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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第15話 隔てられた距離


 私は霧雨荵さんと互いの利害の一致という事でお付き合いすることになった。利害の一致と言っても100%私が得をしているだけで、彼にとっての利益は謎のままだ。
 彼が私を指名して、時間の許す限り延長してくれるので店には多額の金が入り、そのお陰なのかいじめは無くなった。
 霧雨さんを敵に回すと営業に響くのだろう。もしかしたら私に手出ししないよう店長が全員に通達したのかも知れない。
 結局は権力と金が無いと、こんなつまらない足の引っ張り合いやいじめも無くならないのか、とがっかりしてしまう。

「どうしたの、麻衣ちゃん。僕と一緒に居るのがそんなに嫌?」

 私の髪の毛をくるくる丸めて遊んでいた霧雨さんが少しだけ不服そうな顔をした。慌てて私は首を振る。

「そんなんじゃ無いですけど……あの、お店ではマキと呼んで貰えませんか?」

「い、や、だ。だって、麻衣ちゃんも僕の事を霧雨さんって呼ぶじゃない。そろそろ荵って呼んで? ね?」

「……はぁ。しのぶさん」

「うん。まあ、ここは及第点かな?」

 すかさず彼はまた唇にキスをしてきた。お店では基本触ったりそれ以上の事は禁止なのだが、厄介な事に彼が使っているこの部屋はVIPルームと呼ばれており、犯罪にならない限りある程度の事は許容されている。
 勿論、そこには莫大な別料金も加算されるのだが、他店のナンバーワンである彼にとってこの店のVIPルームと私の指名如き端金レベルなのだろう。
 店長も当たり前のように彼に部屋を差し出すし、私にはくれぐれも粗相の無いようにな、と毎度釘を刺してくる。

「ねえ、麻衣ちゃん。いつになったら新宿のお家に呼んでくれるの?」

「本当、物好きな人ね。ワンルームでしかも寝る、着替え、シャワーしか無い部屋にあなたのようなお金持ちを呼べるものですか」

「む〜……じゃあ、もう一つの方でもいいよ? あっちは誰かと暮らすつもりで借りたんじゃない? 多分、あの近辺のマンションは2LDKからだったと思うけど?」

 彼は土地や建物に非常に詳しい。聞いてみると不動産業もやっているらしい。ホストと不動産。どちらが本業なのか分からない程忙しい筈なのに、彼は私が出勤している曜日のうち、2日間は必ず顔を出す。
 最近、恋人なんだから家に行きたいと強請ってくる事が増えた。私の住んでいる家が彼の狙っている物件なのか、本音は全く分からないが。

 新宿の家ならば別に彼を部屋に呼んでも困らない。ただ、もう一つの家には絶対に彼を入れたく無い。だってあそこには忍と少しの時間とは言え一緒に過ごした思い出が残っているから。

 霧雨さんは絶対にキス以上の事はしてこない。一応場を弁えてくれているのか、他愛のない話しかしないのによくもまあ毎度大金叩いて飽きずに来るなと彼のガッツは賞賛に値する。
 また来るね、とウインクしながら去っていく彼を見送った所で私は同僚から冷たい視線を浴びたまま裏へと下がった。そりゃあ煙がられるに決まっている。彼はナンバーワンホスト。私とはどう考えても吊り合う人種では無い。

「いやあ〜マキちゃん。よく荵さんと仲良くなってくれたね。お陰で売上は凄い事になっているよ!」

「そうですか……彼の気まぐれかも知れないのであまりアテにしない方がいいと思いますよ」

「まあまあ、そう言いなさんなって。これからも荵さんの事よろしく頼むよ! 何か彼から必要な物頼まれたらすぐに入れるからね」

「分かりました。検討します」

 上機嫌でホールに戻る店長を見送り、私はもう一度溜息をついた。
 ミカよりも売上が伸びてしまったせいで、私は唯一話しかけてくれていた同僚までも失った。仕事で話せる相手が一人も居ないのは辛い。

 フリーになっていたミカと一瞬目が合ったはずなのだが、彼女は私を睨みつけると悔しそうに唇を震わせ、別のヘルプへと向かってしまった。
 不動の玉座からたった一度でも蹴落としてしまった事で、彼女は私に対して敵意しか抱いていない。もう、あのコが私に話しかけてくる事は無いだろう。

 霧雨さんが帰ってしまうと店に私の居場所は無い。勝手に指名料金を変更されてしまったのだ。
 多分、裏で霧雨さんが僕以外がマキちゃんを指名しないようにしてくれとか根回ししたに決まっている。
 そのせいか話したい事があっても以前のように弘樹さんに声をかけられなくなってしまった。指名も霧雨さん以外からは無くなり、別テーブルのヘルプにも呼ばれない。
 さらに同僚も失い、このまま独りでこの仕事を頑張れるのか? と寂しい気持ちが募る。

 売上さえ取れば時間の制約は無い。特に私の場合、ハッキリ言うと霧雨さん専用みたいなものなので、フラフラ外に出た所でお咎めは一切無かった。
 何となく明るい人の居る場所でご飯を食べたいなと思い、ふらっと定食店へと立ち寄った。
 金髪とミニスカートのせいで目立っていたが、歌舞伎町の有難い所は私みたいな尖った格好の子は多いので全然目立たない。
 それに高身長モデルのような外国の方が多いのもいい隠れ蓑になっていた。

 店の一番人気のオムライスを注文した所で、私はふと斜め前にあるテーブルに座る男女4人組が視界に入った。
 まるで学生のように大声で楽しそうに笑い、安いビールを飲んでいる。仲間とワイワイ出来て羨ましいな、と思っていると、その中の1人が彼の名前を呼んだ。

「あははっ、忍超面白い〜!」

「本当、忍くんがうちの病棟に来てくれて良かったわ」

「俺、別に面白い事言ってねえんだけどな〜。でも昔っからこんな感じっスよ?」

「さっきのモノマネ超似てた! また見たい」

 もしかして忍がここにいる?
 別に珍しい名前ではない。偶然同名の人かも知れない。でも一瞬聞こえた声は聞き間違える筈は無い。間違いなく忍だ。
 もう一度4人組テーブルに視線を向ける。よく見ると彼の髪は鮮やかな金髪から真っ黒に戻っていた。
 今までとは違う仕事にでも就いたのだろうか? 鉄骨から落ちて一度死にかけたのだ。正直、危険な仕事はもう二度としてほしく無い。
 女性が関係する仕事なのだろうか。でも、さっき誰かが先生って呼んでいたから、弘樹さんと同じ病院関係なのかな? 

「やっぱ似てる〜! ねえねえ、他にもレパートリーあるの?」

「ええ?! 勘弁してくださいよォ〜」

「それは三谷先生じゃん! 超ウケるんだけど」

 もの凄く楽しそうな空気。親身に話せる人間が一人も居ない私とは全く違う世界。
 ──忍はもうだいぶ前に私から離れて新しい所で仕事してるんだ。ただ私だけがズルズルと彼に対する未練を残したままで……。

 私はオムライスをスプーンで突きながらポロポロと涙を溢していた。美味しいものを食べているのに全く味がしない。
 私が泣くのはおかしい話だ。最初から忍と結ばれる道は無いのだから。それでも涙は何故か止まらなくて、私はメイクが落ちるのも無視して顔を乱暴に拭った。
 鼻もぐずぐずしてきたので側にあるティッシュに手を伸ばした瞬間、私の手にそっと紺色のハンドタオルが乗せられた。
 泣きじゃくった顔のままタオルの主を見上げると苦笑した忍が立っていた。

「……なんつー顔してんだよ、ほら。それで拭きな」

「あ、あり……がとう……ございます」

 金髪になった私が麻衣だと気づいていないのか、彼はそれ以上話しかけることもなく、くるりと背を向けた。

「忍やっさしい〜! 何タオル持ち歩いてんの」

「ほら次行くよ次! 夜勤明けなんだからまだ動けるでしょ」

「おいおい、勘弁してくださいよォ〜」

 またさっきの先生のモノマネをしつつ忍はパワフルな女性3人について慌ただしく店を出て行った。私の手には彼が渡してくれたハンドタオルが乗せられている。

 目尻をそっと拭うと、タオルには忍が愛用しているマルボロの匂いがした。


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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