【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第41話 Dear Bride
約束の夕方前に私は何とか気だるく重い体を起こし、隣でまだ幸せそうに寝ていた忍を揺すり起こした。
西東京市から小野田さんの喫茶店へ行くには電車の乗り換えもあるし1時間以上はかかってしまう。慌てて準備を整えて家を飛び出したのは17時だった。
小野田さんの喫茶店に来るのは約6年ぶりくらいになるだろうか。
お母さんが作る懐かしくて美味しいオムライスが食べられる店としてこの近隣ではかなり有名だ。
長年ご夫婦と息子さんとで経営していたのだが、ご両親は腰の痛みと年齢の問題でご勇退されているらしい。
今は確か息子さんとその奥様が店を継がれているはずだ。
私も久しぶり過ぎて、喫茶店の詳しい情報は知らなかったのだが、笑顔で出迎えてくれた小野田さんの奥様を見て言葉を失った。
「しかし、麻衣は昔っから全然変わらないね。って事は、雪ちゃんは相変わらずホワホワしてるの?」
店を継いだ奥様は何とS女学校時代に雪ちゃんと3人でいつも仲良くしていた坂口彩だった。本当に世間は狭い。
彩の旦那である小野田慎吾さんは忍の同級生なので顔はよく知っている。
「彩も変わらないね。しかも、いつの間に子供出来たの? 妹さん達は元気?」
「うん! 元気過ぎだよ。でもみんな大きくなったから、うちの子の面倒見てくれたりして助かってる。ほら、ここってランチタイム超忙しいから、3番目の妹はここでバイト入ってくれたりしてる」
横を見ると2番目の妹さんが彩の子供を抱っこしてあやしていた。まだ一歳にもなっていないとの事だが泣き喚く事もなくおとなしい。
「彩! 主役は別の準備で遅れるらしいから、とりあえずこっちも進めるぞ」
忍と何か話ていた小野田さんから声がかかり、彩は嬉しそうに手を上げた。
「はーい。と言うわけで〜、麻衣はこっちきて」
小野田さんの喫茶店は奥側が家と繋がっているので、簡単に行き来できてしまう作りだ。これも長年変わっていない。
レトロな喫茶店全体に広がる珈琲のいい香りに包まれながら私は彩に導かれるまま彼女の部屋へお邪魔した。
「私さあ、喫茶店もやりたかったけど、昔メイクアップアーティストになりたいって言ってたじゃん?」
「彩は昔から化粧上手だったからメイクしない雪ちゃんによくやってたね」
「うん。麻衣の顔、本当綺麗だからちょっといじらせて?」
「私は主役じゃないんだよ、雪ちゃんが来てからやったら?」
「ダメ〜、どうしても麻衣の顔触りたいのっ!」
一度言い出したら彼女は人の話を聞かないので、仕方なく私は彩のメイクに全てを委ねた。
パフで顔を整えられている間に彩は何か思い出したようで、一旦さらに奥の部屋へと引っ込んだ。そしてすぐさま戻ってきた彼女は突然私の前で両手を合わせた。
「麻衣、一生のお願い! 私の代わりにこれ着て! 昔から私とサイズ変わらないし着れるでしょ」
「ええ?! ちょっと……こんなに高そうなドレス、私には着れないよ……!」
白いドレスはビスチェタイプのウェディングドレスのように見えた。何故彩がこれを持っているのかは分からないが、結婚に際して何か事情があったのかも知れない。
「これね、せっかく一生の思い出だからって奮発して買ったのに妊娠してたせいで結局着れなかったんだよ。今も産後太りから5キロ以上減らなくてまだ着れない。どうしてもこれ着たかったから、私の代わりに夢を叶えて! ねぇ〜、お願い……」
美人な彩の身代わりを私が出来るとはとても思えないのだが、あまりにも必死な彼女のお願いに応える事にした。そりゃそうだ、ウェディングドレスは女子の憧れのひとつ。
私は元々結婚に対して執着は無かったし、忍と一緒の未来を選んだ事でこれからもウェディングドレスを着る事は絶対にないと思っていたので、こういうサプライズは本当に嬉しい。
「でも、彩の大切なものなのに、私が先に袖通しちゃっていいの?」
「あったりまえじゃん! だってそれは……」
途中まで言いかけて彩は何故か言葉を止めた。元々今日は雪ちゃんの妊娠をお祝いするパーティだ。メンバーが偶然にも顔見知りが揃っているから、まるでプチ同窓会のような感じだ。
「もうっ……今日は雪ちゃんが主役なのに私がドレス着てもしょうがないじゃない……」
「や、あのね。ごめん……それ、雪ちゃんからの指令なのよ」
彩はさらに言いにくそうに口籠った。どうやら私にドレスを着せたいのは彩だけではなく、雪ちゃんも絡んでいるらしい。先ほど旦那さんの方が忍をどこかに連れて行ったので何を企んでいるのか……。
「え? どういう事??」
「ごめん、遅れた!」
丁度弘樹さん達も到着したらしい。入り口の鈴がカランカランと鳴り、彩は私に着替えるように再度言うと2人と子供を受け入れる為に店の方へ戻って行った。
確かにビスチェタイプのウェディングドレスであれば自力で着れるが、雪ちゃんの指令とはどういう意味なのだろうか。
おしゃれな彩が普段使っている全身用大鏡を借り、私は友人の粋な計らいに感謝し、今回は乗る事にした。
「あやたん、久しぶりぃ〜!」
「ちょっと、蒼空おっきくなったね! パパに似てきたんじゃない? 女の子はパパに似た方が幸せになれるぞ」
「そうなの? 蒼空ね、可愛いママとパパのいいところいっぱいもらいたい」
「まあ、雪ちゃんは可愛いし、弘樹さんはイケメンだし、どっちに似たってあんたら幸せよ……」
きゃっきゃと喜ぶ子供達2人は彩の妹に抱かれている子供をまじまじと見つめていた。
「おいおい、彩……それじゃ俺達の子供可哀想じゃねえか」
「大丈夫よ! 愛(めぐみ)は私に似て美人になるから。それで、そっちの準備は?」
「弘樹が来てくれたから忍は任せて俺は残りの飾り付けと仕上げに行って来るわ」
いつもはレトロな喫茶店なのだが、今日はパーティとの事で装飾が派手になっている。煌びやかな店内と、並んでいる料理に食いしん坊の大輝が目を輝かせていた。
「ねえねえ、彩ちゃん。雪は何手伝ったらいい?」
「んふふ。雪ちゃんはこの“イベント“の主催者だからソファーで子供の相手よろしくね」
「うん! 彩ちゃん、小野田さん、色々ありがとっ」
弘樹さん達が到着したので雪ちゃんの妊娠おめでとうイベントが始まるのかと思いきや、何故か私はドレスを着せられたまま彩の部屋で待機させられていた。遠くから小野田さんが呼ぶ声があり、私は彩に手を引かれてゆっくり部屋から出る。
喫茶店は蝋燭の灯りだけで神秘的な雰囲気になっていた。足元暗いから気をつけて、と彩に言われ、私はドレスの裾を持ち上げて歩く。
「はい、ここでチェンジね」
「え……? え!?」
突然彩にバトンタッチされて真横に立っていたのは白いタキシードに身を包んだ忍だった。
もしかして、何も知らないのは私だけ? 状況が全く読めないまま、私は忍に手を引かれてテーブルを片付けられている喫茶店の中央スペースまで歩く。
音楽担当は彩なのか、突然忍が大好きなアーティストのウェディングソングが流れた。
「こ、これって……」
慌てて雪ちゃんと彩のいる方を見ると2人とも頷きながら微笑んでいた。
「あのね麻衣ちゃん。雪ね、どうしても2人には幸せになってほしくて。だから、彩ちゃん達にも協力してもらったの!」
「まいたん、すっごく綺麗! しのぶ、まいたん泣かせたら蒼空怒るよ!」
「もう泣かせねえって。な、麻衣?」
「う、うん……」
まだ状況が分からない私は助けを求めて反対側にいる弘樹さんと小野田さんに視線を向けた。
「田畑、白なんて嫌だとか散々文句言ってたのに似合ってるじゃん」
「だってよ〜、普通のスーツ着たら慎吾にむっちゃ怒られたんだよ。それはちげーだろって」
男性側は最初から話し合いをしていたのか全く誰1人動揺している様子は無かった。
忍のタキシードなんて見た事ないし……心がそわそわして落ち着かない。ちょっと、格好いいなんて……。
「どうした麻衣? 黙って……」
「えっ、あの、その……今日の主役の雪ちゃんは?」
再度雪ちゃんに話を振るが、何言ってるんだと言いたそうな顔で大輝をソファーで寝かしつけながら小首を傾げていた。
「全員揃ったところで、簡易的ではありますけど、田畑忍、麻衣両名の結婚披露宴を行います」
彩の言葉に脳内で考える時間が全て止まった。やはりこの友人達のサプライズを知らないのは私だけだったのだ。