case-6- 全部ひっくるめての支援
case-6- 全部ひっくるめての支援
登場する方のお名前(スタッフ含む)はあくまで全く無関係の名前に変換しております。
「はじめまして、○○です。今日から、磯宮さんの担当になりました。よろしくお願いします」
「……ああ」
ぶっきらぼうにノートパソコンから目を上げた磯宮さんは、まだ当時40代の男性だった。ハードワークのIT関連のお仕事をしており、彼は突然脳梗塞で倒れた。右半身に完全麻痺が残ってしまい、車椅子からのスタートだった。
リハビリ病棟へ移動してきた彼はこころが完全に塞ぎ込んでおり、同室者誰ともコミュニケーションを取ることもなく、ただただ車椅子でフロアを移動してテレビを見ていた。血圧を測る時も腕を出してくるだけで、彼からの情報収集に悩んだ。このままだと、以前嫌われた(case3より)患者さんを思い出す。
受ける側(患者)としては本当に毎日同じ事の繰り返し。段々とリハビリに対しての拒否が増える。
理学療法士(PT)に最近のリハビリ状況を確認する。本人の意思は社会復帰だ。けれども利き腕と足が全く動かなくなったことで気持ちが折れていた。
歩きたいという本人の意思を尊重しての立位訓練とトレーニングが始まった。それでも目に見える進展はない。半年入院していられるとは言え、彼はかなり焦っていた。このままだと復帰出来ないという不安から、あれだけ頑張っていたトレーニングをやめた。
「磯宮さん、おはようございます!」
「……ああ、おはよう」
「新しい装具届きましたね。どうですか?痛いです?」
「まだ馴染んでないからよくわからない。車椅子で動くのに疲れたからもうちょっとどうにか出来たらな〜」
装具の話をすると、磯宮さんは笑顔になる。半身完全麻痺だった彼の装具は股関節から保護するなかなかごっついもので、つけるのが難しい。彼の歩きたい希望を叶えるには大分ハードルが高かった。正直、このタイミングじゃないよな、と思った。
車椅子生活も最初は自由がなかった。空間無視が少し残っているせいか、車椅子を回転させる時に周囲への配慮を怠る。それのせいで《安全》を第1にする職場は、勿論彼はひとりで車椅子を動かすのダメ、と許可が降りない。
40代前半の男性が、若い看護師にパンツを下げるまで付き添われるのだ。羞恥心の配慮はしたいだろう、トイレというデリケートな部分は1人でしたい!これは年齢がいくつになっても変わらない排泄の欲求のひとつ。
せめて、車椅子で彼が自由に動けるように環境を整えよう!
PTさんと相談し、トイレ内自立まで持っていけるようにパンツの訓練から始めた。車椅子操作は問題ないが、立位が不安定過ぎて壁に体を擦り付けたままのバランス維持が必要だった。
最初はあちこち擦りむきながらも、一緒にどの姿勢がいいか、ダメなのか。夜間帯は危ない(本音は人が居ない)という理由で却下されたが、日中だけでも自由にトイレに行けるよう回復した事で磯宮さんは再びなかなか足が進まないリハビリへの意欲を取り戻した。
彼も歩きたいと医者に先走ってあの装具を作ったものと、頭の中では理解していた。今のままじゃ無理だと。
実際、装具をつけてたった5歩歩くだけで全身から汗が噴き出る。何度も現実に打ちのめされながら、少しずつ彼の支援はステップアップした。
彼の唯一の救いは言語障害や高次脳機能障害までは至らなかったことだ。だから家族とのコミュニケーションは問題ないし、薬も自己管理。外泊訓練を経て、後半の2ヶ月はハーフカットした装具にまでステップアップした。
「みてよ、ついに俺の相棒がこんなに小さくなったんだよ!」
ハーフカットされた装具を見せる磯宮さんの顔に、最初の頃の焦りと憂いは無かった。
良かった。これで私の担当さんは問題ないな。と思い元気に外泊に旅立ったのを見送ったのだが、ここで問題が起きる。
家の中で頑張って歩こうとしたが、足がもたついて転倒したのだ。楽しみに行った外泊は無念の一泊でUターンした。
「磯宮さん、外で転んだらしいからあとよろしく」とスタッフに投げられ、慌てて部屋に行く。
同室者の方々と外出での出来事を笑いながら話していたが、私が来たらしーんとなった。まるでお通夜状態だ。
「磯宮さん、大丈夫でした?」
「あ、あ、うん。別にね、ちょっと打っただけだから」
外出や外泊で『転倒』すると一時的に今までの自由が奪われ、リハビリから安全の許可が出るまでまた監視生活に戻る。私はこのシステムが最初から気に入らなかったので、すぐにPTの担当に報告し、なんともないという評価を得た。
「メガネ割れなくてよかったですね!私は高いもん買わないから分からないけど、あと娘さん、怪我しませんでした?」
「うん。娘はちょうど車椅子から離れてたから大丈夫だったんだ。妻は怒ってたけど、ずっと車に乗ってたから足がふらついたのかな」
怒られると思ったのか、磯宮さんの表情はかなり暗かった。
「転んでなんぼ!良かったじゃないですか、先に転んで。これが後からだとパニックなりますもん。私だって家のテーブルに足ぶつけたり何もないところであざ作りますから、みんな一緒ですよ」
「●○さんが転んだらみんなつぶれちまうな!」
おじさんたちの部屋に安心した笑顔が戻った。みんな外出や外泊訓練の不安は尽きない。スタッフの関わりひとつで「次はもっと歩けるようにならないと外へだしません」と評価される事がある。
彼らは磯宮さんがもう外に出られないのでは?という不安があり、次に外泊を控えている別の患者さんも不安そうにしていた。
「失敗しないと外出も外泊も意味ないじゃない?不測の事態に対応する方法を知るんですよ」
「転んでいいよって言う看護婦さんはじめてだわ」
磯宮さんは装具側から転倒したので、左肘と大腿部にあざを作ったがそれ以外の傷はなく、動きの制約もされなかった。
LINEはできるので日常生活に困ってはない磯宮さんが、ある日からボールペンで字を書き始めた。復職に向けての大切な練習だと思っていたが、やはり利き手ではない左での文字はぐにゃぐにゃだった。
「左利きでいいなあ」と言われるので、「私は左利きですけど、文字はミミズの徘徊したやつって言われてますよ?」と返す。
退院日に、私は磯宮さんにチラシの裏に書かれた手紙をもらった。この病院は本当にそういうのがうるさいので、中身を確認して破棄する形(個人情報の問題もあるので)になったが、今でも覚えている。
必死に書いた左手で、
●○様
ここまで復帰させてくださり、●○さんには感謝しかありません。本当にありがとうございました。
来年娘の誕生日まで歩く練習してディズニーランドにいくぞ!
と書いてあった。
寄り添うことの必要性。頭ごなしに最初の装具を否定するのではなく、あれをまず作ろうとゴーサインを出した当時の脳神経外科の医者に感謝したい。普通であれば(別の医者)、多分まだ早いの一点張りで何も進まなかった。彼は自分でどこまでできるか確認してから先を見たかったのだ。
私は彼の担当をさせてもらった事で、ひとの能力に限界はないこと、関わりひとつでもっと違う力を引き出せることを学ばせていただいた。