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【第4章】座敷牢 ーー 「厄介者」たちの隔離施設

藤堂明が異動した「管理部」、通称「座敷牢」。社内では、問題を起こした者たちの吹き溜まりとして知られ、表向きは全社的な業務を担う部署とされているが、その実態は「厄介者」たちを押し込めて飼い殺しにするための隔離施設だった。

現在、管理部の直下には藤堂を含めて9名が所属している。藤堂がこの春から加わり、9人目の「収監者」となった。彼らにはそれぞれ建前上の役割が与えられているが、そのほとんどは形だけの仕事で、実際には何の価値もないものばかりだ。


「藤堂君、君も今日から『開発促進会』のメンバーだ」

そう言ったのは小島だった。元開発部長。厳しすぎる言動が問題視され、ここ「座敷牢」に追いやられた男だ。今は「開発効率化推進担当」などという実態のない肩書を与えられ、開発部門の若手に対する「指導」を任されている。

「開発促進会って……何をするんですか?」

「開発部の若手を集めて、彼らの進捗報告を聞き、アドバイスをする。それが俺たちの役目だ」

その横で細田がうなずいた。定年後再雇用の身で、インテリぶった物言いをするが、実際には何の役にも立たない男だった。

「最近の開発はスピードが求められます。アジャイル開発、デザインシンキング、スクラム……いろいろな手法がありますから、若手にはどんどん試してもらわないとね」

言葉の響きだけはそれらしいが、実際には何一つ実践しているわけではない。開発促進会とは、毎月一度開かれる「指導会」のことらしい。各開発部の若手エンジニアが進捗を報告し、小島と細田がそれに対して「アドバイス」をする場だ。

しかし、実態は違った。

「分析が足りないな」「このデータだけで結論を出すのは早計だ」「言ってることがよくわからないな」

小島は、元部長という肩書きを振りかざし、報告する若手を一方的に批判するだけだった。まともな助言をするわけでもなく、単に自分の優位性を示したいだけの言葉。指摘のための指摘に終始し、若手が持ち帰るべき「学び」は何もない。

一方の細田はというと——

「このプロジェクトにはデザインシンキングを導入してみては?」「スクラムのフレームワークで回してみるのがいいかもしれませんね」

それっぽい単語を並べ立てるが、具体的な方法論もなく、もちろん自分が手を動かすわけでもない。結局、実際の作業はすべて若手に丸投げされる。無理な指示を受けた若手は、適当に細田の思惑に沿うよう報告を作り、どうにかその場をしのぐ。検討違いの試みは当然失敗に終わるが、細田は気にも留めず、「では、次はリーン開発を試してみましょう」と、また別の流行り言葉を持ち出す。

若手たちは次第に諦め、形だけの報告を繰り返し、適当に細田の言葉に合わせるようになった。実際には何の意味もない会議。しかし、それが「開発促進会」の実態だった。

藤堂は、この会に3人目のメンバーとして加えられることになった。最初の会議に出席した彼は、すぐに悟った。

——これは完全な茶番だ。

彼が開発部にいたとき、こんな無駄な時間を過ごしたことはなかった。いや、開発部の誰もが、こんな場に時間を割かれたくはないはずだ。

だが、それが「仕事」なのだと、藤堂は割り切るしかなかった。


開発促進会が始まって半年が経った。

 相変わらずこの場は茶番だったが、藤堂は少しでも若手社員に価値を見出してもらおうと、細田の無意味な横文字指示や小島の無茶な宿題を、彼らの機嫌を損ねないように調整しながら、なんとか実行可能なレベルに落とし込んでいた。無駄な会合ではあったが、与えられた仕事である以上、藤堂なりにできる限り有意義なものにしようと尽力していた。

 しかし、そんな努力もあまり意味をなさない日が訪れた。

 その日の開発促進会は、いつも以上に重苦しい空気が漂っていた。会が始まるやいなや、小島がやけに苛立った様子で若手社員を叱責し始めた。

 「おい、お前ら、何をやってるんだ? こんなレベルで仕事をしているつもりなのか?」

 若手社員は押し黙り、ただうつむくだけだった。藤堂はいつものように、適度に小島の怒りをそらし、マイルドな表現で場を和ませようとした。だが、今日はどういうわけか、小島の怒りが収まらない。

 「お前、こんな資料で説明したつもりか? これで上に報告しろって言われたらどうするんだ? ちゃんと考えてるのか?」

 次々と怒声が飛ぶ。藤堂は、若手の怯えた顔を見て、ついに抑えきれなくなった。

 「小島さん、それは言い過ぎです! 彼らなりにちゃんと考えてやっていますよ!」

 言った瞬間、自分でも「あっ」と思った。

 この半年間、藤堂は絶妙なバランスで小島と細田を刺激せず、若手を守る立ち回りをしてきた。だが、今日はそれを忘れてしまった。

 小島の視線が藤堂に突き刺さる。険しい顔がさらに歪んだ。

 「……何だと?」

 その低い声が、部屋の空気を一気に凍らせる。

 「俺が言い過ぎだとでも言うのか? 藤堂、お前はいつからそんなに偉くなったんだ?」

 藤堂は冷や汗をかいた。まずい。やってしまった。今まで築いてきた微妙な均衡が、一瞬で崩れ去ったのが分かった。

 「そうですよ、藤堂さん」

 細田が横から口を挟む。いつもの嫌味なインテリ口調だ。

 「彼らのためを思って厳しく指導しているんです。それをあなたは否定するんですか?」

 藤堂は歯を食いしばった。ここで言い返したら、さらに火に油を注ぐだけだ。だが、すでに小島と細田の視線は敵意に満ちている。

 若手たちは、そんなやりとりを見て息を潜めていた。誰もが、ここで余計な発言をすれば矛先が自分に向くと理解している。

 藤堂は心の中でため息をついた。

 後の祭りだ。

 これまでの半年間の努力は、この一言で完全に無に帰した。

 そして、この瞬間から、藤堂は「開発促進会」という茶番の中で、標的にされる側へと立場を変えることになったのだった。


開発促進会の場で、小島を厳しく非難してしまった翌日、藤堂はすぐにその報いを受けた。

「藤堂さん、小島さんから聞きましたよ、あなた、昨日の会でずいぶん偉そうにしていたらしいじゃないですか?」

管理部の部長である山岡に呼び出された。部屋に入るなり、山岡は腕を組んで鋭い目つきで藤堂を見据えている。背後の窓からは曇り空が見え、今の自分の状況を象徴しているようだった。

「小島さんからクレームが入ったそうですね。細田さんも、あなたの態度に問題があると言っていますよ。若手に優しいふりをして、勝手なことをするなと」

藤堂は唇を噛み締めた。予想していたことではあったが、実際に上司から直接こう言われると、嫌な気分がさらに増す。

「すみません、ただ、あまりにも理不尽な指摘が続いていたので——」

「あなたに判断する権限があるのですか?」

山岡の言葉が鋭く突き刺さる。冷たい笑みを浮かべながら、デスクに肘をついて藤堂を見下ろした。

「あなたがすべきことは、指示された仕事をきちんとこなすことです。小島さんや細田さんのやり方がどうであれ、それを評価するのは私たち管理側の仕事です。あなたには関係ありません」

「……はい」

藤堂は拳を握りしめながら答えた。何を言っても無駄だった。

こうして、藤堂は2週間に一度、山岡に業務報告をすることを義務付けられた。開発促進会の進捗を報告し、そのたびに山岡からの嫌味と否定の言葉を浴びる。

「それで、何か成果が出たのですか?」

「……開発促進会の場で、若手の報告を受け、意見を整理しました」

「ふん、それに意味があるのでしょうか? 価値があるのでしょうか?」

このやりとりが毎回のように続く。藤堂が何を言っても、山岡は同じ問いをぶつけてくる。

では、と藤堂は考えを変えた。余計なことは言わず、指示されたことを淡々とこなそう。

「では、指示された業務をきちんと遂行することに集中します」

しかし、山岡はそれにも噛みついた。

「あなたはロボットですか? ただ言われたことをやっているだけでいいと思っているのですか? もっと自主性を持ってください」

ならばと、自主的な提案をしてみた。

「開発促進会のあり方を少し見直してはどうでしょうか? 若手が成長しやすい環境を——」

「あなた、何様のつもりですか? そんなものは誰も求めていません」

何をしても否定される。自主的に動けば「余計なことをするな」、指示に従えば「あなたに主体性はないのか」。

出口のない牢獄にいるようだった。


管理部に異動して、すでに一年が経とうとしている。

開発促進会は相変わらず無意味なまま続いている。若手たちはいやいや報告をし、小島は評論し、細田は横文字を投げつける。藤堂の存在など、ほとんど意味をなさなかった。

そして、山岡のもとでの報告会。2週間に一度、藤堂は自分の気力が削られていくのを感じながら、それに耐え続けた。

「……いったい、俺は何のためにここにいるんだ?」

答えのない問いが、虚しく頭の中でこだまするばかりだった。



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