元推しの誕生日に
今日は前に推していた人の誕生日。
25歳になったらしい。
彼女を好きになったのは高1のときだったからもう3年前になるのか。
時が経つのは早い。
「前に推していた」と書いてることから、お察しの通り今はもう彼女を推していない。
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高1のテスト期間中に運命的に出会った彼女。
大好きだった。
彼女に夢中だった。
世界で1番会いたい人だった。
大学生になったら会うと決めていた。
だが、それは叶わなかった。
色々なことが重なり彼女への熱が冷めてしまった。
受験期で推し活から離れていたこと。
彼女の変化を受け入れられなかったこと。
彼女が目指しているもの、彼女が進化していることを認めてあげることができなかった。
私が好きでいた2、3年前のまんまでいてほしかった。
この時、悟った。
私が好きなのは過去の彼女であって、今の彼女ではない。
冷めるのは一瞬だった。
もう、彼女を推せない。
スマホにたくさん保存していた彼女の写真や動画を消した。
そして、部屋に飾っていたコルクボードの写真も、写真立てに入れていた写真も、スマホケースに入れていた写真も、捨てた。
自分の写真よりもはるかに多かった彼女の写真。
見る度に元気をもらっていた彼女の写真。
冷めたのは自分なのに少し寂しかった。
ショックを受けた。
彼女を好きだったころの名残はまだある。
インスタのアイコンはなかなか変えられず、今でも彼女のままだ。
彼女が載っている雑誌もまだ捨てられていない。
キャンペーンでずっと買っていたスタイリング剤もまだストックが残っている。
まだ、未練があるのかもしれない。
しかし、今は今の推しに夢中だ。
前の推しに冷め始めていたころ、YouTubeのおすすめで出会った今の推し。
辛い受験期後半を支えてくれた。
そして、今も支えてもらっている。
生きようと思えるのは彼女のお陰だ。
私は今の推しが大好きだし、尊敬もしている。
ただ、「一生推す」とは軽々しく言えなくなってしまった。
前の推しを推してた絶頂期、彼女を「一生の推し」と言っていた。
でも、「一生の推し」ではなくなってしまった。
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誕生日だし、久しぶりにDMしてみようかなと思い、彼女とのDM欄を見返した。
既読も返信もない、一方通行なメッセージ。
それでも見てくれてると信じて送っていたメッセージ。
高校生の私の一生懸命な彼女への愛が伝わってきた。
DMを送るのはやめた。
今の私が書くべきではない。
もう彼女へ愛を伝えられないから。
彼女への愛がないから。
心の中で祝福する。
おめでとう。
大好きだったよ。
高校時代の私の青春。
ありがとう。