
case-10- おじいちゃんのお弁当店
case-10- おじいちゃんのお弁当店
その方は、奥様とご結婚されてから人生の半分以上、お店と共に歩んで来られた方だった。
「はじめまして、草薙さん。○○です、よろしくお願いします」
「よろしくねぇ。おれももうボケちゃってなんもできなくなっちゃったよ」
笑いながらそう話す70代男性。わたしの担当だった。
彼は軽い脳梗塞で、麻痺はごく軽度、記憶力は年齢相当で特に問題は無さそうなケースに見えた。リハビリも順調、歩行機能問題なし、会話も呂律障害ないし、薬の袋を開ける動作も大丈夫そうに“みえた“
「りょうさん(当時のわたしのあだな)、相談なんですけど……」
珍しく彼の担当OTの可愛い子ちゃん、池田さんが話しかけてきた。
「草薙さんの薬、1日管理にステップアップお願いできますか?」
「おー、いいねえ、いいねえ。順調なの?」
「いや……ちょっと気になることがあって……」
池田さんは何やら気になることをリハビリで見つけたようで、私はとりあえず全員に薬一日管理にしたので空を確認するようメールした。
ぱっと見た感じ、何も問題なさそうな彼に問題が起きる。
彼の飲んでいる薬は降圧剤と血液をサラサラにする薬と胃薬が朝、昼は胃薬のみ、夜は高脂血症の薬と胃薬、寝る前に眠剤ってくらいで、そんなに大変ではない。
しかし、一包化になった薬が突然彼を混乱させた。
認知機能は、過去のものが維持されていることが多く、彼は何十年も薬をプチプチ(袋にまとまってないヒート状)で管理していたのだ。老眼で「朝食後」などという文字が見えにくかった彼は朝、昼、夜、寝る前と振り分けられた箱に薬を入れても見えなくて飲み忘れることがあった。
今まで服用できていたのに、突然できなくなったのだ。これはいかん、と一包化ではなくヒートに戻してもらうものの、箱管理だとやはり飲み忘れることがあった。
次にカレンダーのポケットに薬を入れる方法に変えてみたが、こちらも見えにくいのか、やはり飲み忘れが発生する。
「昼の胃薬必要?夜の高脂血症の薬を朝に動かせない?」と医者に打診して、彼の薬は朝に全て集約、そして寝る前の眠剤は奥様の希望もあり、どうしても眠れない時だけ、に変更してもらった。
どうやら、眠剤が強かったらしい。眠剤をやめた日はごくごく普通で、薬も纏めたので飲み忘れもなくなった。
しかし、退院に向けてこのままヒートでの対応は難しい。どのみち退院すると勝手に薬が一包化されるのだ。
回数が減ったので、彼にもう一度一包化でトライしたところ、袋部分にマジックで線を引いたらちゃんと飲めるようになった。
なんて手のかからない担当なんだ!久しぶりに私は超楽!と喜んだ。
しかし彼の復職支援はここからが問題となる。
彼は長年、奥様とお弁当屋さんを経営しており、今は売り上げよりも趣味レベルとの事だが、毎度楽しみにしている人たちの為に何とか早く退院させたかった。
まずは外出訓練。外に出てから初めて学ぶことがある。
奥様と久しぶりの我が家に帰り、喜んで戻るかと思ったのだが、病棟に戻った2人の顔つきは暗かった。
奥様だけ面談室で外出どうだったか?と確認すると突然泣き崩れた。
「主人が、ここは俺の家じゃないって言うんです」と。
病棟にいる間は全く手がかからず、日常生活は問題無さそうに見えたケースなのだが、彼は自分の家と、自分の職場であるお弁当屋さんを完全に“忘れて“いた。
幸い、彼はご夫婦でお弁当を作っていたという記憶はあるので、もしかしたら記憶が何十年前の家やお店まで遡っているのかもしれない。
翌日から、奥様に昔の写真や、お弁当屋さんの何か写真があれば持ってきてもらうよう依頼した。そしてSTの協力で少しずつ、昔の店、今の店、と認識させていき、最初は怪訝そうな顔をした外出訓練も、段々慣れて外泊までステップアップした。
しかし、彼の中でまだここは自分の家ではない、という感覚があるのか、外泊から戻った日は夜中に徘徊したり、排泄の失敗が見られるようになった。かと言って、眠剤を使うとまた薬のトラブルが起きるので、なるべく様子をみてほしい、と他の看護師にも伝達して見守りに徹底した。
それから2ヶ月。毎週外泊訓練を続けていた草薙さんは、ついにお店の前にたった。
PTの話では、店番はできないかもしれないけど、立ってニコニコ接客はできるレベルと判断していたのだ。それでも、表面と中身は全然違う。店にやっとたった草薙さんは喜ぶどころか、突然冷や汗をかいてそのまま崩れ落ちたらしい。身長の高い彼を運ぶことのできない奥様は、急いでタクシーを呼び、病棟まで連れてきた。
病棟に戻った草薙さんは何事もなかったようにけろっとしており、私にいつものニコニコした笑顔を向けていた。
何故店の前に立っただけで具合が悪くなったのだろう。確かにバイタルサイン状全く問題はない。
「草薙さん、体調戻りました?」
「いやあ、最近家内がおれを知らないところに連れていくんだ。知らない人がみんなおれを知ってて挨拶してくれるんだけど、おれは初めてだから緊張しちゃって。情けないなあ」
私はあまりにも草薙さんが手のかからない担当さん(この時別の2人受け持ちしていたので)だったので、あまり執拗に関わっていなかったことを後悔した。
外泊に行かないと見えないことが多い。草薙さんは確かに奥様のことは理解しているし、お弁当屋さんをやっていた記憶もある。しかし、当時からのお客さんが色々話しかけてきても“思い出せない“のだ。
そして、やはり記憶は昔の綺麗な部分で止まっているのか、今の年期が入ったお弁当屋さんは“知らない場所“になっていた。
結局、草薙さんは退院ギリギリまで外泊訓練を繰り返したものの、やはり店番をすると冷や汗がひどく、立つのも苦しいとのことで裏方に徹することになった。
それでも、火の管理や工程をすっ飛ばす事も見られたので、奥様と相談の上、お店は廃業することになったらしい。
「すいません、せっかくご夫婦で長年運営してきた思い出のお弁当屋さんなのに、草薙さん身体元気だからてっきり戻れると思って……」
「いいのよ、いいのよ。どのみちねー、もう私たちも年寄りだし、これも神様の決めた道なのかねえ。お父ちゃんが常連さんと喋れないのは可哀想だけど、お互い元気でいられたらいいのよ」
奥様はカラッとしていた。草薙さんもそう言われてもずっとニコニコしていた。
仲良く手を繋いで退院したご夫婦の後ろ姿を見送り、見た目は例え元気であってもやはりどの方にも同じように関わる必要性を再認識した。
担当リハビリともっと連携を取っていたら、彼はお弁当屋さんを続けられていただろうか……?