【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第10話 弘樹sideー 覚悟
麻衣ちゃんはそのまま入院となった。俺は彼女の働くキャバクラの店長さんにどういう体調管理をさせているのかキツく追求した。
予想した通り先方から返ってきた答えはとんでもない物だったが、俺は同行している医者や研修医と違ってそこまであの店に貢献している訳では無い。悔しいけど、結局それ以上何も言えなかった。
あれをブラック企業と訴えるのは簡単なのかも知れないが、あそこで仕事をしている麻衣ちゃんが仕事を失うのは得策では無い。
それに、田畑と連絡が取れた事を嬉しそうに話していた麻衣ちゃんは、もう少しお金を稼いだら違う仕事に就きたい事を匂わせていた。少し無理をしていただけなのかも知れない。
意識の戻らない麻衣ちゃんがただの過労と栄養不足との診断を受けて安心していたのだが、仲の良い内科の藤堂先生がひとつ気になるデータを持ってきた。
「彼女、こんなに若いのに腎臓と肝臓にダメージ受けているね。このまま放置していたらあまりよく無いね。雨宮くん、このコとお友達だったら自分の身体労るように言ってあげな」
「はい……ちょっと、彼女にとって1番の薬になりそうな奴に言っておきます」
先生に礼を述べ、俺は仕事の合間で田畑へ電話をかけた。実は俺からあいつに電話した事は今まで一度も無い。
彼に記憶が戻っていないので、あいつからしてみると俺はただのお節介な他人でしかない。
学生時代からの写真や学校の作品で彼が俺と間違いなく一緒のところにいた証拠はあるのだが、何が引き金になっているのかあれこれツールを使っても過去を思い出す気配は全く無かった。
向こうも仕事の時間が不定期なので、出ないだろうと踏んでいたのだが、珍しく田畑は5回目のコールで出た。
「も、もしもし?」
『──何だよ弘樹。珍しいな、忙しいお前の方から電話してくるなんてよ』
電話越しで田畑は明日は雨かな、なんてぼやきながら笑っていた。そんな事よりも俺はあいつに弘樹と呼ばれた事に驚いた。
「お前、記憶が戻ったのか!?」
休憩室とは言え大きな声を出すと筒抜けになってしまう。俺は慌てて携帯を片手に外に出てもう一度田畑に声をかけた。
「お前、記憶が戻ったのか?」
『おう、落ちた後からハッキリな。弘樹にゃとんでもねえ貸しを作っちまったなあ〜』
「いや。それはどうでもいいんだけど、そんな事よりも大変なんだよ! 何でお前、麻衣ちゃんからの連絡に出ないんだ?」
『……その話か』
突然田畑はヘラヘラした言い方から声のトーンを下げた。あいつはあいつなりに理由があるのだろう。
これについて聞くべきか悩んだが、意外と先に田畑の方が折れた。外でタバコを吸っているのか、煙を吐く音が聞こえる。
『麻衣と俺がこの先一緒に居てもいい事なんてねえよ。麻衣は昔っから頭もいいし美人だ。ボンボンだろうと、イケメンだろうとなんでも捕まえられる。俺はこんな不規則な仕事しか出来ない。大事だからこそ足枷にはなりたくねえんだ』
俺は田畑の言わんとしている事は十分すぎる程理解できた。
俺と雪音の選択も側から見ると義理とは言え兄妹なのに、と疑問に持たれるものだった。
それでも、俺達は元々お互いに血は通っている訳では無い。親の再婚で偶然一緒に住んでいたから変に思われたけど、別に法律的には何ひとつ悪い事はしていない。
でも田畑は違う。あいつは本物の兄妹なんだ。法律にも引っかかるし、多分一緒に住むに当たって兄妹の関係だと満足にローンも組めない。
そして二人とも仕事が不規則だ。
例え一緒に住めるとしても長く同じ場所で働いて居られるのか分からない。
『麻衣から離れる事にしたんだ。今の仕事よりも安定した仕事に就いて俺が自分を誇れるようになったら……その時、もう一度麻衣に会う』
「そんなの、待っていられないじゃないか。だったら……何でそれを麻衣ちゃんに直接言わないんだ?」
『情けない話なんだが、怖いんだよ。あいつが、俺の為に全てを投げ出してしまう事が。弘樹なら分かるだろ?』
俺はそれ以上田畑に何も言えなかった。
田畑は麻衣ちゃんの将来の為に家を出たのだが、それが逆効果となり彼女は兄貴を追いかけて大学を中退、そして生活資金を獲るべく身を売った。
多分、彼女は田畑の為ならば何でもするだろう。それくらいの覚悟を持って生きているし、生きる意味そのものみたいだ。
しかしその強烈な愛と覚悟が、相手にとって重くない訳がない。
もしも田畑に記憶が戻らないままだったら、麻衣ちゃんは兄貴と偽りの恋人関係を演じ続けていただろう。でもそれで果たして幸せになるのだろうか?
『記憶が無かったとは言え、危うく麻衣を抱きそうになった。そこまで行ったらもう後戻りは出来ねえ。はっきり言うけど、俺に麻衣を守る力なんてねえんだ』
あまりにも辛い言葉だが、田畑は自分の事をよく理解していた。彼は誰よりも本当に麻衣ちゃんの将来を案じている。
自分の存在が無きものになれば、愛する麻衣ちゃんが違う道を歩いて行けると考えているのだ。
「麻衣ちゃんにそれを伝えろと?」
『いや。そんなの言わなくてもいいだろう? ボンクラ兄貴はまたフラフラと居なくなった。ただそれだけの事さ。だから麻衣からの連絡にはこれからもずっと出ない』
連絡を無視し続けることの辛さ、いつか来るかも知れない連絡を待ち続けることの辛さ。お互いに正反対の足枷に囚われている。この兄妹を救う最良の手立ては何か無いのだろうか。
俺はどうやって田畑と電話を切ったか覚えていないが、気がついた時には麻衣ちゃんの病室に居た。
漸く意識を取り戻した麻衣ちゃんは何かを察したらしい。しかし、そんなに俺の顔には色々出ているんだろうか……何もまだ話していないのに麻衣ちゃんは寂しそうに笑った。
「弘樹さん、本当にありがとうございました。子育てが忙しい雪ちゃんにも散々ご迷惑をかけました。全部分かっています。もう、忍は──戻って来ないんですね」
「麻衣ちゃん……」
「──私は……この気持ちの整理をつけるのは一生無理なんです。忍に彼女が出来たとしても諦めきれない。私にもし彼氏が出来たとしても満足なんて出来ない。でも、忍は私を置いて行った。それが、彼の出した答えだって──分かっているんです」
麻衣ちゃんは涙ひとつ見せず達観した顔で遠くを見つめていた。その視線の先には多分俺の顔も映っていない。
彼女の見つめる視線の先にあるゴールが何なのかは決まっている。
そこまでの道のりを全く考えられなかったけれども、大切な親友と妹さんが少しでも幸せになれる道があるならば、これからも助けたいと思う。
「麻衣ちゃん、困ったらまた連絡して? いつでもお店に行くから……」
「いつも、本当にありがとうございます。でも、弘樹さんと雪ちゃんにこれ以上迷惑はかけられないので、私なりに頑張ってみます」
「あと……余計なお世話かも知れないけど、藤堂先生が麻衣ちゃんの腎臓と肝臓の数値気にしていたから……無理しないようにね?」
きっと俺が何を言った所で麻衣ちゃんは今の仕事をすぐに変えようとはしないだろう。それでも──麻衣ちゃんは雪の親友だ。
これから進む道は辛いかも知れないけど、やはり健康で元気に生きていて欲しい。健康だけは、幾らお金を積んだ所で買えないのだから。
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