【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第12話 物好きな人間
悩み事があっても仕事を休むわけにはいかない。ため息をつき、私はいつものように準備をしてフロアへと足を向けた。
「きゃあああっ! 荵様だわ〜!」
「あれが歌舞伎町No.1の実力者のオーラなのね……!」
既に客がいるはずなのに、妙にフロアがざわついている。誰か上客が来たのだろうか。気になり、キャバ嬢が密集している先に視線を向けた。
鮮やかな金髪と正反対のダークグレーの高級スーツ。銘柄は知らないけど、ネクタイもピンも靴も全て高級ブランドで固められているように見えた。手首につけている時計と指輪も多分かなりの値段と思われる。
金髪の男がくるりとこちらを見た瞬間、彼と目が合った。その顔には見覚えがある。いや──忘れる訳がない……!
「あいつ、朝の……!」
一発殴りたい気持ちを抑え、彼がキャバ嬢の注目の的になっている事から、私はあの男と無関係を装う事に決めた。権力者に関わるといい事なんて絶対にない。
しかし彼は微笑んだまま寄ってきたキャバ嬢をかき分け、グラスを無心で洗っている私の前で立ち止まった。
「ふふっ。マキちゃんおはよう」
「おはようございます。はじめまして、私は麻倉マキと申します」
「ぷっ。マキちゃんとは『はじめまして』じゃないでしょ? それとも、僕の顔もう忘れちゃった?」
こういうタイプは本当にやりずらい。何を考えているのか分からない人はどう対応すべきなのか先読みしないといけないし、疲れる。
歌舞伎町のナンバーワンとやらが話しかけるものだから、ミカを始めキャバ嬢達から投げつけられる視線が痛い。
私は溜息をつき、一旦フロアから休憩場へと引き下がった。
「マキちゃん酷いなぁ〜、そんなに避けなくてもいいじゃないか」
「えっ!? 何で控室に入って来れるの!?」
その質問は無視されてしまったが、彼はニコニコ笑ったまま後ろ手で控室の鍵をかけた。ガチャリという生々しい音がやけに響く。私は更に焦った。
出口はひとつ。窓はあるけどそこから出るのは難しい。そうなると嫌でもこのよく分からないホストに対応しなければならない。しかも、さっき偶然聞いたがこの人の名前は……
「あなた、シノブさんって言うんですね。何故朝にあんなに思わせぶりな事言ったんですか?」
「荵は源氏名だよ。本当はもう少し焦らしたかったんだけど、僕が我慢出来なくて来ちゃった」
へへっと可愛く笑う姿は少しだけあどけなく見えた。ただ、彼とは今まで一切接点が無かったのに、こうまで突然執拗にされる覚えは無い。
「あのフロアにこのキャバクラのナンバー1から10までよりどりみどりで出てますよ? 私を追いかけた所で、何も面白くないですよ」
「僕は他の女に興味なんてない。マキちゃんと一緒に居たいんだ。一目惚れなんだよ。ええとなんだっけ、N大附属病院の医者と研修医と、それのツレ……弘樹って呼んでた男だよ。あれに麻衣ちゃんが嬉しそうに忍って呼んでいた笑顔が素敵過ぎて」
忍と再会したあの日、弘樹さんはN大学附属病院の医者、研修医と来店してくれていた。記憶が無いとは言え、忍にやっと会えた事を自分でも驚く程嬉々と報告していたような気がする。
まさか、あれを見られていたと言うのか。しかも、周辺に知り合いは置いて居ないので、彼が居たとするとかなり反対側のVIPフロア。すれ違いだけで見える距離では無いし、会話が聞こえたとも思えない。
「あっ、気がついちゃった? 僕ね、マキちゃんに一目惚れしちゃったから、あの後店長に聞いたんだよ。キャバ嬢の名前、あの客はどれくらい支払いする奴なのか。でも個人情報だからって店長は口を開いてくれなかった」
店長が私を売ったわけでは無いと知りほっとしたのも束の間。
「けど、マキちゃんのお仲間さんは色々な口をあっさり開いてくれたよ」
「……最低ね」
それは想定内だった。そりゃあナンバーワンホストに抱かれたら嫌いな人間の事などホイホイ喋るだろう。尻軽な女達はみんな私の敵なので口止めしようがない。
「それで、私に何を望んでいるの? お生憎様ですけど、私は貴方を知らないし、何も満足させられないわよ」
「僕はね、君の笑顔を引き出したい。どうすればマキちゃんの笑顔が手に入るかなってずっと考えていたんだ。あの西東京市にあるマンションも丸ごと買おうかと思ったくらいだよ」
「冗談……やめて、私の居場所を取らないで!」
「う〜ん、僕が何か言うとマキちゃんはどんどん怯えた顔になってしまうなあ……こんな店で他の客にベタベタ触られるのも気になるし。だからね、僕の彼女になってくれたら、マキちゃんがここを辞めても困らないように生活は全部保証するよ。どう?」
「どう? じゃないわよ。私がどんな気持ちでここで働いているかなんて何も知らない癖に。突然ぽっと出てきて、何もかも自分の思い通りになるなんて思わない事ね」
「マキちゃんは僕を拒絶するんだ」
ニコニコしていた彼は突然表情を冷たくした。イケメンの鋭い瞳に射抜かれると、心臓が凍り付くような錯覚を覚え、気分が悪くなった。
「マキちゃん。僕は君をミカよりも上にする事ができるし、僕を敵にして君がこの仕事を失うのも簡単なんだよ?」
「最低。今度は脅迫ですか。多分、あなたのしている事は訴えられますよ?」
「ふふっ、でもそうしないのがマキちゃんだよ。君は自分のせいで他人に何か害がある事をとにかく嫌う。自分が我慢すればいいと考えるタイプだ」
悔しいけど当たっている。私は忍と弘樹さんに迷惑をかけたくない。嫌がらせを自分が被り事が済むなら、それでいい。
「別に大した事は望んでいないんだよ、僕の彼女としてお付き合いして欲しいんだ」
「どうして私なんですか……他に沢山いるでしょう、綺麗な人や可愛い人、それに──」
「そう、綺麗な人も可愛い人も世の中には沢山いる。でも、忍という名前にあれ程反応して、心から幸せな顔に変わるマキちゃんの姿に僕は心打たれてしまったんだ。僕があの笑顔を引き出せたら──それが見たいんだ」
「……物好きな人ですね」
多分、彼の願いは叶わない。私は忍にしか興味ないし、男は誰もみな同じにしか見えていないのだ。それでも彼は私に顔をまた近づけて返答を聞こうとしている。
「私は、ちっとも面白く無いですよ? あなたと一緒に居た所で何かが変わるとは思いませんし」
「オーケー、それでいいんだ。着飾らずにありのままの君が、僕にゆっくりでいいから惚れてくれたら……凄く嬉しいな」
私の曖昧な返答を同意と得たのか、彼は嬉しそうに少年のような微笑みを浮かべ、もう一度私の唇を塞いできた。