case-12- 入浴拒否と向き合う 〜その1〜
case-12- 入浴拒否と向き合う 〜その1〜
※スタッフ、関わった方の名前は全て私が便宜上適当につけた仮名ですので、ご安心ください。
「麻木さんおはようございます!」
こちらをちらりと見つめる…いや、睨みつけてきた86歳女性は両腕を組んだままぴくりとも席から動かずにただテレビを見ていた。
見ていた、という表現もまた違う。彼女の視線は、他者を殺すくらい厳しいもので、テレビの画面すら破壊するんじゃないか?という眼力があった。
これは、小規模多機能で学んだ、認知症と向き合う看護だ。
認知症と聞くと、大体の人が介護疲れや、入所でお金がなくなると悲観的な話しかない。ただ、実際明るい話題はなく、この関わりを楽しく話せる自分の母や、とある芸人さんの関わりが本当にすごいと思う。
実際、ここで麻木さんに出会ったことはわたしのその後から現在までの対応をがらりと変えた。
私が尊敬している看護師は前の作品でも話たが、看護部長のHさん、うちの母、オペ室時代のO先輩の3人だけだ。
そして、介護に携わるようになり尊敬している人は、この小規模多機能で、わたしのトレーナー(要するに教える人)に抜擢された若い安藤くんという笑顔の可愛いイケメンだった。
仕事の出来る安藤くんは大体夜勤が多く、わたしが入職してから、実に丸2週間以上顔を合わせることが無かった。
初見の挨拶が「あ、ごめんごめん。でも、看護師さんだから大丈夫だよ、なんか困ったことあったらいくらでも聞いてね!」とやや放置プレイ。
彼と会う頃、実は毎日代わる代わる違う担当スタッフにそれなりに仕事や物品については聞いていたので、今更安藤くんに聞く内容もなかった。
寧ろ、私が興味を持ったのは、この若い彼がどれくらい仕事が出来るのか。小規模多機能という場所はハッキリ言って少数精鋭でないと仕事が回らない。
関わるスタッフが全員優秀……あ、1人だけ違ったけど、だったので彼の有能ぶりが気になった。他のスタッフからも「安藤さんは本当にすごいんだよ!あの人から学ぶことが多くてさ」と言われるくらい。丸坊主の野球おじさんが目を輝かせて安藤さんを絶賛していたので、正直めちゃくちゃ興味があった。
そして、安藤くんの関わりにわたしは認知症介護の凄さを見た。このスタッフが唯一、認知症の収集癖クレーマーで攻撃的な戸柱さんというご夫婦の旦那さん側を上手く対応してくれる神だった。
戸柱さんは安藤くんを見ると「所長」と呼ぶ。そして、「あいつには昔なあ、散々世話になったんだよ!所長の顔見ないと安心できないんだよな!」と嬉しそうに話す。
こちらは血圧測定ですら右手で持つ杖を振り下ろしてくるくらい攻撃的なので、彼の対応は機嫌悪い時はほぼスタッフ一任だった。短期記憶は無いものの1度暴れると奥様でも収拾つかなくなり、仕事にならないのだ。
そして、極度の風呂嫌いで、着ている服は多分5年以上洗濯をしていない。
あまりの匂いに毎度服を脱ぐ度変な粉と鼻が曲がる程の悪臭に吐き気をするのだが、安藤くんが声をかけただけで全く拒否もなく風呂へ行く。
別に何か特別な事をしているわけでもなく、ただニコニコ笑って「戸柱さん、おはようございます」と言うだけなのだ。
他の男性スタッフが同じ事をしてもブスっと膨れた顔でなんなんだあいつと睨みつけてくる。
私が対応できない最初のケースの1つであった戸柱さんは、安藤くんの協力のお陰で段々奥様も一緒にお風呂行けばいいんだよ!という結論でうまく回るようになった。
ここまではめでたし、めでたし。
しかし、更なる難関は最初に伝えた麻木さんである。
彼女は高次脳機能障害と、左手の骨折による手首から指先にかけての麻痺、歩行のふらつき、治らない貧血と糖尿病がありかなりハイリスクなケースだった。
1度椅子に座ったらテコでも動かない。まして、何を話しかけても彼女は睨みつけてくるだけ。信頼関係の樹立が難しい中で、ひとりのおばちゃんスタッフ、原さんが動いた。
丁度年代もそこそこ近いお陰で、世間話に花が咲き、原さんがいる時は入浴拒否がない麻木さんであったが、彼女は毎日ご来所される上、毎日入浴しないといけない。
そして、原さんが毎日フロアにいる訳ではなく、朝イチに彼女を入浴しないと次から回らないので、何とか朝にトライする必要があった。
そんな中で、ふと安藤くんがどうやって戸柱夫婦と信頼関係を築いたのか聞いた話を思い出した。
「俺、別に風呂に入れようと思って関わってないもん」とあっけらかんと話す。
勿論、彼が話しかけても「家で入るからいい」と戸柱さんも拒否することが多かった。特に、1度怒りのスイッチが入ると手がつけられない。
「そっか〜。家で入るなら仕方ないよね。でもさー、今ならあったかいお風呂入れるよ?」
「うーん、でも家で入るからいいよ」
「いちいち帰ってからまたお風呂沸かしたらめんどくさいじゃん。だったらここであったまったら?」
「いやあ、所長に言われたらかなわねぇなあ。じゃあいくかー」
マジか。そんなストレートに行ってくれるんかい!
わたしの1時間返して(涙)と思えるくらい、どストレートに動いてくれる。
この方法は、あくまで彼と話をして信頼関係ができたからこそ(認知症の彼の脳裏に安藤くんという顔がしかも所長という立場でインプットされている)からできたもので、初見の人が同じことをしてもまず通用しない。むしろ、やったら杖で殴られるくらい危ない。
入浴まであれこれ試行錯誤してこぎつけた戸柱夫婦のケースの後に、わたしが対応した麻木さんの方法を次に記録として残す。
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