【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城 第28話 甘いキス
「忍っ……!」
その場にいた外科の先生は弘樹さんと何か会話をして忍に入っている管の処置をすると、回診で連れて来た2人の看護師と共に私達とすれ違いで出て行った。
「麻衣さんチャンスだよ。今なら忍も寝てるし、さっき言えなかった事きちんと伝えないと」
澤村さんに背中を押され、私は穏やかな顔で眠っている忍の真横に再び座った。全然起きる気配を見せ無い。
私はシーツから無造作に飛び出している忍の右手をきゅっと握った。指の付け根部分の豆と、固くなっている手の皮膚をゆっくり辿る。
「しのぶ、いたいの?」
私の真横に不安そうな顔をした蒼空ちゃんが立っていた。私は彼女の頭を撫でてもう一度眠っている忍に向けて話しかける。
「ごめんなさい……」
私が何度も何度も忍を探したりしなければ、出会わなければ、忍がこんな大怪我をする事はなかった。
私が新宿から出ずに黙々と働いていたら、今ここに横たわっていたのは私だった。下手したら死んでいたかも知れない。忍は、私の身代わりになったのだ。
彼の手をさらに強く握りしめ、ベットの横に括り付けてあるドレーン管を見つめる。赤い血がゆっくりと砂時計のように下へと滴っていた。
「まいたん、どっか痛いの?」
いつの間にか泣いていたらしい。私の顔を覗き込んだ蒼空ちゃんが突然私の頬を伝う涙を触ってきた。
「蒼空ちゃん……」
「まいたん、しのぶの事好き?」
子供は純粋で素直だ。蒼空ちゃんのように、私も素直になれたら。
「うん。好きだよ」
「ほんとに好き? しのぶ、いつもいつもまいたんを泣かせるのに?」
蒼空ちゃんは何かを確かめるように真剣な顔でもう一度尋ねてきた。私がいつも忍を避ける言動をしていたので、漠然とした不安を感じているのかも知れない。
彼女には双子の弟がいる。だから兄妹仲の悪そうな私の態度が気になるのだ。それに、子供相手にいつまでも自分の気持ちを偽っても仕方がない。
「そうだね。確かに泣かされるけど、忍の代わりは何処にも居ないの。だから、忍の事大好きだよ」
「だってさ、しのぶ」
「え!?」
何故かとても不服そうな顔をした蒼空ちゃんは寝ている忍の鼻を突然つまんだ。
何と、回診の後から寝たふりをしていたらしい。鼻をつままれた忍は大きなくしゃみをして胸周りを押さえて起きた。
「いてて、くしゃみだけでもかなり傷に響くんだよ、起こすのにもう少し違うやり方ねえのかよ……」
「ぶぅー。だって、またしのぶがまいたんの事泣かせたもん」
「ど、どういう、事?」
忍を握っていた手を離そうとしたが、逆に力強く握り返されてしまった。暖かい手の温もりを振り払う事も出来ず、私はただ茫然と周りでニヤニヤしている共犯者達を見渡した。
澤村さんも何が起きたのか理解しておらず、口をぽかんと開けたままだ。
どうやら、弘樹さん達が私の本音を聞き出そうとしたらしい。まさか3歳の蒼空ちゃんまでそんな事に参加しているなんて思ってもいなかったので、完全に騙された。
「ごめんね、麻衣ちゃん。雪ね、麻衣ちゃんが忍ちゃんとすれ違うの辛くて。ひろちゃんに2人が上手くどうにか出来ないか相談したの」
何とこの茶番の計画者は弘樹さんではなく、雪ちゃんだった。想定外の連続に私は眩暈を覚え動揺を隠せなかった。
「ゆ、雪ちゃんまで……」
「それでね、はい、これ」
雪ちゃんは満足そうににっこり微笑みながら私の手にラップに包まれた灰皿を乗せた。
しかもあの時のタバコの空も捨てられないまましっかり残っている。
「食いしん坊の大輝がタバコなんて知らないから、何回もコレを食べようとして大変だったんだよお〜、これは、麻衣ちゃんがケジメつけなきゃ。ね?」
「こ、これは雪ちゃんに捨ててって……」
私のもごもごした言い方に雪ちゃんは珍しく頬を膨らませて反論してきた。
「ええーやだよお。だって雪は麻衣ちゃんの事大好きだけど、忍ちゃんの事も大好きだもん」
「蒼空も! 蒼空も! まいたんもしのぶも大好きだよ!」
ね〜と2人で顔を見合わせて意気投合している親子の姿に私は続ける言葉を失った。彼女にお願いした私も非常識だった。しかし、まさかのとんでもないタイミングでこれを持ってこられてしまったのは……
「まだ、そんなん持ってたのかよ……」
忍は苦笑したまま私の手からひょいと灰皿を奪い取った。
「さあて、タバコが嫌いな“まいたん“が、どうしてこんなものを持っているのかな〜?」
意地悪な顔で覗き込んでくる忍の瞳は優しかった。口元には含みのある笑みが浮かんでいる。
「いや、その……お、お客さんが来た時用に……」
「麻衣ちゃん! もう嘘ついてもダメだよ。綺麗好きの麻衣ちゃんが、いつまでもタバコの空くっつけた灰皿を大事にしているのって、すごくおかしいじゃない?」
うう、普段は自分の意見をガツガツ言わない雪ちゃんが仁王立ちのまま更に追撃してくる。この場所に私の援護をしてくれる人は誰も居ない。
澤村さんに助けを求めて一瞬だけ目配せしたが、灰皿の存在に彼女もかなり驚いたらしい。完全に吹っ切れた顔をしていた。
「私は好きな人が使ったタバコだろうと、そんなの臭いからすぐ捨てるわ」
「あ、あの……」
「忍……こんなにもあんたの事を好きな人がいるのに、よくもまあ私と遊んでくれたわね……全く」
「ははっ。ごめんな、澤村」
あまりにも悪意の無いカラッとした忍の言い方に私も澤村さんも呆れてしまった。
「ちょっと〜、何で私が振られてる展開になってるワケ?」
「いや、大怪我して集中治療室にいる俺にいきなり別れを切り出すお前もどうなんだよ……」
互いの会話のテンポが心地よい。多分、澤村さんと忍はこのまま何事もなく上手くいくだろう。2人の仕事柄も、人間性も申し分ない。そう思っていたのに、忍は私の手を握りしめたまま離そうとしなかった。
「忍とは彼女じゃなくても、今まで通り友達でよろしくね。それに、麻衣さんとも仲良くしたいし」
「えっ!? 澤村さんは忍の彼女……」
「無理無理、私は名前で呼んでくれる彼氏がいいし。と言うわけで、忍はノシつけないで麻衣さんにお返しします!」
「ええ〜、勘弁してくださいよォ〜」
忍が突然変な声を出したせいで、澤村さんと弘樹さんがぷっと吹き出した。
「ちょっと、ここで三谷先生の真似しても通じる人、私と雨宮先生しか居ないと思うよ?」
その三谷先生という人が何者なのかは分からないが相当似ているらしい。弘樹さんと澤村さんがクツクツと笑いを必死に堪えていた。
「しのぶ、チューだ!」
「こ、こら……大輝っ」
突然眠りから目覚めたらしい大輝くんが雪ちゃんの手から抜けて私の横まで走ってきた。
「しのぶ、仲直りはチューだよ! だって、パパが……」
「わー! わー! わー!!」
珍しく弘樹さんが真っ赤になって暴走している大輝くんを速攻で回収した。よく見ると雪ちゃんも顔を赤らめている。
「おい弘樹、お前んとこの教育は……」
「これは、あの……済まない! 大輝、蒼空、帰るぞ!」
「やだーやだー、しのぶ、仲直りのチューするんだよ! ほら、まいたんもー!」
大輝くんは全く折れる様子もなく、弘樹さんの手を振り払い、忍にしがみついて離れようとしない。それに便乗した蒼空ちゃんもワクワク瞳を輝かせてベッドに手をついていた。
「えっ……ヤダ、こんな……みんなが見てるのに?」
「しょうがねーなあ……」
ずっと握っていた手を強く引っ張られ、私は忍の唇にそっと触れるだけのキスをした。
マルボロの味がしない、甘いキスを。
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