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読むたびに印象が変わる一冊。『三島由紀夫レター教室』(三島由紀夫)を読んで。

自分の記憶が正しければもう何年も手紙を書いたことがない。いや、もしかするとペンを持って紙に向かい、封筒にそれを丁寧にしまって切手を貼ってポストに投函した記憶が一度もないと思う。生まれた頃にはインターネットが普及しており、ペンで書く手紙よりもインターネットメールの方が馴染み深く、最近だと仕事上のやりとりでメールを使うだけでプライベートのやりとりはほとんどがSNSなどのチャットツールである。現代人のほとんどが手紙を書いた経験が少ないのでは、と思う。

とはいえ、私は文章を扱う仕事をしている手前、チャットであってもメールであっても文章の内容には気をつけているつもりだ。特に意識していることが「相手のことをちゃんと思って書く」ことだ。仕事上の付き合いの人に送る形式的なメールでも一文をちょっとだけ崩してみたり、知っている相手の場合は互いに共通の話題を書いてみたり、読んでもらう工夫をしている。個人的に大切だと思っているのは「読んでもらう相手が確かに存在していると考える」ことだ。私たちが手紙なり、メールなり、メッセージなりを伝える相手は機械ではなく、心を持った人間である。だからこそ、文章の形式的なルールを覚えることも大切だがそれ以上に、読んでくれる相手のことを考えないとこちらの気持ちは伝わらないし、文章を相手に届ける意味もない。生きた人間が読むものと思った上で、文章は作らなければならないと思う。

と、いうような固い話は『三島由紀夫レター教室』には出てはこない。こういう時はこういう文章を使った方がいい〜なんていう気の利いたことは一切、書かれていないのだ。この本の中にあるのは年齢も性別も異なる男女五人による「手紙」だけ。情景描写も、場面展開も、何も知らされない。知らされるのは手紙を書く5人のプロフィールと、手紙でのやり取りだけが描かれている。

これがまた面白い。泣いたり笑ったり、恋をしたりフラれたり。はたまたお互いを中傷しあったりと手紙の中で話がもつれていくのだ。中にはこんなに相手を貶すのかという手紙もあったりと読んでいて飽きない。1つ1つが短編小説のようで読んでいて心地がいい。それでいて1つ1つの手紙が特別な意思を持つように私たちにメッセージを投げかけてくる。

手紙を書くためのテキストとして読むもよし、舞台の演劇だと思って読むもよし。この本はさまざまな角度として読めるのだ。そしてできることなら手元に置いて、何年かごとに読み進めてほしい。きっと、その時その時で受ける印象が変わってくるだろう。

文・三島青



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