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【第12章】徳山の恨み
先日、池田がぼそっと漏らした言葉が橘薫の脳裏にこびりついていた。
「結局、徳山さんに利用されただけだった……。」
藤堂明を貶めるために仕組まれたパワハラ騒ぎ。その黒幕として、池田の口からかすかに示唆されたのが徳山だった。証拠こそないものの、藤堂の異動が決まったとき、徳山が浮かべたあの薄笑いを思い出せば、全てがつじつまが合った。
徳山は、ある役員のスカウトによってマエダ自動車から引き抜かれた経緯を持つ。役員の威を借り、あたかも自分が実力で呼ばれたかのように振る舞い、好き放題に振る舞っていた。そしてことあるごとに、
「前の会社ではこうしていたんだよ」 「マエダ自動車ではこのやり方が普通だった」
と、過去の栄光を誇示するかのように語り、自分が優れた人物であるかのように振る舞った。しかし、実際にはこの会社に来てからの徳山は何も成し遂げていない。
そんなある日、藤堂は徳山の提案書を読んでいて、ある疑問を感じた。
「……あれ?」
一見、筋が通っているように見えるが、よくよく読むと根本的に矛盾している点があった。計算の整合性が取れていないのだ。単なる誤字や計算ミスではなく、提案の根幹を揺るがすクリティカルな欠陥だった。
藤堂は、単純な見落としだろうと考え、改善のためのアドバイスのつもりで徳山に質問を投げかけた。
「徳山さん、この部分なんですが……こことここの計算が合っていませんよね? もし、この前提で進めると、コストとスケジュールの両方に大きなズレが生じてしまうと思うんですが。」
徳山は一瞬、藤堂の言葉の意味を理解できなかった。だが、藤堂が指し示した箇所を目で追ううちに、ハッとした。
(やばい……。)
指摘された矛盾は明白だった。しかも、修正するには提案全体の構造を根本から見直す必要があり、もはや取り繕う程度の問題ではない。
徳山の顔から血の気が引いていく。極限まで青ざめ、視線が泳ぎ始めた。
周囲にいた数名の社員も、藤堂と徳山のやり取りを聞いていた。誰もが息をのむ。
そして次の瞬間、徳山の表情が一変した。青ざめていた顔に怒りが込み上げ、拳を握りしめる。
「……おい、藤堂。」
声が震えていた。
「お前……俺の提案にケチをつけるつもりか?」
「いえ、そういうつもりではなく、あくまで——」
「ふざけるな! 俺の提案が間違ってるって言いたいのか!?」
徳山の声が怒鳴り声に変わる。もはや質問に対する冷静な回答ではなく、ただ怒りをぶつけているだけだった。
「お前みたいなやつがいるから、まともな仕事ができねぇんだよ!」
藤堂は呆気にとられた。論理のない罵倒。まるで怒りのはけ口を探しているかのようだった。
「……すみません。私はただ、業務の精度を上げるために——」
「言い訳するな!」
徳山は机を拳で叩いた。その音がフロアに響き渡る。
周囲の社員は完全に沈黙していた。誰もが息を潜め、徳山の怒りの矛先が自分に向かないようにと気配を消していた。
藤堂は静かにため息をつくと、もう一度だけ冷静に言った。
「私の意図は、提案をより良くすることでした。ですが、もし不要な指摘だったのなら、申し訳ありません。」
その言葉に徳山は何も言い返せなかった。ただ荒い息をつき、藤堂を睨みつけるばかりだった。
この出来事以来、徳山の藤堂に対する恨みは決定的なものとなった。そして、それが後の陰謀へとつながっていくことになる——。