白川郷の秘密

合掌作りで有名な岐阜県の世界文化遺産"白川郷"
海外での知名度も高く、たくさんの観光客で賑わってました。
僕も白川郷のことは当然知ってましたし、観光で一度行ったことありましたが、知ってるつもりで、全然知らなかった!


白川郷の合掌作り
木造建築、建物は思ったより大きくて、3階建てが基本
茅葺き屋根、建物の正面から見て、左と右の2方向の屋根
「茅」とはイネ科の植物のこと。
その姿が🙏のように見えるので、合掌造りと言われる。
雪によって建物が潰れないように合掌屋根は勾配を大きくして力を分散させている。3階建ての屋根は、地面から2.5mくらいの高さまで伸びる。成人男性なら手が届きそうなくらいな高さ。

白川郷の屋根には本来はコガヤ(ススキ)が使われるが、現在はススキの生産が追いつかず、オオカヤ(カリヤス)が使われている。かつて、茅は白川村で生産していたが、現在は御殿場から運んでいる。

合掌作りの建物には一本も釘を使わない。木と木はネソと呼ばれるマンサクの木で結ばれている。
マンサクの木は長い間水に浸しておき、ふやかす。
ふやかした状態で、捻って繊維をほぐす。
そして、その柔らかい状態で木同士を結び、乾燥させると、硬くなって、しっかりと固定される。
ちなみに、ネソを浸す水は雪解け水で、冬が終わり雪が溶けると合掌屋根の下に大きな水溜りができるので、そこに浸すという。
いやー、よくできてるなぁ

建物の中には必ず囲炉裏がある。
囲炉裏の用途は、暖房、キッチンだけではない。
囲炉裏の煤は一階の天井に広がり、それが漆的な役割を担っていた。そして、煙は2階、3階に上がり、建物の酸化(劣化)を防ぐ効果があったという。
というのも、白川村の主な産業の一つとして、養蚕業があった。お蚕様たちは糞をする。糞は放置すると、酸化し、木造の建物を傷める。
それに対して、囲炉裏の煙が効果的だった。
また、囲炉裏の灰、お蚕様の糞、人尿は床下に埋められ、発酵させた。すると、煙硝(火薬)ができる。それは鉄砲に使われるため、村外に輸出され、それもまた村の発展を支えた。
なにより、囲炉裏は家族のだんらんを生む。今の僕らも囲炉裏があると、囲いたくなるんだよなぁ。
囲炉裏偉大。

さて、白川郷を象徴する茅葺き屋根だが、その葺き替え作業も白川郷の重要な文化の一つ。
茅の屋根は40~50年に一度吹き替えられるらしい。大体人生に一度の一大行事と言っていい。
とは言え、昔は白川村には100軒以上はあった(現在は約60軒)だから、年に2~3回は葺き替えが行われていたと考えられる。
葺き替えは村中の老若男女が集まり、一日がかりで行われる。葺き替えの指示役はいるが、プロフェッショナルな葺き替え師はいない。
子どもが茅を集めて運び、男たちが屋根に上り、茅を屋根に載せる。屋根裏には屋根に茅を結び付ける担当者がいて、その人と連携して、茅を貼りに括り付ける。女性は男たちを支えるため、料理に腕を振るう。
村全体で自分の家の屋根を張り替えるのだから、張り替えてもらってる側は恐縮してしまいそう。
でも、その相互扶助の関係が白川郷にはある。それを「結」という。ただの仲良しこよしの関係ではなくて、「おれらも本気で手伝うから、今度は力を貸してくれ」とささいう本気の関係を感じた。

そのような全員が当事者となって運営する風土は村作りにも見られる。白川村では村の運営は代々直接民主的に行われてきた。多数決ではなく、できる限り全員で話し合い、全員が納得する形で決議がされる。
これは簡単なようで難しく、危険性もある。村組織は時に空気を読み合い、分かりやすいものに流されることがある。
例えば、白川郷であれば、世界文化遺産に登録される前に近代化、経済発展の波があった。実際にダムの開発もされ、白川村の合掌集落はかなりなくなった。村の流れとしては、どんどん開発してしまった方が、便利で楽に生活できるという空気感があった。しかし、そこで開発に意を唱えた人物がいた。その人は「白川郷の合掌集落を守る会」を作り、行政の開発の話を断った。当初、村のほとんどの住民は便利な生活を望み、彼の反開発の姿勢に反対した。でも、彼は曲げなかった。どんなに異端扱いされようが、村八分になろうが、彼は曲げなかった。
徐々にその彼の強い意志は村を動かし、県の行政に抗い、多くの合掌集落を残した。そういった戦いの歴史も含めて、白川郷は文化遺産として認められ、今も多くの人々を惹きつけるのである。
自分たちのアイデンティティを守るために連帯は不可欠である。しかし、馴れ合いであっては行けない。冷静な視点と強い信念が組織を正しい方向に導く。
白川村には高校はない。そのため、白川村の子どもたちは高校生になると一度村を出る。彼らの多くはすぐには村に戻らないという。大学も石川や愛知に行き、そのまま都市で暮らすことが多い。しかし、それから何年か経つと、家業の相続や身内の冠婚葬祭で村に戻ることになる。それは不幸ではない。運命なのだと彼らは前向きに受け入れている。
そうやって外の視点を得た彼らが外部監査的な視点も持って、戻り、村の未来を担う。これは長寿企業に置き換えて考えるとわかりやすい。至って自然な流れである。
こうやって、伝統は守りながら進化していくのだと感じた。

白川郷は合掌造りであり、合掌造りが白川郷である。文化も建築も非常にしなやかに柔軟に、でも、強い文化を持っている。
歴史から学べることはまだまだ多い。

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