case-9- 欠けた記憶を取り戻す〜その3〜
case-9- 欠けた記憶を取り戻す〜その3〜
歩行能力は問題なし、会話も問題なし、言語障害なし、記憶は──戻らない。
残り1ヶ月になったところでのカンファレンス。リハビリからの報告と、今後について話し合った。
毎週の外泊訓練では特に問題はなく、何度か薬の自己管理も試してみたのだが、絶望的に記憶力がなく、薬の日付は認識しない、飲んだのか、飲んでないのかも覚えていられない、開封動作は問題なく、薬も脱落させずに飲めるが、はっきり言ってそこがゴールだった。
脳出血でてんかん持ちの彼は非常に大事な薬を沢山服用している。これが重複でも忘れても命に関わる。だから、申し訳ないけど看護の限界だな…と思いつつ奥様に薬管理は託した。
「問題は仕事ですね。彼はローン返済が残っており、家族もいます」
「こんだけ大きい出血だからねえ、頭死んじゃってるから、仕事は無理だよ」
医者はあっさり匙を投げた。自分で歩いてトイレに行ける、喋れる、ご飯も食べられる。何か問題でも?と言いたげだ。しかし、彼の担当医者はいい先生だったので、口は絶望的と話しつつ、ひとり本院の有名なOTをチーム龍角散に組み入れた。
「高橋です、よろしくお願いします」
小柄でハキハキした女性OTさんは結構有名な方らしく、イケメンくんと正反対のテンションで元気だった。こんなに明るくてOT?偏見かもしれないが、PTのような明るさだ。
初対面の私とも腕がもげそうなくらいブンブン握手し、中山さんともニコニコ満面の笑みで握手していた。
「中山さんですね、はじめまして!高橋です!」
「はじめまして……」
ちょっと、高橋さんのキャラが強すぎて中山さんドン引きしてる。それでも気にせずに続ける高橋さん。
「中山さん、仕事したいですか?」
ど直球な質問に正直驚いた。え、これで仕事したくないって言われたらどうすんだろ?
ヒヤヒヤしていると、
「仕事はしなきゃいけないけど、出来ないよ」
と返答があった。良かった。やりたくないって言われたら奥様の努力が無駄になる……。
すると、高橋さんは「ですよね!」と笑っていた。
「いいんですよ、仕事なんてしなくたって。だって、私も推しが大好きで、仕事は趣味の為にやってるようなもんですし、やらなくていいならやりたくない」
「へー、珍しいこと言う人いるんだね」
なるほど、コミュニケーションの取り方か、と私は高橋さんの入り方をみて非常に勉強になった。最初から頭ごなしに関わると信頼関係は生まれない。少しずつ探る方法だ。
彼女に出会ったことで、私は今もこの手法を使っている。本院にいる方なので、普段は絶対に会うことの出来ないスタッフさんで、これは実にいい出会いだった。
中山さんと雑談した後、高橋さんはカンファレンスルームで神妙な顔をしていた。もう彼女の中で彼に対する復職プランが動いているらしい。
「復帰センターに打診してみましょうか」
「そんなのあるんですか?」
脳神経リハビリはマックス6ヶ月。それ以降は在宅、または施設、そしてもう一つ、望みをかけて半年復職支援センターへ転院する道がある。しかし、復職支援センターは基本、面会が出来ない(物理的に東京からかなり離れている)
復職支援センターもマックス半年。彼が果たしてそこで奥様にも息子にも会わずに耐えられるのか?
しかも、奥様のことは2度目の恋であり、厳密に思い出してはいない。子どもも幸いパパ似のおかげで安心しているのだろうが、この半年の間に疑心暗鬼に駆られる可能性だってあった。
「彼の意見を聞いてみましょ。また来週来ますね!」
高橋さんは復職のプロOTだ。具体的に相手の悩みの核心をついて、必要なプランを捻出する。医者からも絶大な信頼があり、彼女の一声で色々決まることもあるらしい(イケメンOTからの話だが)
1週間後、奥様と本人も交えてのIC(インフォームド.コンセント)があったので立ち会った。
医者からあと1ヶ月で入院の最高期限。このまま退院するか、仕事復帰に向けてもう一度別の場所で頑張るかの2択を迫られた。
奥様としては何とか彼に仕事復帰してほしい願いから会社に打診して旦那さんの休職手続きまでしている。奥様は半年頑張れる?と中山さんに尋ねていたが、本人の返答は曖昧だった。
「行かなきゃダメですか〜?」
「強制ではありません。あくまで、中山さんの意思です」
「たっちゃん(仮名)、ここまで頑張ったんだから、もう一踏ん張りしよ?」
奥様に後押しされる形で、中山さんは復職センターへ転院することになった。
私は自分のできる範囲のことを再度まとめて中山さんに渡すことにした。日常生活の注意点、地図を書いて道を感覚で覚えること、家族とのコミュニケーションの必要性。
パンフレットを持ち中山さんの部屋に行くと、彼は暗かった。そりゃそうだ、半年間奥様と離される。東京都内にある施設ではないので、面会に行くことは出来ないだろう。そして、彼はそんな訳の分からない場所に行っても仕事復帰できるのか?という不安を常に抱いていた。
「りょうさんも言うんでしよ、俺がやっぱりあっちに行くべきだって?」
「どうしたいかですよね。奥様と大輝くんを守りたいなら踏ん張った方がいいと思うし、パパも元気になって仕事してたら、みんな幸せなんじゃないですかね?」
「そうだよね、そうなんだよね…でもなあ〜」
私は昔呼吸器で抗がん剤を受ける方の沈黙の共有について研究していたはずなのに、すっかり落としていた。答えを焦ってはいけないのに、答えを求めてしまった。これはいけない。彼が自分で選ぶことが大切なのに、これじゃあ周りからイケイケ言われて渋々行くことになってしまう。
誰だって言われて行け、と言われて気分の良い人はいない。自分で選び、そして達成した時に大切な人に言葉をもらって喜ぶはず。
彼の迷いに気づいていながら、答えをあせらせてしまった私の最低の関わりだった。
1ヶ月後、彼は退院ではなく、やはり復職センターへの道を選び、そして奥様はパートと子育てをワンオペでこなしていた。
ある日、本院の高橋さんから彼の復職復帰状況や、リハビリについて尋ねたところ、やはりやらされ感が強くて進まなかったらしい。
初歩レベルはクリアしたが、彼の業務は複雑な工程を要する。パソコンで空間製図をするのは、空間無視を持っている彼の病状と絶望的な相性だった。
それでも、根を上げずに半年のコースを達成して退院した彼は、一度だけ病棟に挨拶にきた。
「5キロも痩せたんだ」と嬉しそうに話されていたが、結局復職はできず、奥様と相談してマンションは売りに出したらしい。
彼が復職は出来なくても、奥様は「この人、私がいないとダメだから、このまま支えていくことにしました。沢山愚痴聞いてくれてありがとうございます」
家を手放して吹っ切れたのか、奥様の表情は晴れやかだった。別に無理してまで守るものではなく、家族3人がそこそこのお金で細々でも幸せに暮らせたらいい。それが結論だったのかもしれない。
答えのない脳出血後の復職支援。
今の時代の会社は結構休職や病気に大しての理解を示してくれるが、当たり前だか「働けない人間はつかえないし、そこに捻出する金はない」という結論になっている。
若い方の脳血管障害も増えているので、このケース以外の会社も、例え障害を抱えても働けるポジションの模索をしてもらえたらなと思う。