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case-11- 問題児との戦い〜その3〜

case-11-    問題児との戦い〜その3〜

※スタッフの名前は全て私が便宜上適当につけた仮名ですので、ご安心ください。



3ヶ月目、彼にもう一度STの単位を振るか相談した。この時のカンファレンスで、桜庭さんは「武田さん(神のST)に一度関わってもらいたいので、私も勉強させてもらってもいいですか?」と医者に直談判してきた。
基本、この病院の脳神経外科の医者はリハビリ関連の件はそこまでダメ!と言うことはなく、スタッフの自主性を認めてくれるいい先生が多かった。約1名を除いて。

そして、わたしは問題児後藤さんがST再開の時に、武田さんの関わりを見た。
「こんにちは、後藤さん。STの武田と申します」
「あ、どうも。あれ、桜庭さんじゃないの?」

後ろにいる桜庭さんに気づいた後藤さんがあれ?という顔をしていたが、桜庭さんも「今日は先輩の仕事見学なんです」とメモを片手に動いていたので、まあいいや、と納得したらしい。

桜庭さんと武田さんの関わりは、わたしから見るとあまり差異がないように見えた。
しかし、一日武田さんの関わりを見ていた桜庭さんは感動しまくっていた。そして興奮したようにわたしに話す。

「葵さん!やっぱり武田さんはすごいですよ、あの後藤さんがすんなり課題に取り組んでるんですよ、色々学べて良かったです!」
「正直、別に桜庭さんと武田さんの関わり、何が違ったのかわたしにはわかんなかったよ?」

とりあえずストレートな感想を返すと、何が違ったのか簡単に教えてくれた。

要するに、『言葉(こえ)のトーン』なのだ。

桜庭さんは、真面目なのでどうしても言葉尻がきつく、武田さんと同じように例えば、「これをお願いします」とオーダーしても、上から目線のように聞こえる。
そして、やや感情が欠落しているので、機械っぽい言い方になり、見た目も人形のように美人な方だから尚更冷たく感じたのだろう。
一方の武田さんは、まるで肝っ玉かあちゃんのようなおおらかさと包容力、笑顔は爽やかでいつもふわっとしてて優しい。言葉尻も常に優しくて、この人は菩薩だろうか?と真顔で問いかけたくなるくらいの人だ。
だからこそ、私も桜庭さんと同じく武田さんを尊敬しているし、彼女から学ぶことも多く、ずっと尊敬している。

桜庭さんは、自分が仕事をしている上で何が足りないのかをたった数時間で気づいた。武田さんにも、
「さくらちゃん、仕事、楽しい?」と聞かれていた。
「はい!武田さんの背中をみて仕事できるの本当に嬉しいです!ずっと憧れでした!」と大胆な告白タイム。(結構武田さんに毎度告白しているのを聞いているので慣れた。別に百合ではないよ?)

「さくらちゃんは、真面目すぎるから、相手から何か言われたら一回リセットした方がいい。すぐに言葉を返さないで、相手には『沈黙』の時間も必要なんだよ」

へええ〜、あ、ここでわたしが精神科をやってた時に勉強した沈黙が出てきた。
脳神経の病気って、難しい話をかいつまむと、脳みそから指令が出るまでに時間がかかる。だから、たたみかけるように言っても理解できないし、理解できないとイライラする、特に、この人生の先輩達は中年層で、とにかくプライドが高い!

尊敬するSTの武田さんはこの沈黙の使い方がとにかくうまかった。わたしも暇な時間に武田さんの行うリハビリを見学させてもらったが、色々な方と関わる時にすごくゆっくり。
別にその日全く進展がなくてもそれで良い。記録も丁寧なので、内容もわかりやすい。

わたしは夜勤の度にリハビリ記録を読んだ。すると、後藤さんのリハビリ記録が少しずつ変わってきたのが見えた。
あまり細かく記録するリハビリスタッフは居なかったが、人によっては細かく書いてくれるので何が変化になったのか関わりで参考になる。

4ヶ月目、後藤さんは外出訓練が始まった。残り2ヶ月のところで、ちょうど折り返しだ。
しかし、ここからまた問題が残る。後藤さんは夜間尿器を使うので、トイレでは成功していない。まだ外泊にはならないとしても、夜間のトイレ自立を確立する必要があった。
遂行の問題の残る後藤さんは、日によって眠剤を使うと尿器でも失敗する。そうなると、やはりキーパーソンのフィリピン妻が怪訝そうな顔をしてわたしに言うのだ。「これでは困る、家、戻れない」と。
とはいえ、日中は自立、夜間の手技をどうしたらいいのか。色々話し合い、夜もトイレ誘導を始めてみたものの、麻痺が酷く、眠剤の影響もあり介助しないととてもできる状態ではなかった。
何度も言うが、彼の奥様は一切「介護」には関わりたくないので、身の回りは全て自立にしないとゴールには辿りつかない。
リハビリと再度相談したが、これ以上運動機能の向上は難しいとの結論に至った。全て、彼が適当にやってきた代償なのだが、カンファレンスでのゴールは今の現状維持であり、転倒しないよう車椅子を併用して日常を過ごす、というものだ。
彼は、この結果を受け入れられるだろうか?いや無理だな。あれだけ自分で自分のことをやりたいとリハビリ室前で吠えていた人だ。
あなたのゴールは車椅子も併用して、時々短距離を介助されて歩けるくらいです、と言われてそうですかと納得できないだろう。

「夜間トイレ自立ってどうですか?」
PTからわたしに話が振られた。もちろん、評価したが全て失敗で、結局リハビリパンツを汚すので夜は尿器でいい、という結論を本人がくだした。彼はひとの話を基本聞かないし、自分が全てなので、結局みんなめんどくさいし問題起こされたくないから、という理由で夜のトイレ誘導はなくなった。
「……でも、奥様は介護関わらないから、出来れば持っていきたいんだよね」
ちらっとPTくんに目配せする。がんばれ、君だけが頼りだと。
若干ため息が聞こえたが、「分かりました……」と彼はわたしの無言の圧力を受け入れてくれた。

とりあえず、夜間でトイレに行くのはわたしが夜勤の時だけで、導入の際にまた怒られた。「夜は尿器でいいって言ったじゃねえかよ、めんどくせえ……」と。
「別に尿器でもいいですけど、片付けるのは奥様になりますよ?そういう話ってしました?」
「……」

ちょっと狡い方法かなあと思ったが、奥様の名前を出すのは効果があった。本人はめちゃくちゃ渋々だったが、まず1回目。眠剤を飲まなければ立位動作問題なし、そして自力で着脱可能。これなら大丈夫かと様子みたところ、夜中の3時くらいにコールが鳴り行くと、装具もつけられない彼は半裸状態で車椅子乗せてと言ってきた。まあ、家の環境で半裸だろうと、問題は失禁しないことなので、こちらで服装云々は介助して車椅子に乗せていざ2回目。
やっぱりダメだった。座面が浅く、座りなおしの声掛けをしても自力で修正が出来ず、結局間に合わない。パットを当てているので、まあ何とかなるもののやはり汚れたものに関しては誰かの手が必要になる。

「なんでこう上手くできねえんだろうなあ……」

残り2ヶ月を切ったところで、後藤さんは漸く作業療法と向き合い始めた。理学療法も、あれだけ歩きたいを連呼していたのに、必ずトイレでしっかり立てるようにしたい、と心意気が変わった。そしてOTくんのリハビリにも真面目に取り組み。最後の1ヶ月で初めての外泊許可が降りた。本当はもっと早くから許可が出ていたのだが、ICの時に奥様が動けない、困るとはっきり拒否され、本人も出来ないと迷惑をかけると理解していたらしい。

後半からはかなり順調に見えるリハビリだったが、最後にまた彼は暴走する。

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