マイナンバーカードの写真が詐欺
少し実家で起きた笑い話をします。
手術を終え、無事に退院の許可が降りたジジ(父親)を車でおかん(母親)と共に迎えに行った時、受付の近くにあった垂れ幕に衝撃を覚えた。
現在の保険証は12月をもって使用できなくなります。以降はマイナンバー保険証となりますので予めご了承ください。
何だって、私もマイナンバーカードはポイントをゲットする為だけに彼氏と一緒に作ったものの、確か保険証とリンクはしていなかった気がする。
「おかん、うちってマイナンバーカード持ってるの?」
「持ってるよ、うちなんて最初にあーだのこーだの言われた時に作ったんだから!」
退院したじじをソファーに座らせた所で、おかんが2人分のマイナンバーカードを持ってきた。
「お父さんは免許証があるから手続き簡単なんだけど、私なんて何もないじゃない? これ本人の証明がどうのこうのうるさくて、役所で火を吹いてきたよ!」
次第に興奮するおかん。うちの母親は生粋の辰年であり、気性の荒いB型だ。曲がった事は大嫌いで、興奮するととにかく手がつけられない。
役所で延々と函館弁を振り回して怒る姿は容易に想像出来たのだが、わざわざ5年ぶりに帰省した娘にも有り難く再説明を始めてくれた。
「個人を証明するものが必要ですって言うから、会社で使っていた保険証を出すじゃない。そしたらこれじゃダメですって言うのよ。でも私なんて車の免許証もないし、じゃあ何が証明できるって言うんですか? パスポートなんて持ってませんよ、そんなに疑うんでしたら、ここの保険証に書いてある会社に電話してください。この人は働いていますかって!」
役所なんて顔を見て対応している訳じゃ無い。はっきり言って紙の証明が全てだ。いくらおかんがお役所で火を吹いてもそりゃ納得しないだろう。
「そしたら、受付の人もそうじゃなくて、ってゴネゴネ言うから、今度偉い人が来てどうしたんですかって聞いてきたから、またおんなじ説明したんだよ」
ああ、辰のファイヤーが飛び火している。その場に駆り出されたじじが哀れだ。
うちのじじは外では温厚な人で一切揉め事を起こさない。多分、横で吠える強大な辰を眺めていたのだろう。
「そんで結局、作ってくれたの?」
「当たり前でしょ、あんたらが作れって言うからわざわざ来たのに、やれ何がないかにがないってどういうことなのさ! だって保険証持ってるんだよ、他にどの証明書が必要なのさ」
あのお、多分、必要なのは戸籍謄本だと思います……
なんて口が裂けても言えない。我が家の中でおかんに歯向かう事は死を意味する。
ちらりとじじを横見すると、1週間ぶりに戻った我が家で幸せそうな顔をして眠っていた。ソファーが定位置なのか、赤ちゃんのように丸まって寝ている。
「そういや、さっき函病でなんか今年の12月から紙の保険証使えなくなるって書いてたよ? それの手続きってした?」
「いや、知らない。また行くの? もうあの窓口の女腹立つんだわ」
いやいや、役所の言ってる事は間違ってない! ただ。マイナンバー作成の為に必要な書類は「2つ」だった筈。
だから、運転免許証を持たない母が必要なのは「戸籍謄本」または「戸籍抄本」のいずれかになる。それならばこの家にこの人が住んでいるという証明100パーセント。職員も納得せざるを得ない。
なのにゴリ押しでマイナンバーカードを勝ち取ったおかんのパワープレイには恐怖しかない。生時見た目は物腰の柔らかい、普通のオバサンなだけに、豹変するとなかなか怖い。
「腹が立つ立たないはともかく、じじもおかんも病院行けなくなったら困るでしょ、月曜日に私帰る前に車出すから役所行こう?」
「○○(兄貴)に頼むからいいよ」
「いや、きっちゃん(兄貴の呼び名)は仕事忙しいし、そんなホイホイ来てくれないでしょ」
「やー、いちいち○○(私)に頼むの悪いね。んじゃお願いしようかね。お父さんも外出した方がいいだろうし……」
よかった、何とか落ち着いた。確かに退院して4日くらいで父を外に出すのは歩けるのか?とか、体調大丈夫か?とか不安はあったが、家と軽く外の風も浴びないと人間さらにボケてしまう。なので、帰る前に色々片付くしそれでいいと思い了承した。
「そういえばさー、マイナンバーカードって写真撮ったじゃない? 私なんてこんなオバサンみたいな顔なのに、ジジのこれ見てよ」
おかんのマイナンバーカードは70歳になった歳相応の顔だが、若造りは忘れていないように見えた。一方、もう一枚のじじのマイナンバーカードを見て私は爆笑した。
「誰これ!?」
「お父さんね、カバンに昔履歴書のために撮った写真をいっぱい残してたのよ。だからこれ40歳の時だね」
私より若いじゃねえか!!
つーか、何でこの写真が役所で通ったんだ!?まさか、おかんが凶暴過ぎてジジのマイナンバーカードは適当にスルーで作られた!?
写真にはフサフサの髪で超絶真顔のジジ。まあ、今はスキンヘッドにしたものの、ぶっちゃけると顔はほとんど変わっていない。
顔が変わってないから、髪の毛切りました!で通用するんだろうか。いや、無理だろう……
「なんでこれが受理されたわけ!?」
「さあ? あの人、免許証も出したからじゃない?」
いやまて、運転免許証は普通にジジイだぞ。今年、残念な事に認知症検査試験に落ちてしまい、2回目受けますか?と優しい教習所のおねーさんに言われたものの、ジジはもう長距離どころか家周辺しか歩けないので、約60年間の運転生活にピリオドを打った。
運転免許証も3枚ほど持ってきてくれたので、その顔の変わらなさに爆笑しか無かった。今回免許返納したものと、その数年前の免許証。顔がさっきの40歳と全く変わっていないのには驚きしかない。男性って、こんなにも顔が変わらないのか?
そして月曜日。私はじじとおかんを乗せて函館市役所へと向かった。じじは少し歩いただけでやはり足が出なくなり、私は全速力で役所から車椅子を借りてきた。それを押しながら外の花を見てニコニコしているじじが可愛く見えた。
本当は花と動物が大好きなじじで、いつも家庭菜園と玄関に季節の花を植えて育てるのが趣味だった。今も新しい土がシャッターの中に入っているが、もう自力では手入れも出来ないため、おかんが全部引っこ抜いたらしい。
いの一番に手続きしてもらいたかったので、私は何とか市役所に朝一番に到着させた。平日だったおかげで人は殆どいなく、すぐに手続きしてくれたので、私はじじの隣に座り、2人分の手続きはおかんに全て任せた。
「なんか、保険証が使えなくなるって聞いたんで、急いで手続きに来たんですよ」
「はい、マイナンバーカードと保険証のリンクですね」
とおかんの嫌いな受付ではなく、ベテランぽいおばちゃんがサクサク対応してくれた。おかんのマイナンバーはすぐに完了。次の問題はジジだ。
「これ、お父さんのやつなんですけど、なんだか知らないけど写真が40歳のやつみたいで。これってダメですよね?」
笑いながらそう言っておばちゃんと喋るおかん。おいおい、あんたがその写真否定したらダメやろ。と心の中でつっこみを入れてしまったが、また撮り直しが必要と言われても今の時代携帯で撮って後からどうにかとか出来るし、本人がこの身体だから、って事で融通が効くのかも知れない。
「えっと……ご本人様はいらっしゃいますか?」
「あれです」
あれって何だよ!と思い、おかんに指さされたじじはどこかぼんやり遠くを見ていた。認知症が進んできたせいか、時々変な所を見つめている事がある。
じじの姿を確認したところで、おばちゃんは有難いことに「別にご本人様を確認するのは写真ではありませんから」と言いそのまま手続きに入ってくれた。2人で笑っていたけど。そりゃそうだ、誰が70過ぎのじいさんを40歳の写真で認可したんだよともうツッコミ所しかない。
どうやら、マイナンバーの有効期限と保険証が同期しているようで、おかんは来年の誕生日、じじは再来年の誕生日となる。それまでは特に写真も変える必要はないとの事だ。
その時はいい顔をして帰宅したおかんなのだが、帰ってからまた火を吹いた。
「また来年あそこに行かなきゃ行けないの!? なんでこんなめんどくさいものにしたんだろうね、お父さん車乗れないし、○○はアテにならないし、バスで行くしかないじゃない!」
うちのおかんはじじと私のアッシーくんで生きてきたある意味お嬢様だ。とてもバスで市役所まで行けるとは思えない。
この時は興奮していたので、うちから近所のバス停から何とか一本でいけるような話をしていたが、多分あのリウマチになりかけている足では無理だろう。
気持ちだけが前に出て足は動かず上半身だけが歩いている感じだ。お金云々の話はいいからタクシーを使って欲しい。
私はきっちゃんにそっとラインをして『来年のおかんの誕生日前に市役所でマイナンバー更新手続き頼みます』とだけ送った。
本当は私が出来たら良いのだろうが、東京から函館ってやっぱり遠い。いくら新幹線が来ても値段が高い。
おかんがまた次のマイナンバーカード更新スケジュールをごねている間も、じじは素知らぬ顔で定位置のソファーに転がりまた幸せそうに眠っていた。