【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第9話 弘樹sideー 親友
麻衣ちゃんから連絡が来たのは、最後に店に行ったその2週間後だった。ところが店ではなく、中野にある喫茶店で話がしたいと持ちかけられた。
元々彼女の売上貢献の為にお店に行っていたのだが、何か顧客でも掴んだのだろうか?
それはそれで喜ばしい事なのだが、知らない男が麻衣ちゃんにあれこれするのも気に入らない。これはただのお節介だと思われても仕方ないが、麻衣ちゃんは田畑の大切な妹だ。そして雪の親友でもある。
麻衣ちゃんが田畑の事を小さい頃からずっと兄以上の気持ちで慕っているのは知っている。とは言え、麻衣ちゃんが今進もうとしている道は険しい。それはあくまで建前で、何とか2人には幸せになって欲しいと思う。
俺は待ち合わせよりも早めに到着し、席を確保したまま新しい治験の本を読み始めた。
店はさほど混んでいない。テレワークが普及しているせいか、パソコンを持ち込み黙々と己の世界に入っている会社員も多く見られた。
ファミレスのような広さがあるので、ここならば多少込み入った話をしても誰かに聞かれる心配は無いだろう。
多分、麻衣ちゃんが中野を指定したのも、新宿に居る知り合いや客に会いたく無いからだと思うし。
「弘樹さん、お待たせして申し訳ありません」
「え……っ!? まさか……麻衣ちゃん?」
俺は思わず読んでいた本を落としそうになった。日本人形のような綺麗な黒髪は鮮やかな金髪へと変化していた。しかも彼女は元々露出の多い方では無かったのだが、今は惜しげもなく綺麗な足と胸をチラつかせている。それにメイクも今までとは違いかなり……。
「あっ、ご、ごめんなさい。着替えて来る時間なくて、こんな格好で」
「いいよ、ちょっと変わりすぎてビックリしたけど。ここなら知り合いも居ないから選んだんだよね?」
俺の問いに彼女は小さく頷いた。よほど知り合いには聞かれたく無い話なのだろう。
周辺でテレワークをしている会社員の視線を危惧し、麻衣ちゃんの露出を隠す為に持っていた黒のカーディガンを彼女の肩にかけ、自由に使えるように置いてある店の膝掛けも渡した。
「もしかして、穏やかな話では無いのかな?」
俺は先に話を切り出した。彼女がここまで豹変したのは、多分田畑が原因なのだろう。
2週間前に店で会った時は「忍に3年ぶりに会った」と嬉しそうに語っていたのに、今の麻衣ちゃんはまるで魂が抜けたような顔をしている。
見た目はかなり派手に着飾っているが、心だけが何処かに取り残されている──そんな印象だった。
「忍が、また私の前から消えたんです」
「えっ、どうして? あいつから連絡先聞いたんじゃないのか?」
「何度電話しても出ない、送ったLINEは未読のまま、メールも返事が無い。私は、忍が居ないとダメなんです。もう、何の為に生きているのか分からなくて……」
正直、何と返答したら良いか悩んだ。彼女が俺に自分の仕事以外の用事で関わって来たのはこれが初めてだ。
以前から俺にあいつの連絡先を尋ねるのはいつでも出来たのに、麻衣ちゃんはそれをしなかった。きっと拒絶されるのが怖いのだろう。俺も同じ立場なら、そう易々と連絡は出来ない。
未だに田畑の緊急連絡先になっているので、勿論最新版の連絡先を知っているし、あいつとの連絡が途絶えた事は無い。
そんなに頻繁なやり取りは無いとは言え、最近携帯が変わったという報告は受けていない。ならば、あいつが意図的に麻衣ちゃんをブロックしているとしか考えられない。
しかし何故? 麻衣ちゃんはあいつにとって大切な妹さんだ。
『麻衣は、有名な大学に行く為に勉強頑張ってんだ。あいつが苦労しないでいい仕事に就けるように、俺が今から少しでも稼がなきゃな』
あの言葉が嘘だとは思えない。記憶が戻らない今もあいつは同じ仕事を続けている。
「弘樹さん?」
「あ、ごめん。ちょっと田畑の行動考えてた……悪いんだけど、少しこの件に関して時間貰ってもいいかい? 俺もあいつの記憶が戻ったのか気になってるし、何か進展があれば必ず連絡するから」
「ありがとうございます……本当に、何から何まで──」
麻衣ちゃんは緊張が解けて安心したのか、テーブルの前の方に倒れてきた。目の前のマグカップが床へ落ち派手に散乱する。
確かに彼女の顔色はかなり悪かった。よほど無理な生活をしていたのだろう。すぐに脈拍測定するもののかなりバラついており、体調は良いとは思えない。寧ろ、彼女がここまで辿り着けた事が奇跡なくらいだ。
麻衣ちゃんがキャバクラでどう働いているのか詳しく知らないが、若さだけで決して乗り越えられるものではない。
「お客様、大丈夫ですか!?」
「すいません、救急車をお願いします。僕はN大学附属病院に勤務している薬剤師の雨宮と申します。救急隊には僕の方から説明しますので」
「わ、分かりました」
慌てて駆け寄ってきた数少ない店員さんに俺は自分の素性を告げ、救急隊を呼んで貰った。
場所をここにしてもらったのは正解だった。幸いそこまで客は多く無かったが、店員がバタバタするせいで周囲がざわつく。これが新宿であれば色々面倒な騒ぎになっていたかも知れない。
俺は人目を避けるべく青白くなった麻衣ちゃんの頭にカーディガンをかけたまま彼女を抱きしめ、大丈夫と呟きながら彼女のほっそりした背中を撫でた。
それと同時進行で雪に連絡を取った。
『ごめんねひろちゃん、雪はそっちに行けないから、麻衣ちゃんに付き添って欲しい』
「了解。──悪いな、今日も遅くなっちゃうかも」
『うん! こっちは全然大丈夫だよお。ひろちゃんは、雪の分も麻衣ちゃんを助けてあげてね』
電話越しで双子の息子が『パパ』と言っているのが聞こえた。それに応えている間に救急車の音が近づいてきたので、俺は次の休みでいっぱい遊ぼうなと息子と約束を交わして電話を切った。
ストレッチャーを持って来た救急隊に俺は自分の素性を告げ、勤務先の病院に緊急搬送可能か問い合わせてもらった。
完全に意識を無くして白くなっている麻衣ちゃんと共に慌ただしく救急車へ乗り込む。
オロオロと心配そうに見守っていた店員さんに五千円札を渡し、飲食代と迷惑をかけたお詫びでお釣りはいりませんと伝えてその場を後にした。