてんだよ、イケメンホスト野郎」
イケメンホスト野郎って、褒めてるのか貶しているのかよく分からない呼び名……。
背後から忍に抱きしめられた私は真っ赤になったまま完全に硬直していた。抱きしめられたまま俺の女、と言われた事にドキドキする。
私の落ち着かない様子を見た霧雨さんは敵わないな、とまた溜息をついた。
「田畑さん。あなたがこれから先、一瞬でも麻衣さんを手放したらすぐに頂きますからね。僕は絶対に諦めませんよ。麻衣さんをいつか必ず振り向かせます!」
「麻衣はお前には振り向かない。いい加減他の女を探せ」
片手でしっしっ、と霧雨さんを追い払う動作をした忍は私の顔を見つめ、にっと微笑んだ。
「買ったのか?」
「う、うん」
お菓子の入った袋を忍にチラッと見せると彼は小さく頷き、霧雨さんの方に視線を戻した。
「──という訳だ。悪いなイケメンホスト野郎」
「はあ……その呼び方はやめてください。僕には霧雨荵という名前が──」
「でもそれはアンタの本名じゃねえだろ。俺と正面から戦いたいなら、しっかりと本名で麻衣に向かうんだな」
「っ──」
忍はホストなんて絶対詳しく無いはずなのに、まさか霧雨さんの本名を知っているのだろうか? 図星を突かれた霧雨さんは唇を噛み締めたまま踵を返した。
丁度彼の待ち合わせをしていた人も来たらしく、霧雨さんはそれ以上私達につっかかっては来なかった。
「忍……?」
「ほら、まだ入院してるあのガキが待ってんだろ。俺達も行くぞ」
どうやら忍はタバコを吸いに行っていたわけでは無く、何か買い物をしてきたらしい。
いつも背負っているバッグが先ほどよりも膨らんでいたので、あれに何が入っているのか気にはなったが、そこは追求しないでおいた。さり気なく握ってきた手があまりにも暖かくて、気持ちよかったからだ。
────
「ねーね、またね!」
「あんなに佳奈ちゃんが元気になるとは思わなかったですよ。まだ他の人とは馴染めない事もあるけど、処置に対する拒否も減ったし、きちんと時間でお薬も飲むようになったし、自己管理出来る部分がもっと増えると思います」
「そうですか……お退院となると、遠いでしょうか?」
「いえ。打診していた児童保護施設から受け入れの目処が立ちそうなので、そこの枠が空いてOK出たらもう少し話は早いと思います」
主治医からの話だと私が退院した後も佳奈ちゃんの様子は順調のようで、発作に使う薬の使用回数は劇的に減っているらしい。
「すいません、麻衣さん。気を使っていただいて……」
「いいえ、私の方こそ本当に身勝手なお願いでここに1ヶ月も置いていただいたんです。お礼だけでは済まない事です。どうか、佳奈ちゃんの事よろしくお願いします」
「そうそう、お兄さんの忍さんね、最初ここにあなたがきた時噛み付く勢いで病棟に来たのよ。もう、攫われた彼女を助けに来たみたいな感じだったわ」
「あれ、格好良かったわよね。何で麻衣がこんなところにいるんだ! って」
ドラマのワンシーンみたいと喜ぶ看護師さん達に忍は結局彼氏なのか? と何度も尋ねられたが私はいつも通り笑いながら「誰よりも大切な兄なんです」とだけ答えた。
多分、この問答はこれからも続く。
例え、誰に認められなくても、私達の心が変わらなければ良いのだから。