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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第27話 言えない一言


 何故また忍の前から逃げだしてしまったのだろう。忍と向き合えるチャンスだったのに。澤村さんが忍を諦めると言ってくれたのに、結局また逃げてしまった。

 過去の自分がしてきた態度を忍は根に持っているのだろうか? 小さい頃から忍を嫌いと言い続けてきた事……それを当の本人から言われると胸が抉られる。

 私が彼を嫌い嫌いと言い続けたのには理由がある。

 母さんは私が居ないと生きていけない人だった。母さんは理想通りに私を作り上げ、私はその期待に一つずつ応える。それが私と母さんの関係性だった。
 母さんが忍を嫌うのは、忍の顔が段々家に帰らなくなってきた父さんに似てきたから。忍は明るくて誰とでもすぐに打ち解ける。女性からはかなりモテた。

 私がスポーツをしたいと言った時、鬼みたいな顔で母さんは必死で止めてきた。あの顔は今でも忘れない。
 勉強、勉強。とにかく勉強。
 いい大学にいって、いい仕事に勤めて、いい人を紹介してもらって、いい結婚をして、いい子供を産んで、誰もが憧れるような家庭を作る。
 母さんの敷いたそのレールは、本当に幸せなのだろうかとずっと考えていた。

 本当は勉強なんて嫌いだ。自分の中にあるモヤモヤした怒りを放出する為に身体を動かしたかった。忍が羽球を始めた事に私は心の中で歓喜した。

 忍は、私の為に、私が好きな羽球をしてくれている。
 それが嬉しくて、何度も何度も忍の試合や練習を隠れて一人で見に行った。

 でもその幸せは長く続かなかった。

 私が忍の試合を見に行く事、忍が部活を頑張る事、すべて母さんは気に入らなかったようで、さらに忍への風当たりを強くした。
 私は忍を守る手段を持たない。もしも忍がこの家から追い出されたり、自分から出て行ったら、私は生きていけない。
 辿り着いた私に出来る唯一の手段、それは忍に対しての感情を殺す事だった。
 私が忍と仲良くすると、母さんは忍に対してとんでもない仕打ちをする。
 幼少期に受ける心の虐待ほど辛いものは無いだろう。なのに忍はいつも私には笑ってくれた。

 母さんからは何も言われていない、お前は心配するなと言いたそうな顔で。そんな母さんを見限った父さんは仕事という理由ではなく、ついに家に帰って来なかった。 

 これが、更なる家庭崩壊に拍車をかけた。

 忍は働ける年齢になった瞬間、想像通り家を出て行った。行き先も告げず、連絡先も告げずに。

 私は最低な妹だ。
 昔から雪ちゃんと素知らぬ顔で仲良くしていたのは、弘樹さんが忍と親友だったから。
 雪ちゃんとさえ繋がってさえいれば、例えこれから先、何かあっても絶対に忍を探し出す事が出来る。
 そして夫婦になった2人は今もとんでもないくらい優しい。
 私が忍を探したい。とたった一言言うだけで、使える手段を全て使って探してくれる。絶対にこの2人を失ってはいけない。私が忍との繋がりを消さない為にも。
 このドス黒い感情は、今も昔も全く変わっていない。

「麻衣さん!」

 追いかけて来たのは澤村さんだった。そりゃあそうだ、忍は管に繋がれているので走れないし、私を追いかける理由も無い。
 私が勝手に泣こうが、言葉が足りないので忍には結局何も伝わっていないのだ。

 忍に言うべきなのはたった一言なのに。それが本人を前にすると出ない。

「はあ、はあ……ちょっと、麻衣さん、足早い。しかも足の裏怪我してたのに何でまたそんな無茶して!」

「あ……」

 澤村さんに言われて私は昨日足をパンパンに腫れさせて足の裏の皮が剥けてあちこち血が出ていたのを思い出した。
 そういえば昨日弘樹さんに借りて血まみれにしてしまったクロックスを弁償しなくては。
 私が違う事で考え込んだのを見て澤村さんはふふっと笑った。

「麻衣さん、クールな見た目に反して結構衝動的なのね。何で忍の前だと大人しくなるの?」

「忍の前に立つと不安になるの。また居なくなるんじゃないかって」

 澤村さんは不思議そうな顔で首を傾げていた。

「忍は麻衣さんの事が自分よりも、誰よりも大切なんだよ。なのに、なんで麻衣さんは逃げるの?」

 今まで忍は田畑家の犠牲となり、母さんの叱咤を全身に受け、私だけが大切に優しく育てられた。
 今更詫びた所で彼は喜ばないだろう。かと言ってありがとうも違う。ではどうしたら良いのか。
 私を大切にしてくれる忍。きっと何を言っても、いつものように笑ってくれるだろう。
 分かっている。それは苦しいほど分かっている。
 忍が、私の事を何よりも、誰よりも大切にしてくれている事。そして自分の事よりも私の幸せを優先してしまう事。

「忍にはスポーツ特待生の枠があった。でもそれを選ばなかったのは、私のせいなの……」

 大好きな羽球を私が奪ってしまった。

 忍が羽球を辞めた理由は先生がどうのという理由ではない。
 私が1人で生きていけないのを分かっていたから、忍は寮に入って羽球を続ける特待生の枠を諦め、ケジメの為に中学の時点で羽球も辞め、母さんに虐げられても何も言わず、笑顔でずっと私の側に居てくれた。

 思い出すだけでポロポロと涙が溢れてくる。
 私だけが親のレールに乗ってのうのうと生きて来たのに、忍が選ぶ道を、周りが、私が、全て狂わせた。
 やっと彼が自由を得たのは私が大学に進学してからだ。

 家から飛び出した忍はイキイキしていた。記憶喪失のまま青梅街道を走っていた時も、私が嘘で塗り固めた恋人を演じた時も、今の仕事でも、プライベートでもそう。明るくて人当たりの良い忍は男女関係なく人気がある。

「忍に、側に居てほしかった。それが叶わない願いだとしても……側に、ずっと居たかった」

「どうしてそれを本人に言わないのかなあ……私に言っても仕方ないじゃないの」

 呆れた顔で澤村さんに腕を引っ張られる。

「あのね、兄だから、とか妹だから、とかグチグチ言っても何も変わらないんだよ。一緒に居たいんだったら居ればダメなの?」

「私が彼女って嘘ついたら連絡拒否された。忍は自分の意思で私から離れたの。だから、忍は私と一緒には……」

「何で連絡拒否なんて……でも、彼女を、マイって呼ぶ事を躊躇うくらいあの男は麻衣さんの事が大好きなのよ?」

 澤村さんからそう言われても全く信じられない。一度だけついた嘘で忍が消えたのを見ている。
 怖い。忍が居なくなってしまう事が。
 また同じ事を繰り返して、彼が本当にいなくなってしまったら、もう私は生きる意味を見失ってしまう。
 返答に困っていると、大輝くんを抱き抱えたまま忍の病室へパタパタ走る雪ちゃんの姿が見えた。雪ちゃんもこちらに気付き、その場で手を振っている。

「麻衣ちゃん、何やってるのそんな所で! 忍ちゃんが大変みたいなんだよ! 2人とも早く部屋戻って」

 切羽詰まった様子の雪ちゃんに、私と澤村さんは顔を見合わせた。まさか、術後の忍に異変があったのだろうか?


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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