【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第24話 奇妙な女の友情
手術中という赤いランプを睨みつけていると、背中にそっと暖かいものがかけられた。弘樹さんの使っている黒いカーディガンだ。
そのまま弘樹さんの肩を借り、痛む足を引きずりながら待機用の椅子に腰掛けた。
一気に疲労の波が押し寄せ、忘れていた両足裏の痺れと熱が痛み疼き始めた。
「麻衣ちゃん、ちょっと待っててね」
弘樹さんが何処かに向かったので、私は一時的にに忍の彼女と二人きりになったが、互いに一言も発する事はなかった。彼女は私の事を忍が遊んでいたキャバ嬢だと思い込んでいる。
どう話そうか悩んでいる間に弘樹さんが早足で戻って来た。
「クロックス、俺のだけど使ってないやつだから匂いは無いと思う」
珍しく弘樹さんが私の不安を和ます為に冗談を言った。綺麗好きで何でも完璧な弘樹さんから足の匂いなんて全く想像出来ない。
「でも、これ……お借りしたら血がついちゃう」
「そんな事は気にしなくていいの」
弘樹さんはクロックスを私に履かせた後も、ずっと寄り添ってくれた。部外者である私の存在が気に入らないのか、彼女はさらに私を睨みつけてきた。
「あんた、忍の何なのよ。何で雨宮先生までそんなに……」
「澤村さん、彼女は──」
「いいんです弘樹さん。私は、“部外者”ですから──」
何か言いかけた弘樹さんをすぐに制した。忍の彼女を邪魔する必要は無い。寧ろ、彼女が私を知らないのであれば、それでいい。
「私は、麻倉マキと申します。ただのキャバ嬢。部外者です。今回の件も弘樹さんから連絡を受けて来たんです」
敢て源氏名で自己紹介をする。その事実にほっとしたのか、彼女は態度を少し緩めてくれた。
「忍はね、タバタマイを殺すって言ってた派手な女に刺されたのよ。あんたも仲間なんじゃないの?」
忍を刺したのは、西東京市で会ったミカの取り巻きだろう。
犯人は警官が来た時点で捕まっているだろうが、それだけでは私の気が収まらない。
「証拠はないので貴方に信じてもらうのは無理です。せめて、私に出来る限りの補償をさせていただきます」
彼女に深々頭を下げ、その場を後にしようとしたのだが、何ともタイミング悪く今会っては行けない人達がこちらにパタパタと走って来た。
「まいたん!」
雪ちゃんの愛娘、蒼空ちゃんだ。暗闇の中でも光る金髪で私だと気づいたのか、走ったまま私に思い切り抱きついてきた。
「まいたん、しのぶ大丈夫?」
ようやく忍から離れる決心をしたのに、また気持ちが揺らぐ。
もう一人の大輝くんは眠りモードなのか、弘樹さんに抱き抱えられていた。
「蒼空ね、しのぶがまいたんの事大切にしないから、しのぶの事嫌いって言ったの」
「忍は蒼空ちゃんのこと大好きだから、嫌いにならないであげて」
「ごめんね、ごめんね、まいたんとしのぶの事、大好きだよ、しのぶ死んだら嫌だよお……」
蒼空ちゃんまでグズグズ泣き出してしまったので、私は慌てて彼女を抱き上げた。背中をポンポン撫でると少しずつ落ち着いてくれる。
「まいたん……って、あなた、まさか……」
澤村さんと呼ばれていた彼女は完全に顔色を無くしていた。もしかして、彼女は雪ちゃんの子供達と面識があるのだろうか。
私の代わりに、蒼空ちゃんがしがみついたまま澤村さんに笑顔で答えていた。
「まいたんはね、しのぶの一番大切な人だよお」
「なんで……まさか、あんた、忍の……妹さん?」
せっかく源氏名まで出してこの場から消えようとしたのに、全てが水の泡になった。とは言え子供を丸め込む事は出来ないので私は申し訳無さそうに小さく頷く。
「そっか……そうだったんだ。私は好きな人の為に裸足で新宿を走り回る勇気なんてないし、お友達の娘さんにそこまで好かれない」
「すいません、別に嘘をつくつもりは無かったんです。うちは少し家庭が複雑なので……」
「忍ね、付き合っても私の事をマイって呼んでくれなかった。時々遠くをぼんやり見ていたり、彼が必死にお金を貯めている事も……全部あなたが大切だからって知ってた」
忍は彼女にどこまで身の内話をしたのだろうか。私は何と言っていいか分からずただ腕の中の蒼空ちゃんをきゅっと抱きしめた。
「あーあ。悔しいけど忍は諦めるわ。綺麗な妹さんと比較されるなんてやってられないし。──新しい研修医に奢って貰っていい生活出来るよう頑張るわ」
「あの……!」
「ああ、勘違いしない方がいいわよ。間違いなく世間は冷たいから。私は別に口外したりしないけど、兄妹が一緒で明るいとは言いにくいわよね」
当たり前の事だが、年頃の兄妹が実家では無い場所に一緒に居るのはかなり異質だ。
お互い陰キャと思われるか、人間として何か欠陥があるのか──どちらにしても双方にとってあまり良い印象は無いだろう。
彼女は吹っ切れたのか、弘樹さんに挨拶すると一礼してそのまま踵を返した。
手術が何時に終わるかも分からないし、もう彼女ではなくなったのだから、側に居る必要も無いと言う事なのだろう。私が彼女の後ろ姿をぼんやりと見ていると、腕の中の蒼空ちゃんが身じろいだ。
「まいたん、しのぶは大丈夫なの?」
「ん……今頃くしゃみしているんじゃないかな」
「そっかぁ、蒼空ね、しのぶにあやまらないと……」
雪ちゃんと寝ているところを起こされたのだろう。まだ3歳の子供には夜の病院は堪える。
私はウトウト眠り始めた蒼空ちゃんの背中を優しくトントンしながら雪ちゃんの所に戻った。
「蒼空は麻衣ちゃんの事大好きだから、いつもごめんねえ」
「全然大丈夫。大輝くんがいつも寝てるから蒼空ちゃんも寂しいんじゃないかな?」
「ホント、休日のひろちゃんと一緒で寝てばっかりだよ」
ケラケラ笑う雪ちゃんは弘樹さんに軽く小突かれていた。
「麻衣ちゃんが来てくれたし、俺達はチビ寝かせるのに一旦帰るよ。それまで田畑の事、頼むな」
「弘樹さん、遅くまでご迷惑おかけしました」
「またねえ、麻衣ちゃん!」
双子をそれぞれ抱えた雨宮夫婦は地下の駐車場へ向かったようだった。
しかし弘樹さんが居なくなった事で不安に駆られた。ここで待っていても私は部外者だ。
膝を抱えたまま長椅子の上でじっとしていると、頬にコツンとコーヒーの缶が当てられた。驚いて顔を上げると先ほど帰ったはずの澤村さんがにっこり笑っていた。
「あんたが寝たら誰があのバカを起こすのよ。これで眠気覚ましなさい。手術終わるまで一緒に居てあげるから」
「で、でも……澤村さんお仕事は……?」
「明日休みだから大丈夫よ、とりあえずバカが意識戻したら、あんた──じゃない。“麻衣さん“を大切にするように、一発殴らなきゃ!」
澤村さんが私という存在を認めて、麻衣さんと言ってくれたのが嬉しかった。
シャドーボクシングをする姿に思わず私も笑ってしまった。
「私も、色々な人に心配かけた忍を叩こうと思っていたのに……」
「ふふっ。お互い手加減無しで行こうね」
こんな状況だと言うのに、澤村さんと奇妙な女の友情が芽生えた。